セオリーとしての話ではある。

「ごめん待った?」と問われたら「今来たところ」と答えるのが模範解答だろう。変化球として「もう遅い帰ろうと思った〜」などと甘えるのも、まあその人によってはアリっちゃアリだ。

 ただし。
 人による、というのは、四六時中ツンケンしているサイボーグなら確実に含まれない。


「ごごごごめん待ったよね!?」
「待った。遅い。どうせコケたか財布落としたかその挙げ句道に迷った老婆と一緒に目的地を探して迷ったとかその辺りだろう、グズだな。帰る」


 ここまでアレンジするもんでもない。甘えてすらない。ただの文句だ。その上本当に踵まで返すあたりとても芸が細かい。
 りんこはあわてた。大急ぎで駆け寄って惹きとめようと服の裾をつかむが、まさか今日のために新しく購入した勝負服だということには気づいていまい。半泣きで取りすがって、


「なんでわかるの!? わーんごめんって! そうだお茶ごちそうするからースイーツとかもつけちゃうからー!」
「うるさい騒ぐなみっともない」
「ごめーん!」


 そういう台詞は後ろからスソを引かれてニヤケてしまうのを卒業してから使うといい。










 ガラスドアにステッカーシールですてきなカイゼルヒゲがプリントされている。ヒゲ屋じゃない。喫茶店だ。ヒゲ屋ってなんだ?

 自動じゃないドアをりんこが押した。鈍くて響かないのに耳心地のいいドアベルが、カランと開いてコロンと閉じていく。

 どこもかしこも木目の調度品で統一された上品な店だ。ブロガー女が黙っちゃいなさそうだが、あいにくパンケーキもマカロンもメニューにはないので襲撃は概ね阻止できている。席は大きく三種類、カウンター席、テーブル席、窓際席だ。でっかい窓から晴天の恩恵が差し込んでいる。
 カウンターで生豆を選別していたカイゼルヒゲのとてもすてきな店主は営業スマイル全開で顔を上げて、


「いらっしゃいませ、……!?」


 目の玉かっぴろげた。


「ああそういえばジェノスってヒーローになったんだよね。S級だもんね。バネヒゲさんもびっくりしちゃうよね」
「知るか」
「二人です」
「こいつとは別の席でかまわない」
「気にしないでくださいこの子は面倒臭さまでS級なんです。いだいっ! なんでぶつの!?」


 ジェノスは実にこともなげにりんこの脳天にチョップをかます。
 ぷいっとそっぽを向いて、


「さあな」
「……二人、禁煙がいいです」


 びっくりしすぎてハンドピックを終えた廃棄コーヒー豆を、より分け途中の豆に全部こぼしてしまった。おじゃんだ。が、そこはバネヒゲ、腐ってもA級ヒーローだしそもそも腐ってなんかいない。
 ゴホンと咳払いを一つでヒゲを揺らし、短く深く息を吸って高ぶりかけた緊張を制した。


「失礼いたしました。店内どこでもお好きな席へどうぞ」


 でもやっぱ笑顔はちょっと堅い。











 いいの? ケーキいいの? おごるのにいいの?
 そんな風にしつこく聞く方が悪い。おでこにチョップを貰って涙目になっている女性は、なにを注文しようか目をさらにしてメニューを何週もめぐる。

 件の二人組はあろう事かカウンター席を陣取った。気になって仕方がないバネヒゲはペーパーフィルターを補充するフリをして二人の様子を観察する。カフェのマスターだろうがヒーローだろうが一般的な野次馬根性くらい持っている。

 つい先日、しょっぱなからS級ヒーロー認定を受けた鮮烈デビュタントな年若いサイボーグの名前が、ジェノスというのは知っていた。その彼の連れである女性の名前がりんこということは会話からわかった。

 関係性はいまだにわからない。

 はじめは恋人か何かかと思ったが、どうにも違う。

 まず距離感が中途半端だ。女が近づけサイボーグは逃げる。女が止まればようやくサイボーグが近づいていって、やることはびんたかチョップかデコピンだ。入店早々から注文を悩んでいる今現在までの間に、チョップ一発にデコピン一発を食らっていた。ビンタは避けた拍子に転んだ。かわいそうだった。

 友人にしては年が離れているし、切れ切れの会話からは共通らしい話題は今一つ見受けられない。

 けれど、それで気まずそうかというとそうでもない。

 そのあたり姉弟が近い気がする。が、血縁関係はなさそうだ。あったら倫理が大変なことになる。

 誰の目から見たって、サイボーグの少年ヒーローが恋心こじらせて女性につんけんしたりちょっかい出したりしているのは明らかだから。
 小学生か。

 ところで、さっきから小規模な暴力を振るわれ続けている女性の声がバネヒゲの脳みそをちりちりと刺激し続ける。どこかで聞いた覚えがあるような。
 気のせいだろうか。
 あるいはかつて来店した客なのかもしれない。

 今まさに気にかけていたりんことかいう女性がぱっと顔をあげる。長考を極めていたメニューをテーブルへおいて、バネヒゲに人当たりよさそうなちょっとバカそうな明るい顔を向けて、


「注文いいですか?」


 もちろんです。



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