荒げた声で落下した掛け時計をかけ直す。まるきりなにもなかったような顔で、サイタマはどっかりあぐらをかいた。
「仲直りできたか?」
サイボーグにだって黙秘権はある。法廷ならば。
「え、まさか」
しかしサイタマは容赦なんてしない。そんな生ぬるいハゲではない。
ジェノスは顔をそらして、言い訳する子どものような歯切れ悪さで、
「会って嫌がられたら、どうすればいいかわからなくて……」
「お前にも遠慮ってできたんだな」
○
ウワサではくしゃみは出ない。
りんこは今日も今日とて第2オペレーション室のパシリをやっている。
今もほら、「茶」の一言に文句もなく淹れたコーヒーをお盆に載せて第2オペレーション室へ戻ってきた。信用のないりんこに代わって、つぶらが軽々コーヒーをサーブ。ウェイトレスのようだ。
見ている分には簡単なのになあ。
残った一個を貰ってりんこも自分の席へ戻る。災害発生データのまとめが後一歩で完成しようとしていた。
キーを片手で叩きながら、協会ロゴ入りのマグを口に持ってく。
ウワサでくしゃみは出ない。
少なくとも本人はそう言った。
「ふぁっしょん!!」
ひっくりかえりそうなものすごいくしゃみ。
コーヒーが飛ぶ。
ばっしゃあ。
「!!」
「キサマりんこ――――――!! またか! またやったのか!!」
マッコイ室長のげんこつだって飛ぶ。
○
「大丈夫だから行って来い」
そうサイタマが言った。
だからジェノスはヒーロー協会Z市支部の前に立つ。
「お前からされたことは別に何とも思ってねえよ、だって俺も初めて会ったときはりんこ殺すつもりで殴っちゃったし」
「え!?」
「いやまあ殴らなかったんだけど……うん。今ではあいつから平気で話しかけてくるから。お前次第だよ多分な。ほら行け早く行け」
やたら行けが多かったがジェノスは気にしていない。いつまでも尻の重い自分を促してくれたものと本気で信じている。
ヒーロー協会のZ市支部を見上げた。地下で巨大宇宙戦艦を建造中だと言われたら一も二もなく納得する船橋のような外見で、はじき返す太陽光と違和感と振りまきながらオフィス街にデンと居を構えている。
その前には当たり前の歩道があり、どこにでもある車道が挟まれ、見慣れた電柱があって、
「ままーロボットー?」
「しっ見ちゃいけません!」
まんまと追い出された19歳のサイボーグが身を隠している。
頭隠れず尻隠れず。もはや笑いを取りに来ている次元ではみ出した肩部の装甲で、電柱がトーテムポールのようだ。
ヒーロー名簿にも載っていないサイボーグ。
物陰からヒーロー協会の様子をうかがっている。
誰もが一も二もなく目をそらした。狙いがわからなくて恐い。
当の本人は衆目などとうの昔に埒外で、サイタマ宅を飛び出した時には張り裂けそうにぱつぱつしていた乗り気がいざ目前で目を落としたらぺっしゃんこにしぼんでいたことに呆然としている。
ヒーロー協会ははそこにある。
第2オペレーション室にりんこさんがいる。
決断した。
帰る。
今更会いたいなんてやはりムシがよすぎだ。
自分の態度と仕打ちをりんこの立場から鑑みれば答えは一発で出た。
喜ばれるはずがない。
臆病風に吹かれるまま踵を返し
「ジェノス?」
そびれた。
「やっぱりジェノスだ……」
居た。
衝撃で全プロセスがフリーズした。
近い。パーソナルスペース侵害上等な位置につむじがある。まずは自分の攻撃衝動がキックされないことに安堵する。やはり怪人変身が原因で間違っていないようだ。
それにしても見慣れないつむじだった。
……りんこが小さい。
縮んだ?
違う、自分だ。
今ここで動く脳の代役に擬似脳波を流されてコールドスリープバットに入り半冬眠している自分の肉体、その成長に合わせて換装される機械体はいつの間にりんこを追い越していたのか。
「ひっ」
ぶるぶる肩までふるわせてうつむいていたりんこのどもりに、ジェノスの緊張が最高潮に達する。
ありもしない心臓が張り裂けそうだ。
「久しぶり!!」
がばりと上げた顔、なにも変わらない笑顔のりんこがジェノスに飛びかかる。