「で?」


 りんこがカウンターチェアに尻を納めるのを見計らってちょっとフライングして、ジェノスが問う。が、当のりんこはキョトン顔。


「でって?」
「だからどうしてたんだ今まで」
「えーっと、どこから?」


 言い淀む。
 そろそろバネヒゲの耳がダンボになりそうだ。もっと聞き耳の立てやすい会話をして欲しい。


「居なくなってから」
「……うーん、一年くらいいろんな所ぶらぶらしてて、雇ってくれそうな所があったからなんとなく応募したらどうにか受かって、いろいろあってこんな感じ」
「全然わからん」
「ええー。うーん、元気だったし、今元気。これからも元気だよ、クセーノさんもお元気でって伝えといて」
「うるさい」
「なんで!?」
「……どうするんだ」
「なにが」

 全くだ。主語を言え主語を。


「これから」


 やはり彼らはそういう仲なのだろうか。そばだてた耳をさらに広げる。
 言葉を探すような沈黙があった。一度バネヒゲブレンドが口へ運ばれ、ソーサーに戻されて、


「どうも」
「どうもって」
「だって……避けようがないでしょ。私はまあ、精一杯生きるにしかず」
「……」
「あ、やだ良いこと言っちゃったかんじ?」
「月並みだ」
「やっぱり?」

 ため息。サイボーグでもため息くらいつく。
 今度はブルーマウンテンブレンドがすすられた。


「……うまいな」
「……あれジェノスブラック飲めたっけ? 砂糖とミルクもあるけど痛い! なんでぶつの!」
「味覚くらい変わる!」


 ごくこっそりバネヒゲは思った。それは、少々嘘が入っていますね。


「……増設した脂質膜電極を舌全体に配置した」

 そこから先、長くてめちゃくちゃわかりづらい話が始まった。

 化学物質つまり識別信号を電気信号に変換し参照電極から基準溶液にどうたらこうたら、また味というものはただ単に苦い甘いで味わいが決まるものではない例えば苦いコーヒーに砂糖とミルクを入れるとおいしいが苦いレバーに砂糖とミルクをかけたら吐瀉物一丁上がりなのでその辺りの味覚をパターンレコード化してやはり電気信号に変換し今度は脳に流すことで今食べているのがどんな味なのか以前よりも実感としてわかるようになった。センシングした食物のデータを蓄えておけばレコード学習により更に自己進化をすることが可能で、今では味噌汁の碗ひとつとってもダシの素を使ったか削り節を使ったかすぐにわかる。

 と、ジェノスは言った。
 主語があればいいというものでもない。

 バネヒゲは横目で二人の様子を見守る。

「うん、うん」とりんこはうなずいて話を聞いているが認識アルゴリズムだの脂質高分子膜が塩化カリウムによってカリウムイオンがどうこうで電位が変化し、などわかっているのかいないのか、ぼんやりとした笑顔からはつかめない。

 別席から注文を受けて、バネヒゲは真空詰めにしておいた保管容器を開いた。蓋の圧着を開いた瞬間に凄い勢いで空気がなだれ込む。いい音だ。

 一人では持てない大きさの業務用グラインダーに放り込んで、横のダイヤルハンドルを回しスイッチをオン。

 しかしまあ。

 ぎょりぎょりとモーターの大騒音に身を隠しながら、思う。
 要はサイボーグの味覚が以前よりも人間らしくなったと、少年が一生懸命話しているのだ。
 ほほえましいじゃないか。

 スイッチオフ。
 一瞬で粉になった豆を、受けポッドからフィルターへ移す。じき湯も沸く頃合いだ。


「だからもうりんこの作った飯は食えない」
「やたら手軽にバカにするね……」


 いや、本当に……。


「私だってねー私だって、ちょっとは成長してるんだから」
「ニワトリは渡り鳥になれない。羽ばたいてちょっと浮かぶことは飛行とは言わない」
「頭からあり得ないことだって決めつけてる!? もー! ジェノスが信じてくれなくて辛い……」


 悔しそうに歯噛みしていた彼女を、いかにもおもしろそうにジェノスが眺めている。なるほど、表情展開のあまりの早さにおもしろおかしい愛おしさを感じているならどこか同意できる。
 いまだってほら。
 さっきまでのぐぬぬ顔はどこへやら、急激に頬をゆるませて笑う。
 思い出し笑い?


「昨日だって上手くなったなって誉められたんだから」


 一拍を待たずして。

 バネヒゲはそれを怪人が窓ガラスを突き破って侵入してきた音と判断した。ポケットチーフを引き抜き指鳴らし一つではためく布を輝くサーベルへと変幻させる。セボン。油断のない構え。
 りんこは立ち上がりやはり背後の窓ガラスを見る。大判ガラスには指紋くらいしかなさそうだ。割れてない。ヒビすらない。意識から一般人の擬態が取れかかっていて、目に映るのはあからさまなまでの戦意。その一方で私服の白いスカートにコーヒーぶちまけられたことにはまだ反応できていない。熱くはないのだろうか。

 ジェノスは動かない。
 上半身、特に腕はびたびたにコーヒーを滴らせて、他の客の注目を背中に集めながら微動だにしない。
 誤コマンドによる異常握力は、戦闘時でもないのに瞬間最大で500に至っている。80kgもあればリンゴだってつぶせるのに。
 思考回路の爆音とともに粉砕されたコーヒーカップを握りしめて、ふいに我に返って手を開く。バラバラの陶器がカウンターへ落ちて周囲の参上に気がついた。びしょぬれの自分とびしょぬれのカウンターとびしょぬれの、


「りんこさ、」
「ジェノスッ!!」


 りんこが怒鳴る。打って変わったものすごい剣幕だった。
 バネヒゲだって差しだそうとしたタオルを引っ込めたし、今までのツンケンをすっかり忘れたような心配を丸出しのジェノスが手を伸ばしかけていたのに、コーヒーひっかけられたりんこの一喝にあっさりビビってしまった。
 機械仕掛けの腕を、りんこがつかみあげる。


「コーヒーは! それはほんとまずい! バネヒゲさんすみませんトイレ借ります!」
「え」


 返答なんて聞いちゃいない。
 先に立って有無を言わせない力でジェノスの腕を引きずって、さっき行ったばかりのお手洗いへまっしぐらだ。


「やめっ、いい! 自分でやれる!」
「両腕の整備にどの手使うの!? つべこべ言わない!」


 今までの人当たり良さはどこまでふっとんだのか。当事者でないバネヒゲだってちょっと引いちゃう勢いに、当事者であるジェノスはひとたまりもなくしゅんとしてなすすべなくトイレに放り込まれる。WCの札をばったん揺るがす勢いで扉と閉じると、一秒後にはギッタンカッチャン「ああっ、そこは!」だの「そんなところ開くな!」だの「さわるな……!」だの、大戦争が聞こえてくる。
 ああ。
 破片を清掃しながら、バネヒゲは少年に心から同情した。
 なんてひどいお嬢さんだ。



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