■ 再会サイボーグ





 本当に、なんとなあく聞いただけだった。


 ベランダに続く部屋一番の大窓の外では蝉がしゃわしゃわ鳴いている。

 フローリングの冷たさを求め部屋をごろごろしていたサイタマはすでにジェノスを客として扱っていない。パンツ一丁の姿で着替えるそぶり一つ見せちゃいない。それにしても、ピンクのハートのトランクスってどの面下げて購入したのだろう。
 冷たい麦茶を一杯出したらほうっぽらかしてマンガを読んでいたわけだが、いつものごとくジェノスからは「復讐」だの「強く」だの「秘密を教えてくれ」だのと長口上がほとばしる。


 だから筋トレつってるだろうが!
 信じろ!!


 進化の家のおもしろ動物達が来たときとほぼ同じ話を繰り返されるうち、ふと、


「Z市にも狂サイボーグ追いかけてたのか?」


 そっちに行けそっちに、俺の家に居たって麦茶しかでねえぞ。
 茶々も込めた問いに、しかしジェノスの黒い白目が輝いた。


「聞いてくれるんですか」


 あっ地雷踏んだ。


「待った別に」
「三年前――」
「くっそ自動再生だ!!」
「ある女性と別れたんです」
「恋愛遍歴とかモテ自慢とかいらねえからな!」
「モテ……? 別れる直前、俺はその人を殺そうとして、」
「はあっ?」


 いきなり不穏な。
 方向転換が急すぎてついていけない。何こいつ、フられたの。フられてキレて殺人? 頭のねじがはずれてる。


「返り討ちに遭い」
「んっ!?」
「四肢をもがれました」
「……」
「その人は俺の前から姿を消し、以来ずっと連絡も取っていません。しかし旅の途中でそれらしい人がいるとウワサを聞き、一目元気な姿を見たい、できるなら謝ろうとZ市へ来たんです。しかしあの蚊の化け物、そしてサイタマ先生! あなたの強さを見せつけられました! 先生俺は」
「あ、その続きは十分聞いてるから」


 ついてけねえ。
 もしかすると最近の若いヤツってこういうノリなのか? 別れ話で殺すだの返り討ちだの……まさかな。特殊事例だ、多分。


「……」
「……」


 えっ、それで終わり?
 ちゃぶ台の前で麦茶にも手をつけずにちょこんと正座をする機械人間の表情は、すでに「弟子入りを許してくれるまではテコでも動きません」ヅラだ。


「もうちょっと詳しく話せよ、気になるだろいろいろ」


 すっげえびっくりされた。なんだよその顔。

 うつむいて口元に冷たそうな指を当てて、考え込むポーズで石像のようになる。
 ジジッと蝉の一声、外敵から逃れて飛び立つ羽音ののち、ようやくジェノスは顔をあげた。
 困った顔だった。


「20文字いないではまとまらないのですが……」
「さてはお前根に持ってるな」





 正義の旅人でした。
 年齢は――サイタマ先生が、25でしたね。大体同じだと思います。

 俺の街が破壊された時に出会いました。

 そこかしこが燃え盛り、狂サイボーグの手が迫り、本当にもうだめだと思ったその時に彼女は飛び込んできました。軽やかな身のこなし、高く響く足音、火の粉の光を浴びて長い――その頃はとても長かった髪の毛をはためかせた背中をよく覚えています。しかし彼女も狂サイボーグにはかなわなかった。

 俺は彼女に手を引かれて逃げ、クセーノ博士と出会い、サイボーグになりました。

 唐突な全身のサイボーグ化は俺のニューロンと齟齬を起こしました。後から思えば中央演算装置と自前の脳味噌が命令をダブルブッキングさせていたせいで神経系に混乱が生じ起きたストライキでしたが、そのときの俺にはわかりません。
 強くなるために肉体を捨てたのに機械の体を動かせず、復讐心だけが脳を支配して頭がおかしくなりそうだった。
 その時にもその人は俺の脳と鉄の体の同期プロトコルを実装してくれました。

 リハビリ、戦闘訓練、日常生活にいたるまであらゆる手を貸してくれた、本当に優しい人です。旅の仕方だってその人が連れて歩いてくれて覚えたことがたくさんあります。

 記憶が飛ぶほど脳をいじくられ、
 焼却法をのっとられて彼女の武器にされて、
 俺はそのたび自分の弱点に気づくことができたんです。
 だというのに――俺はなぜ、あの人への恩を仇で返すような真似を――


 サイタマは鼻の穴に小指をねじこんでクソをほじくり始めた。自分の話に夢中でジェノスはまったく気づいていない様子だが。

 毛の荒廃した頭の中で形成される女の像は、ジェノスをぼこにできるゴリラ、脳味噌をいじくるためになぜかスパナを片手にもう片方の手でジェノスを姫抱きにしている。嫌気がさしてきた。


「そうして一年が経とうかという頃です。俺と彼女は悪を倒すべく戦闘態勢に入りました。しかし、彼女がいつもどおりの戦闘準備をした時、俺は悪へ向けるつもりだった拳を彼女に振りかぶっていたんです。なにが起きたのか、なぜ俺は彼女を攻撃しているのか、その時は止めようとさえ考えられませんでした。ただただ、彼女を殺す、そればかりで」

「へー」


 小指と親指で掘ったばかりの鼻くそを丸めるサイタマは、やっぱりなんにも聞いちゃいない。
 つまり、いろいろあってキレたんだなー。


「俺は、もう一度りんこさんに会いたい。どうしても謝りたい」
「りんこ?」
「はい、その人の名前です」
「なあ」
「はい」
「りんこって馬?」


 ジェノスが目をかっ開く。

 誰の目にも「イエス」。


「え、まじかよ……まじでりんこ……?」


 そうだろう。
 この世の中に木馬に変身できるりんこという女が二人いるとしたら、世界が広すぎて手に負えない。


「ご存じですか先生!?」
「いや……知ってる、知ってるけどちょっと待て……」
「どうしたんですか、まさかりんこさんになにか」
「元でもあいつの恋人とかほんっと知りたくなかった。くっそ、ヘコむな。うわあ」
「……先生」
「あ?」

 あまり言いたくないことだが、言った。

「俺とりんこさんは、そういった……男女のおつき合いをしていたわけではありません」
「えっ!」

 ぱっ、と。
 表情変化が激しい。暗い顔が一挙に喜色へ振り切れて、一瞬頭が光って見えた。


「マジでかーなんだ」


 サイタマは眉間のしわを押さえていた指先を離す。ジェノスに出したはずの麦茶を勝手にとってためらいひとつなくくいっと飲み、


「先生」
「?」
「りんこさんに恋愛感情を」


 吹いた。

 ブバッといった。

 歯の隙間から噴射された麦茶が雨粒の細かさとなって顔面を襲う。頭からびしょぬれにされてもジェノスはものともしない。「で、どうなんですかと」のぞき込んだ目が問う。


 サイタマは答えられない。
 四つん這いでフローリングに向かいげっほげほしている。海難事故から救助された人は多分こんな感じでむせるだろう。

 がっと身を起こし仁王立ちとがに股の中間の体勢で、近所迷惑上等な声量で叫んだ。
 その姿、頭頂部までの赤一色。


「ちっげ――――――――――――――――――――から!!!!」


 蝉さえ黙った。



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