閉じこめられたしばらくの間、りんこは少年と食べ物縛りしりとりをしていた。




 がくんと首が落ちた衝撃に目が覚めた。

「……お姉ちゃん、大丈夫?」

 危ない、一瞬寝ていた。

「大丈夫!」

 なはずがなかった。勿論言えるはずがなかったけれど。
 息を吸うたびに縮こまった肺が痛い。呼吸ペースを早めたいけれど過呼吸でも起こしたら目も当てられないと思い、深呼吸、でもうまく吸えない。肺がメリメリ言ってる。さっきから心拍数が不気味な早さに上がっている。怖い。
 全部押し殺した。
 痛ましいまでの空元気。

「なんだっけ」
「ツナサンド」
「ド……ドーナッツ」
「またツ?」
「あ、じゃあね、ドリアン。うわ、」

 またしてもんを踏んだ。

「ンゴロンゴロ」

 のに、返球があった。

「ンゴロ? なに?」
「ンゴロンゴロ。コーヒーだよ」
「……面白いもの知ってるね」

 温かいコーヒー、飲みたい。紅茶でもココアでも、お湯でも、いっそ水でもかまわない。凍ってさえいなければなんでも温かく感じるに違いない。

 ろ、ろ……ろってなんだろう。
 あらがいがたい睡眠欲が思考にのしかかる。ろ? ろとはいったい、何なのか。羊を数えるより遙かに頭文字ろを探すほうが眠たい。ろ、ろ……。

「起きて」

 ぴしゃぴしゃと冷たい手のひらではたかれた。口調はかなり切実だ。
 当然だ。
 寝たら死ぬ。

「ろ、ローストチキン。うわ、」
「わざと?」
「ローストビーフで」
「ふぶき饅頭……ねえ、服、着て良いよ」


 首を横に振った。

 下着だけで男児に抱きついていると言えば誤解を呼ぶが、現状それは事実だ。無論のこといかがわしい思惑なんてこれっぽっちもないけれど。
 自分よりも体が小さく体温の低下が早い男子児童に、焼け石に水ではあるが制服のワンピースを巻き付けているのだ。

 だってりんこは予言の怪人だ。こんなところで死ぬはずない。

 まばたき一回ごとに部屋の白濁りが増していく。頭の上にぶらさがったつららがシャレにならない。大したサイズでもないけれど、落ちてきたら避けられない。
 まず立てっこない。
 霜が貼って床がスケートリンクになっている。つま先の壊死を逃れたくて履きっぱなしにしているヒールでは立ち上がれまいし、間接全部固まっているからそもそも歩けない気がする。
 ワンピースを脱いから大分経っている。尻はもう、くっつけている氷床と一体化してしまっているかもしれない。さっきまであんなに痛かったのに、今はもう謎の重さしか残っていない。
 抱きすくめている少年の体温だけが頼もしく温かい。


「大丈夫だよ。もうすぐヒーローが来てくれるからね」


 もの言いたげな沈黙には無視を決め込んだ。おためごかしだなんて自覚りんこにもある。

 りんこも大概だがこの子どもだってわりとヤバいはずだ。泣き言もいわないし寒いだの文句を垂れないけれどさっきから震えがどんどん増している。

 目前に扉はある。
 防弾で耐熱で七層防御構造の自動ドアだ。凍った拍子にシステムがバグったのかドアレールに氷塊がはさまったのかうんともすんともいわないし、女と子どもの力を合わせて開くような軟弱な作りではない。そんなヤワなら怪人対策になんてなりやしない。


「うし」
「牛って……牛肉じゃなくうしって。シチュー」
「うま」
「馬って!」


 馬になれば蹴破れる。
 自信がある。一撃だ。木馬になれば全身のいたみもたちどころに収まるだろうし凍った協会つっぱしって外に出て事態の元凶を叩きのめすことだってできる。


「マッサマンカレー」
「なにそれ」
「世界一おいしいカレー」
「へえー。エイヒレ」
「レバ刺し」
「さっきからチョイスがちょくちょく小学生じゃないんだけれど……」


 りんこは、うずくまっている。しりとりをしている。
 怪人に変身すれば蹴破るくらいわけない。防弾で耐熱で七層防御構造の立派な扉だって、イアイアンのようにあっさり壊すことができる。わかっている。でも、


「しじみ汁」
「ルートビアフロート」
「トマト鍋」
「ベルジャンチョコレート」
「……チョイス」


 この子を部屋の外に出すわずか数秒の変身だってする気がない。
 死をともなって寄り添う眠気と寒気に身を寄せて、下着姿でじっとしている。


「とだよ、お姉ちゃん。ねえ、と、」


 わずか数秒の変身だってしたくない。だってこの子がしゃべるかもしれないから。
 現場検証で、部屋の内側から蹄をもった何者かが戸を蹴り開けたことがわかってしまうかもしれないから。

 一歩踏み出した先にヒーローがいるかもしれないから。

 りんこからすれば、ぶっ倒してもかまわない怪人より手出しできないヒーローの方がよほど恐ろしい。

 頬をつねられている。痛くもなんともないし果てしなく眠たくてただうっとおしい。なにか訴えているけれどどうでもいい。寝たい。
 抱きしめた温かいものが大声でなにかをわめいている。何言ってるんだろううるさいな。助けて? 助けてかあ。

 ブルーファイアはどう思うだろう。

 少年を助ける気なんてさらさらない自分のことを。
 怒るに決まっていた。
 迷いがもたげる。ブルーファイアはりんこの怪人を知っている。もし少年が凍死でもすれば、力があるのに救わなかったりんこのことをすごく怒るだろう。違う、今こうしている時点で、自分の保身しか考えずにうずくまっているりんこを知れば怒るに決まっている。

 嫌われるかもしれない。

 寒気が戻ってきた。体がもはや震えやしないのはすごく危険な兆候だとは本能的にわかっている。

 それでも怪人にはなりたくない。

 だってもしもこの変身で自分が怪人だとばれてしまったら。
 仕事がなくなったっていい。どこに住めなくなったってかまわない。誰から恐ろしがられようとどうだって。

 ブルーファイアに嫌われるよりは。

 でも、怪人であることがバレればブルーファイアの傍にだっていられない。ただの隣人でさえいられない。今ひっついているのだって、ヒーローでありながら怪人と仲良くしていたと責められるに違いない。せっかくA級の上位なのに、その資格さえ剥奪されるかもしれない。

 死が刻一刻近づいてくる。
 涙は出てくる端から凍りついて頬を引っかいた。痛い。
 怖い。
 どう選択しても間違っているようにしか思えない。






 扉に刀が走った。西洋甲冑をまとった足がドアをぶち抜いた。

 りんこは顔を上げる。顔なんか見なくたってわかる。日本刀に西洋甲冑を組み合わせたヒーローなんて、一人しか思い当たらない。
 渾身の力を振り絞って立ち上がった。

 扉を蹴破った足がカンフーシューズでなかったことに少しだけどこかでがっかりしていて、どこかでものすごくホッとしている。



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