あれだけ悩んだくせに結局メニューの一番上、当店おすすめを示すヒゲマークの一品は、名を『バネヒゲブレンド』という。
「んっ、」
店名を冠すコーヒーはうまいと相場が決まっている。
バネヒゲカフェでも多分に漏れない。
「すごくおいしいですバネヒゲさん!」
できればマスターと呼んで欲しいという本音を好々爺なほほえみの裏にそっと隠して、
「お気に召していただけた様子でなによりです」
にこやかにコーヒーを運ぶお嬢さんには悪いが、バネヒゲの意識はS級サイボーグに釘付けだ。
腕を組んだままコーヒーに睨みをきかせている。
りんこと対照ないかめしい顔つきはおよそお茶の時間に似つかわしくない。
「冷めるよ、飲まないの?」
りんこに促されたジェノスの眉間に見るも恐ろしいシワが寄る。バネヒゲの背を汗が這った。
初見の食べ物を口にする動物に通ずる慎重さでカップを持ち上げた。
サイボーグの唇というのは意外なことに柔らかいらしい。フチに当たってふにりと形を変えその様まで、バネヒゲはつぶさに観察している。心臓が破裂しそうだ。高レベル災害と相対している気分になる。
飲んだ。
バネヒゲが口にたまった生唾を飲み込もうとして、いきすぎた緊張でむせそうだからやめる。
コーヒーを一口飲んだジェノスの唇が、実に小さく、わずかに一単語ぶん動いた。
見てしまった。
苦、
と。
バネヒゲの状況判断はさすがというべきか。
思わず笑いそうになったので、ばれる前にさっさと背を向けた。
「おいしー……。こほん、ちょっと失礼」
「どこへ行く」
「花を摘んだり、化粧を直したり」
「品がない。早く行け」
「ジェノスが聞いたくせに!?」
「うるさい」
一人残ったカウンター席に背中を見せたまま、バネヒゲは目に付いた飾り用のアンティークカップを手に取った。引き出しを開き研磨布を取る。
別に磨く必要なんてない。
平素であればカウンターに座った客とは世間話の一つも交わす。わざわざそっぽを向いてありもしない用事をでっち上げてまで無関心を装っているのは、別に相手が自分より遙かに上位の同業者だからでは、ない。
きゅぽん、
かちゃん、
ざー、
ざー、
かちゃかちゃ。
カップを持ち上げる際の、陶器同士の接触音。一瞬の間は香りを確かめたのかもしれないが、そこに変化はないだろう。
ずず、
……、
ざっ、
かちゃかちゃ、
きゅ。
時間切れだ。
こだわりのレコードジャズに扉の開閉音が静かに混じる。大して高くもないかかとでフローリングを打つ。りんこが戻ってきたのだ。
「お待たせー」
「別に待ってない」
白磁をソーサーへ戻した。
カウンター席に置かれたコーヒーの片方、少年サイボーグの指がかかるカップの中には砂糖が三匙も溶かされている。
そっと胸に秘めておこう。