■ 優しいは下の下



 ハゲが襲ってきた。





「うめえ」で間違っていないはずだ。でなければハムスターのようにほっぺたを膨らませたハゲが、がばがばシチューを噛みしだく合間になんといっているのか全くわからない。まさか「らめえ」ではあるまい。食えと強要した覚えはない。

 りんこは一抱えある鍋の中身が流れるように消費されていくのを唖然と見ていた。恐いのは昨日皿一杯食べただけのホワイトシチューの残りがすべてハゲの腹に収まりそうなことではなく、2リットル近くを納めてなおぽこりとも膨らみをみせない腹だ。ぴちぴちヒーロースーツを着用してなお金属板でも差し込んだようなまっ平ら。

 腹筋?
 腹筋を鍛えればおなかぽっこりしないの?
 私も今日からがんばろうかな……。


「ほかはり」
「はあ、」


 ノーテンキなうずまき花柄の器へシチューをよそって渡す。あいにくハゲの家に深い広い食器はどんぶりくらいしかなかったのだ。

 それにしたも気持ちの良い食べっぷりだ。でっかく乱切りにしてゆっくり煮込んでクリームを吸ったにんじんを、すり下ろしたタマネギにつけ込んだやわらかい鶏肉を、とろけるほうれん草を、スプーンを突き立てればほろっと崩れる男爵いもを、男子高校生でもこうは食べないだろう勢いでかきこんでいく。


「食わねえの?」
「あ、はい。いただきます」
「なんで敬語?」
「いえ別に」
「いいよ普通で」
「はあ、」


 またシチューに戻った。がつがつ食ってる。

 りんこも自分の手にあるどんぶりに目を落とし、自分の家にあるものとよく似たスプーンに手をかけた。
 まだぬくいスープを口に運びながら、思う。

 先週、はじめましてより先にこのハゲている人私を殺そうとしてたよね。
 それで今、なんで一緒に食事してるんだろう……。





 ムナゲヤ本日の特売品、狙っていた『レンジで旨! 中華まん三個セット198円』はワゴンにたったの一つだけ残っていた。
 らっきー!
 伸ばしたりんこの手の上に手袋が被った。本屋ならどきりとしたかもしれないシチュエーション。
 しかし……つい最近この手袋の赤をどこかで見た気がする。それもいやなどきりの方向で。

 顔をあげるのも恐い。
 見ないのはもっと恐い。
 そろりと顔を上げて、


「お、」
「っ!!」


 目があった。

 頭部まるはだかのハゲで、いかにもな全身タイツ風のオールインワンで、ベルトでブーツでマントで手袋だった。
 テンプレートに落とし込んだようなヒーロースーツだが、りんこの勤務しているヒーロー協会の登録にはない。

 確か、「趣味でヒーローをやっている者だ」と名乗ってたような。

 本気で命の危機を感じてしまったせいか今ひとつ記憶が追いついていない。未だにりんこの脳ミソはあの日あの時のZ市ゴーストタウンで迷子になっている気がする。正直悪夢のようなハゲ頭は夢なんじゃないかとさえ思っていた。

 夢じゃない。
 間違いない。

 先週のハゲだ!!


「お前か」


 人間の方の顔を覚えられてる!
 びびりまくった。もう泣く。

 こんな強いハゲ、怪人に変身でもしない限り逃げられるはずがない。

 しかしりんこはヒーロー協会の悪目立ちしすぎる女子制服を着ていて、店内には三日もあればウワサ話を全国津々浦々にとどろかせられるおばちゃんたちが集結していた。

 怪人に変身すれば、身元がすぐばれる。仕事も住処もなにもかもなくす。絶対。自分は去年、全国ネットで犯罪予言された木馬の怪人だから。

 でも怪人に変身しなければハゲの攻撃をかわせない。

 詰んだ。

 ハゲの人が顔をめちゃくちゃじっと見てくる。敵意も感じないが好意も感じない。
 なに考えてるのかぜんっぜんわかんない……!

 ふとワゴン最後に残った中華まんをひょいと取ると、


「ん」


 りんこへ突き出した。


「え」
「先だっただろ」
「あ」


 受け取ってしまった。
 つい「ありがとうございます」なんて会釈までしてしまう自分のふるまいにパニックが増幅されていく気さえする。


「?」
「……」


 おかしい。
 ハゲ、商品パックから手を離す気配が一切ない。


「あの……?」
「ああすまん」


 口先だけだった。やはり未練がましく中華まんの包みをを握りしめている。

 くぎゅう〜〜〜〜〜。


「……」


 ハゲの口元に涎があった。

 お腹をすかせたハゲから特売品を奪うほど、りんこの生活は逼迫していない。手を引っ込めた。


「よければ、」

 どうぞ、は消えた。

「いや! ダメだ、お前のだ!」


 かなり食い気味に言う。未練を断ち切る勢いなのかカゴへ問題のブツをつっこんですぐに背を向けられた。
 去ろうとするハゲ頭に「……今日の飯どうしよう」と書いてある。


「……」


 マントに指をかけて引き留めた。


「あの!」


 りんこの家に、作り置きのシチューならばある。



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