ガラスまみれになった床の上に円盤がいる。

 見た目は軸をもいだシイタケだがそれにしてはでかすぎる。ちょうど真横で横転している、フードコートの四人掛け机よりかもうちょっと大きい。

 少し地面から浮かんでいるように見える。円盤を下からのぞき込めば縁にたくさん生えた半透明の触手をもじゃもじゃと這わせて移動しているのがわかるだろうが、真下の定員は一名だけでちょうど今埋まっている。

 床の上にあったものを飲み込んでいるがルンバじゃない。
 ルンバは人を食わない。


「お、とうさん」


 娘の声に反応したのか、食われることに抵抗したのかはわからない。巨大シイタケの下からはみ出た手が、かなり狭い可動範囲内でバタバタ暴れた。
 すぐさま、最後に残っていた指先の一ミリも残さず引きずり込まれてしまったのだけれど。


「、」


 かかりっぱなしの有線放送がポイントカードのシステム案内をしている。意外なくらいに静かだった。シイタケは動かないし、女の子は動けないし、他には誰もいない。一人を残して全員逃げたからだ。
 誰だって自分の命は惜しいが、防災責任者はあとでどうなるかわかってるだろうな。

 ガラスの大窓にはシイタケが侵入経路にくり抜いたでっかい丸い穴があって、真下には落ちて粉々に吹っ飛んだ破片がきらきらしている。

 シイタケは物も言わず音も立てずに自転する。

 こっちをみた。
 目玉もないのに、右も左も前も後ろもなさそうな見た目をしているくせに、シイタケは確かに取り残された女の子を見ていた。

 ひとたまりもなくビビってへたり込んだ。

 イスの足をつかんで何をするつもりだったのかは女の子にもわからない。矛にするつもりだったのか盾にするつもりだったのか、藁の代わりにすがりついただけかもしれない。

 つかんだ脚を引き寄せるよりも早くにシイタケが近づいてくる。業務用の新しいロボット掃除機だと紹介したら誰もが納得する穏やかな速度で、腰を抜かした女の子一人補食するには十分すぎる早さで。


 少女の背後で空気が裂けた。


 スティンガーの跳躍一発。

 投擲された一槍は狙ったシイタケの脳天を貫かなかった。
 それまでののろ臭さはなんだったのかと問いただしたくなる、電気じみた速度で逃げる。クマの頭蓋骨なら軽くトンネルを作る勢いで投げられた猛槍が、白いタイルにまっすぐぶっ刺さる。一突きの衝撃でガラス片がさらにさらに細かく割れながら舞い散った。


 猛槍の槍身に腕を絡ませて飛び込みの速度を竹のしなりで殺して、スティンガーは床に膝をついた。


「見回りついでに買い物に来て見りゃあ!」


 立ち上がりざまに愛槍を引っこ抜いて背後を見やる。少年じみた笑顔を向けた先には涙目の女児がいる。武器には適さなそうなイスの脚を握りしめて、突如現れたヒーローにぽかんと口を開けていて、みるみる安心と安心からくる涙でぶるぶるし始めた。

 ギャラリー一人ってのがちょっと不満だけどな。まあ、安全カメラがすべて記録していてくれるだろうし、協会への報告証拠には十分だ。


「とんでもねえ怪獣が暴れていやがったぜ。おいシイタケ! 覚悟はいいか!?」


 逃げ遅れた女児を救う、か。なかなかポイントの稼げるシチュエーションだと思う。

 シイタケは避難民にぶつかられるがまま行儀悪く斜めった机の間にでっかい半球体を隠して、乱入してきたスティンガーを見つめている。


 よっしゃ、いっちょ暴れしてやるぜ。パンダの汚名返上戦だ。


「A級12位のスティンガーがテメーをぶっ倒」

 「す」まで言えなかった。


 頭からテーブルの群れにつっこんだ。重ったるい一発を腹に貰った呼吸が止まる。痛すぎて涎が垂れた。

 シイタケの下から長い長いエノキが生えている。スティンガーにボディーブローを叩き込んだ触手が4本うゆんうゆんと踊っていた。もうぱっと見、キノコなんだかクラゲなんだか判別つけがたい形状だった。

 寝転がっている暇をくれる甲斐性なんてシイタケにあるはずがない。

 風切り音をともなってふり下ろされた追撃は転がって避けた。スティンガーの頭があった場所にクレーターができている。

 早い。ぎりぎり動きが見えるレベル。
 強い。コンクリなら俺の猛槍でだってえぐれるが、シイタケの触手は今出てるだけでも4本だ。


 あ、

 これムリかも。


 決断。跳ね起きて走った。
 動作線上で女の子をひっつかまえる算段を立ててお見事ぶっつけ本番大成功、人攫いも拍手喝采したくなるなめらかな動作で女児を抱き上げた。

 片腕に槍、片腕に女の子、内臓ねらいでぶん殴られた痛みを腹に抱えながらスティンガーは自分でも驚く速度で遁走する。女の子がこともあろうかなにかを訴えてわめきだしたが無視、フードコート突っ切ってすぐの玩具売場を抜けて生活雑貨売場も横目に走る。

 あの早さで追われたらまず現状のコンディションでは逃げきれない、やばい、早く逃げ切らないとやばい。
 あろうことかこの非常時に着信つけるバカが居て、腕がもう一本あったらケツポケットの電話なんて放り投げてやるのにと八つ当たりじみた思考をよそに着信は3コールで止まって、



「もしもーし」


 応答ボタンに指一本触れちゃいない。のに、相手は勝手にしゃべり出した。

「はあぁっ!?」
「あ、もしもし」


 しかも、一度たりとも設定した覚えがないスピーカートーク。


「ちょっと待ってくださいね……はい、音量上げました。聞こえますかー?」


 マジで音量が上がった。めちゃくちゃに気味が悪い。ホラー映画みたいだ。


「なんだよアンタ!! 新手の怪人か!?」
「……えーと、こちらはヒーロー協会Z市支部第二オペレーション室です。サポートするので、よろしくお願いします」


 それから「あ、忘れてた」と接ぎ穂を紡ぎ、


「はじめまして。サポートネーム、オペレーションタクティクスコマンダーです。長ったらしいですし、気軽にオタ子って呼んでくださいね」


 のんきな自己紹介をされた。
 気軽にじゃねえよ! こっちは今、生きるか死ぬかの戦いやってんだぞ!!



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