貴女は知らない。
2年前のあの日、俺もテレビの前にいました。
炸裂するシババワの未来予知を前に、途方もないほど人がいい貴女のことが心配でした。
予言の実現を防ぐため、自ら命を絶つのではないかと。
貴女にはそういうところがある。自分に価値がないと思っている。自己の存在に意義どころか罪悪感を抱いて、降りかかる理不尽すべてを自業自得だと諦めてさえいる。
だから――。
○
おかしなこともあるものだ。
ジェノスの内部、脊髄反射に直結された攻撃衝動は沈黙を守っている。のに、アイアクセラレータが自動起動した。
間延びした時間感覚の中で、りんこが飛来するわずかに一秒が永遠に思える。
倒れ込むようにジェノスへ向かう体に引かれて、背に髪が舞い上がる。
初めて出会ったときより、ずっと短くなっていた。
最後に見たときより、ずいぶん伸び長くなっていた。
そこ以外は3年前からタイムスリップしたように変化がない。腑抜けきった笑顔も声も、不揮発メモリ最深部へ大事にしまい込んだデータとほとんどずれちゃいない。どうせすぐ泣くところもすぐ笑うところも変わってはいない。
なだれ込んできた記憶が足を動かさせた。
右へ一歩で十分だった。
アイアクセラレータのリンクを切断。処理能力が下がって現実時間に引き戻されたジェノスの目には、スローモーションで飛んできたりんこが突如加速したように映る。
当然の結末が起きた。
ごちん!
「っ……〜!?」
ジェノスが身を隠していた電柱にひたいをぶつけた。とても勢いよく。
のたうち回るりんこを見下ろして、
「りんこか」
身の内にあふれた記憶が強制装備されて、3年前となんらかわらない言動を取らせた。
「こんなところでなにをしている。エビの真似か。恥ずかしくないのか」
「いだい……そこのね、ヒーロー協会で働いてるの、私」
虚勢は、はじめこそ心の防具だった。
しかしいざ外そうとしたらいかんともしがたい力でもって締め付けて離れない。3年もあれば錆びるだろうと、高をくくっていたのに。
完全に呪いのアイテムだ。教会でも外せまい。
自前の脳から送り出される信号に、表情データは見事な『嘲笑』を作り上げる。
「お前にオペレーションされるなんて、ヒーローも苦労する」
「うっ、相変わらず辛辣……!」
女の子座りでジェノスを見上げて、赤くあとがつく顔面をさするりんこはやっぱり泣き虫が収まっていない。
とてつもない罪悪感。
しかしやはりというべきか。りんこはりんこのままだ。泣いたカラスがもう笑う。
「でも、本当に久しぶりだね! ずっと会いたかったよ」
にやけを再現しかかった表情筋へ、停止信号が送られる。
「俺は二度と会わないつもりだった」
あああああ!
どのシステムが止まれば口を噤めるのかがわからない。思っていることはなに一つ舌に載らない。
笑顔で固まったりんこ顔がほんの少しうつむいた。
「……そっか」
ああああああ!!
苦笑が直視できない。ボディはどんどん取り替えられて体ばかりでかくなって、当時から使っていたパーツなんて体のどこにも残っていないくせに、唯一換えのきかない脳ユニットは救いがたいほど成長していなかった。
「じゃあ、私行くね」
「ああ」
長くて平べったい箱がはみ出たレジ袋をガサつかせてりんこは走る。車道を渡った向こうの岸で振り返って、ジェノスに向かって大きく手を振り笑ってくれた。のに。
「……」
無言。
不動。
ジェノスはかたくなに無反応。
困り果てた末に出る笑みというのはは犬に似ていると思う。名残惜しげにジェノスを見てから、りんこは職員通路へ消える。
もう背中も見えない。
せっかくの再会だったというのに。
時を止めて立ち尽くすジェノスをきれいなお姉ちゃん二人組が「イケてない?」「ヤバい!」と指をさす。声かけよっか、きれいなお姉ちゃんが近づいた瞬間だった。
電柱に頭蓋フレームを打ち込んだ。
固くてぶっとい棒に、真っ黒い亀裂が走った。パララと細かい破片が落ちる。痛がるそぶりも見せず反省のポーズのジェノスに、きれいなお姉ちゃん、「イケてない」「ヤバい」と口々に逃走する。
ジェノスは動かない。
死んでいるのかもしれない。