扉が開いた。
 スライドした勢いそのまま吹っ飛びそうな強さだった。
 イアイアンは脊髄反射に染みついた戦闘意識で即座にカーテンを開いて視界を確保する。いつでもいかようにも動けるよう腰を落としながらいすを蹴倒しながら、万一の場合どのように患者たちを逃がすかの退路を思考している。

 が。

 かろうじてレールから外れることもなかった扉にとりすがるようにして、乱れた呼吸を肩で殺して食いしばった歯の間からケダモノじみた息を漏らしかっぴろげた目を血走らせて病室をぐるりと見回す男にイアイアンはうっかりあっけに取られた。
 知り合いだった。
 怒りっぽいなりに常識人であるその男の、常あらざる凶行っぷりに脳味噌がフリーズする。

 ただでさえ恐い顔をしているのだから顔なり挙動なりもうちょっとどうにかできなかったのか。そこいら中でアコーディオンカーテンを閉じる患者たちの群の中から、

「ブルーファイア、」

 りんこの姿をみとめてブルーファイアは眉間のしわをあからさまにゆるめた。りんこにはパッと見でわかるような外傷はないし心肺停止だって今は昔でこの通りにぴんぴんしている。安堵するのも当然だろう。

 しかしイアイアンの耳にりんこの弱々しい口調が引っかかる。
 ブルーファイアの襲来に目をむいて固まったジェノスや未だはしゅはしゅと見舞いを食っているだけのサイタマに声をかけたときには、そんな緊張感はなかったはずだが。

「ブルーファイアとも知り合いなのか?」

 イアイアンの問いかけにりんこは答えない。ブルーファイアをまっすぐ見つめて、今からおっかなく怒られるのがわかっている子どものような顔をしている。
 ブルーファイアとの関係がわからない以上やはり下手に手を入れるのはどうかとも思うがしかし、この怯えぶりを見て黙っていることもできるはずがない。
 善良な市民をあらゆる害から守るのがヒーローなのであれば、その善良市民の最右翼たるりんこが今にも泣きそうな顔をしているのを見逃せるはずがあるか。
 とはいえ、不明な要素が多いこの状況はひとまず穏便に切り抜けるべきだとイアイアンはブルーファイアへ視線を移して、

「ブルーファイア、お前もりんこさんの見舞いなのか?」

 ブルーファイアまで答えない。

「おい」

 いかにイアイアンだってこうも連続で無視をされると堪える。

 ブルーファイアはカンフーシューズをぺたぺた鳴らして一直線にりんこのベッドへと歩を進める。なぜか悔しそうな顔をするジェノスとそれをちら見するサイタマと、ものすごくビクビクした挙動で表情だってひきつらせているのにブルーファイアに自分からも近づこうとベッドの上を膝で這うりんこの迷いのなさ、そのめちゃくちゃな感じで混ぜ合わさった態度にイアイアンの混乱は混迷を極めている。

 ひょい、と。

 ブルーファイアはりんこを、猫の子でも持つように抱き上げた。イアイアンは呆気にとられて口を開いていた。二人があんまり当然のようにそうしたせいでおかしいのが二人なのか自分なのか判断が遅れた。
 そのまま見事なUターン。
 廊下で再び子どもが泣いた。人攫いと叫んだせいで看護師が「ちょっとあなたなにやってるの!?」と引き留める。脳天気なりんこの「だいじょうぶです」という声がマッハで遠ざかる。

 ブルーファイアがりんこをさらった。

 ようやくそう気づいてハッと駆けだしてドアに取りすがり左右の廊下を確認したが、二人の背中はもはやどこにも見あたらない。看護師や患者や見舞い客の呆然とした視線が向けられる方向から、左へ行ったことはわかったけれども。


「た、大変だ……!」

 イアイアンだってブルーファイアのことは信頼していた。顔が恐かろうとヒーローランキングにこだわっている節があろうとめちゃくちゃに短気であろうと味覚障害を疑うレベルの辛党であろうと、心根優しく正義感に厚い友人の一人だった。
 一分前までの話である。
 もはやイアイアンの頭の中には暴漢と化したブルーファイアがいやがって泣くりんこにありとあらゆる暴虐の限りを尽くす未来しか見えていない。その位今のさらいっぷりは強烈だった。

 見損なったぞブルーファイア!
 お前はそんなやつじゃないと信じていたというのに!

「追わなければ!!」
「え、なんで」
「りんこさんが危ないだろう!?」
「なんで」

 このハゲ!

「らちがあかん! 俺一人で行く!」

 だかだか走るイアイアンの背中を見て、箱に詰まっていたシュークリームの最後の一つを口に押し込んで、

「あー……まあ行ってみるか」

 どっこらせとパイプいすをきしませて立ち上がって、

「どうすんの?」

 痛みをこらえるような顔で押し黙っていたジェノスを振り返った。
 ジェノスは無言で立ち上がる。叱られに行く子どもみたいなしょぼくれた足取りで着いて行く。



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