「お騒がせしてすみません……」
トイレから出てきたりんこはふりだしに戻ったような困った笑顔をしていた。
その後ろから、純潔を奪われた女の子のように顔をうつむけたジェノスが出てくる。
合掌。
米つきバッタの教科書に掲載されそうな、しつこい謝罪を終えて階段を下った。夕方の大通り、ビルの谷間からまっすぐにオレンジが伸びる。
先に出ていたジェノスはどうにかこうにか調子を取り戻して、居丈高な腕組で壁にもたれている。が、視線は半端に染み抜きをしたりんこのスカートに釘付けだ。
なにか言おうとして、
「……」
どうにもダメだった。
「なにかちょっとでもあったらクセーノさんに」
「お前に言われなくたってわかってる」
「もー……」
吐くため息に文句をのせる。りんこは肩を落としてすぐに顔を上げて、
「じゃあ、ハイこれ」
突き出されたのは、小さくてちゃんと底板の入った紙袋だ。白地にヒゲロゴ、言うまでもなくバネヒゲカフェのマークである。
「……なんだ」
「サイタマさんにあげて。生だから、今日中に食べてね」
またも憎まれ口を叩きかけた口を制した。
ちっぽけな紙袋一つを素直に受け取るだけのことに、どれだけ気力を消費したか。
「じゃ、またね!」
手を振り返す気力は残らなかった。
「おっはあ、」
サイタマが笑う。笑うほどうまい。
ゴロゴロ載ったフルーツがそもそも輝いている。マスカットやらアプリコットやらの隙間から見える美しい透明はクラッシュゼリーで、そのさらに下にはとろけるようなレアチーズがしかれているわけだ。クッキー生地もザックリした、小さめだけどホールのケーキ。
適当に包丁を入れてカットしたピースを、豪快に手づかみで歯を立てる。ざくざくタルトを割って掻いたあぐらの下にこぼしても当然の顔で拾い食いをするのはいかがなものか。口の周りべたべたなのもいかがなものか。ほっぺたぱんぱんなのもだ。
しかしサイタマペットボトルのお茶を飲んで、そこはかとなく満足げだ。
「りんこはいい奴だなー」
「はい! りんこさんですから!」
口元にレアチーズ生地をくっつけた、元気いっぱいの肯定だ。
その隣のジェノスはフローリングに正座をしている。文明人らしく皿とフォークを使っている。というか、こんな崩れやすい食い物を手づかみで食ってみろ明日には手にアリ塚ができる。
「やっぱりりんこさんはすごいです先生! 俺がつい目を向けてしまったメニューをしっかり見て覚えていた観察眼! あの姿では一般女性並の力しか出せないのにアクシデントに対応しようと即座に立ち上がる姿勢や、それに」
「うんうん」
聞いちゃねえ。「もうちょっと食お」と包丁に手を伸ばしている。
その素直さ、本人の前で一ミリでも出せば良いのに。
「はーうまかったわ。夕飯……は、遅くで、軽めにしとくか。米だけ炊こう」
「俺がやります」
手伝いを申し出て正座からシャッキリ立ち上がりかけたその拍子、なあなあのままで一時保存していた記憶がキャッシュからものすごい勢いでよみがえる。
昨日だって、うまくなったって誉められたんだから。
だ、
「誰にだ!?」
「え、敵?」
そう、敵。
□ 味蕾進歩