■ 試練、僕の一着




 出勤などとは格が違う。目なんかいつもの倍はでかく見えるような、実に気合いの入った化粧だった。
 出足のりんこにばったり出くわした瞬間のブルーファイアの動揺といったらない。いつもこんな顔なら子どもだって泣かないだろう、キツい目つきをまんまるに見開きその皿にりんこを映した。


「ど、どこかいくのか」


 見るからに出かける様相だといいうのに。あほみたいな質問だ。
 りんこはこれ以上ないご機嫌な笑顔で、


「女子会!」


 わかりやすく目を細めてほっとした。女子会、つまり男はいない。


「協会のか」


 りんこはうれしそうに首を横に振った。


「親友。すーっごくきれいな子なの! 髪の毛ツヤツヤだしサラサラだし、足が長くて全体的にすらーっとしててね」
「そうか」


 ブルーファイアはほほえましげな顔でりんこの女友達自慢を聞いている。
 まさかそれが12年前にりんこを略取した犯人だなどとはまったく知る由もないわけなので、安穏とりんことそのお友達が末永く仲良くすればいいと思っている。





 待ち合わせ場所に彼女は先に着いていた。個人ビジネスだからかもしれない、時間にうるさい子なのである。

 ネオンや街頭の照明にあって、そこの光だけ人の形に切り抜いたように黒い。ワンピースが細いからだをぴっちり包んでいた。藤の色をしたストールが長い髪を巻き込んで風に舞い上がる。腕を組んで、突っ立っている時計の柱に背中と右足のヒールを預けて、いかにも退屈そうな顔つきで人混みを睨める。

 ため息が出そうだ。

 なんてきれいな女の子なんだろう。

 駆け寄りながらりんこは手を振る。が、まだこちらに気づいていないらしい。


「ソニ――」

 りんこが声をかける直前に割り込まれた。

「ねえ君きれいだね、誰かと待ち合わせ?」


 同性の目にもため息が出る美女を放っておくほど繁華街の男は紳士ではない。
 ナンパである。
 あ、と思う。やばい。まずい。


「よければ一緒に」

 夜に溶けそうな美女が口を開いた。

「おい」

 容姿からは想像もつかない、低くてドスの利いた声だった。

 ナンパ男には絶対に知覚できていない速度で襟首をつかみ上げる。冗談ではすまされない力で胸ぐらをつかまれてもなお、男は状況を把握できていない。薄ら笑いさえ浮かべている。


「え、あは、」
「殺されたいのか」


 やりかねない。
 あの子の沸点の低さは略取されてから長々近くにいたりんこはよく知っている。「殺す」と言ったら殺すぞその美人は。


「だめだめダメ! ソニックちゃんステイ! ステイ!!」
「りんこ」

 飛び込んで腕にとりすがった。一般人でもへっちゃらでぶっ殺す力強い手を引っぺがす。
 手を離されてたたらを踏む若い男はすでにソニックの眼中にない。興味は一瞬でりんこに向いていた。

「いつも言っているだろう、遅い。待たせるな」
「ごめんね。久しぶり」
「ああ」


 長くて細い腕で、ストールに巻き込まれた髪をかきあげ風に流した。夜にも溶けそうな黒髪が街灯に艶めく。

 もにゅん。


「元気そうだな」


 なんのためらいもなくなにひとつ許可を得ず、ソニックは右手でりんこの胸をむにゅむにゅと揉む。なんの遠慮もなく、揉みしだく。

 りんこのくりだすビンタを当然の顔でよけて、ソニックは鼻で笑う。


「相変わらずの乳足らずだな」
「じ、自分の方が貧乳のくせに!」

 もう一発、思いっきりばかにしきった鼻笑いを貰った。





 全国展開の居酒屋チェーンなどと言う貧乏くさい店、ソニックは普段利用しない。
 一律一品390円(税込)均一! などとわざわざ赤の太文字でアピールあたりが低脳な感じがする。玄関口に玉砂利を敷いて造花までぶっさしてそれっぽい雰囲気を作っているのも奇妙だ。ソニックにとってはどこを切っても物珍しくてならない。


「予約のりんこです」
「はいお待ちしてましたいらっしゃいませー。二名様、女子会コースですね」
「はいー」
「……」
「……どうかしたの?」


 おしゃれ気取りの間接照明に照らされたソニックの顔付きは、見るからに険しい。
 いぶかるような目でりんこの顔を覗き込む。


「コースやだった?」
「そうじゃない」と言うわりにでっかいため息。「……なんでもない」


 女子会コース。レジの後ろにでっかくポスターまで貼ってある。二時間飲み放題、料理は8品でデザートもついてお一人様1980円。
 もちろん女子限定。
 もういっぱつでっかいでっかいため息をついた。

 心のそこから真意を測れず、りんこは小首を傾げている。本気でソニックを女だと思っているのだから。



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