違う人 1.0
寒い日だった。
マフラーをぐるぐる巻きにして、キレイなオレンジのコートを羽織って、ベンチに深めに座り、はやめに出ている月を見上げてた。
目を軽く細めている横顔が綺麗だと思った。
「こんなとこでなにしてんの?」
「え、あ、日々人さん」
「なんで"さん"」
「月の先輩だから」
と彼女はクスクス笑う。
ジャケット姿の日々人は彼女の隣に腰かける。
最近はジャンプスーツを着る機会もめっきり減ってしまった。
日々人チェアマン、は面白くない。
「いやー…こちら側から観る世界はいつでもキレイだなあと思って。
夕焼けも朝の光もお月様もー」
朝の光が1番好きかなーと独り言のようにふわふわした言葉。
「なにどうしたの」
「どうもしないよ」
平常運転、とにーっと笑った。
ちゃんは数少ない同期だ。
年上の同期が多い中、ちゃんの方が1つ上だが年も近く、仲もいい。
すれ違う時は意味もなく、ハイタッチするのが2人の習慣だった。
月面行きが決まった時は誰よりも喜んでいた。
悔しいとかそういうのは全然感じられなかった。
月から帰ってきた際には、この日だけは優しく優しく両手でタッチして手をぎゅっと握り「おめでとう、おかえり」と目を潤ませてくれた。
日本に彼氏がいるとかで、そういった関係には発展しなかったし、彼女はそういった恋愛関係のことをはぐらかしたり、話さないのが上手だった。
いろんな事に当てはまるが、少し本質的なことになると、いつもうまいことかわされていた。
掴み所がない、という言葉がピッタリだった。
他人との線引きが上手なのだろう。
いつも元気で笑っているのが印象的だったが、今日は元気がないように見える。
少し泣きそうにも見えるし、もしかしたら日々人に会う前は泣いていたのかもしれない。
唐突に「さて、日々人も来たし帰ろうかねー」とベンチを立つちゃん。
しかし歩き出すわけではなく、立っても尚、月を見上げていた。
しばらくして
「日々人あのさー…」
その表情に笑顔はない。
いつにない表情のちゃんを日々人は不思議そうに見上げた。
「…なに?」
意を決したように息を吸い込み、
「抱いてほしいんだけど」
一気に言う。
ダメかな?と困った笑顔でこちらを向く。
「…いいよ」と日々人は短く答えて立ち上がる。
呆然としているような、困った顔をしているちゃんの頭をポンポン、として駐車場に向かう。
その後ろをちゃんは歩いた。
日々人は自転車で来ていたのでちゃんの車に積んで帰ることになった。
「うち来てよ。ごはん、作るし」
「おれ手料理飢えてたんだよねーやったー」
「あれ、今ムッちゃんどっか行ってるっけ?」
「今NEEMO訓練中ー」
「そかそかー」
気不味い空気が流れる。
日々人こそ普通に接してるつもりだが、言い出したちゃんの方がドギマギしていた。
それでも久しぶりに会うからか、沈黙にならないようにしていたのか、話は途切れなかった。
「どうぞ上がってー」
「日々人さん、それ私のセリフだから」
と家に着く頃には冗談も交わせるくらいにはなっていた。
…
エプロンをして台所に向かうちゃんがいる。
後ろに一つに髪をまとめて、赤いエプロンをしているちゃんはより一層彼氏を愛しい想いにさせているのだろう。
「この姿彼氏が見たら怒るよね」と笑いながら冷蔵庫を開ける。
…もっと怒られるようなことをこれからしようとしているのだが。
開けるとホールのケーキがあった。
フルーツたっぷりのタルト。
プレートが上に乗っていて、昨日の日付けとHAPPY BIRTHDAY!とチョコレートで書いてある…バースデイケーキというやつだ。
当然ながら日々人の誕生日ではない。
「ちゃんこのケーキ…」
と言ったところで、ちゃんはこの存在を忘れていたのだろう。
顔色が変わって、手に玉ねぎの細かいものを付けたまま、冷蔵庫のドアを抱きかかえるようにして閉めようとする。
「ごめん…見なかったことにして」と俯きながら消えそうな声で話した。
ドアはとても静かに閉まった。
「ちゃんあのさ、」
水が流れる音がする。
玉ねぎまみれだった手を流しながら、遮るように話す。
「ごめんごめん、お客さんにお茶も出さないで。なにがいい?お茶?コーヒー?ビール?帰りは送って行くからお酒飲んで大丈夫だよー」
とこちらは向かずに話す。
「なににする?」
と冷蔵庫に手をかけて聞く頃には口角をあげて笑顔を作っている、いつものちゃんだった。
「じゃあ…お茶」
「はーい」
日々人の隣を通ってグラスに手を伸ばす。
パタパタとソファのもとに行ったかと思うと「ここ座っててよ」と赤いソファの背もたれをとんとんとする。
相変わらず冷蔵庫近くで突っ立っている日々人に声をかける。
パタパタとお茶を持って来て
「麦茶だよー夏が懐かしくない?」
と持ってくる。
テレビを付けて、
「今日和風ハンバーグにするー」
ともう日々人に言っているのかどうなのかわからない言葉を口にしている。
彼女は気不味いと沈黙を作らないようにするんだな、とわかった。
テレビを付けたのもそうだ。
ちゃんはまた台所に向かい、料理を作りだした。
テレビの横の写真たてが伏せられていた。
見てはいないがきっとそうだろうなと日々人は思っていた。
やっと辺りが暗くなった頃だった。
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