直接話し合った方が良い、と言ったのは僕だ。
柑橘系の香水をつけた彼女をことを僕はあまり好きではなかった。鼻が悪いのか香水の香りが強すぎたし、なにより彼女に似合っていなかった。柑橘系の香りが鼻腔を突いてひどく不快だった。しばらく柑橘系のものを食べる気がしなかったほど。
どんな女か、と聞かれればさして特徴のない女だと答える。顔立ちはそれなりだったが、さほど優れた容姿とも思えない。日本人らしい黒髪を真っ直ぐに伸ばした、淑やかそうに見える女だった。中身の方までそうだとは限らないけれども。第一印象は気にくわない、だった。理由はわからない。
エリーが彼女と付き合うと言ったとき、反射的に反対の言葉が出そうになった。それを押しとどめたのは、彼が僕に純粋に喜んでほしいと思っているように見えたからだ。そうなんだね、とだけ言うと少しほっとしたように笑っていた。
それからエリーとの関係が変わるかもしれないと思ったけれども、そんなことは無かった。僕が遊びの誘いをすれば乗ってくるし、常のように僕の家に遊びに来たりもする。彼女ができたことで少し疎遠になるかと思っていたがそんなこともなかった。それはいいとして、時折隣に彼女がいるのが少し不満ではあった。彼女の方は僕の比ではなく不満だったようだが。
勘違いされたくはないので言っておくが、彼と僕は幼馴染みの親友同士だ。だというのに妙な勘ぐりをする連中もいる。彼女もそういう手合いだったようで、あまり良くない視線を向けて来られたこともある。それを伝えるとエリーは申し訳なさそうにして、よく言い聞かせるからと言っていた。
何せ十年のつきあいだ。彼女より幼馴染みの僕が優先されるのは至極当然のことだと思ったし、僕だってそうするだろうとも思った。そういう男の友情を理解できないことが、彼らの破局に繋がったのだと思うと複雑な心持ちがする。
彼女が浮気をしたんだ。
そう言ったエリーの顔はすっと冷めていて、彼女といたときとは別人みたいに見えた。そうなんだ、と答えた僕の顔も冷めていただろう。そんなの、穢らわしくてたまらない。
彼と彼女が別れて少ししてからの帰り道、エリーから遊びに来ないかとメールがあった。そういえば、あのことがあってから彼の家に行くのは随分と久しぶりだ。いろいろとごたごたしていたし、少し落ち込んでいるようにも見えたので。
エリーのマンションは一介の学生が住むには広すぎる上に外装もしっかりしている。エリーの実家はお金持ちだから。彼女が好きになったのはそこなんじゃないか、なんて勘ぐってしまうほどに。ドアの右横のインターフォンを押すと、はい、と返事がある。少しして扉が開いた。
「ひびき、来てくれてありがとう」
にこやかに笑ったエリーの顔は普段通りに見えた。ただ、柑橘系の匂いがエリーからしていた。香水ほど濃厚な匂いではないけれども。
「エリー、何か料理でもしてた?」
「いや。果物を食べてただけ」
玄関先にある扉を開くと、柑橘系の匂いがすっと強くなる。フローリングの床の中心、白いアンティーク調のテーブルの横に二人で座る。丁寧に剥かれた蜜柑の皮が花を咲かせた形のままゴミ箱に落ちていた。
「夏みかん?」
「そう。なんとなく食べたくなって」
珍しいね、とつぶやくとエリーはふっと笑う。眉尻を下げた笑い方は少し傷ついている時のものだ。ポーカーフェイスだと言われることがあるみたいだけれど、僕にとっては彼の表情はとてもわかりやすい。
「ショックだったの、彼女のこと」
彼にとっては初めての彼女だったというのに、彼女は最悪の形で本性を現した。エリーが傷ついていても仕方のないことだろう。浮気をする女なんて最低だ。薄汚くて穢らわしい。
そうは思うもののやはり複雑だ。あんな女のせいでエリーが傷ついているのはひどく理不尽なことに思える。エリーにも悪いところがあった?いや、問題はそこにはない。仮にそうだったとして、エリーを裏切る理由にはならないはずだ。
「……ひびきは鋭いよね。つきあいが長いからかな」
「彼女に未練がある?」
「ううん、僕が彼女の本性を見抜けなかったことが情けないだけ」
「そっか」
軽く頷いてエリーを見つめる。エリーの白い指先は仄かに黄色くなっていた。丁寧で少し神経質に剥かれた蜜柑がオレンジ色の皮の上に並べられている。
「ひびきも食べる?」
エリーが白い首をわずかに傾けて問うてくる。灰白色の髪が肩口にさらりと流れた。いつの間にか少し髪が伸びたような気がする。そういえばしばらく柑橘系のものを食べていなかった。いろいろと思い出してしまうから、かもしれない。
「一つ貰えるかな」
エリーの目を見つめて言うと、細い指が差し出された。蜜柑を一房摘んだ、ほんのすこし黄色く染まった白い指。意図を汲んで軽く口を開ける。差し出された指ごと軽く噛むと、酸味の効いた甘い味がした。美味しい?とにこりと笑うエリーにもう一つ、と催促することで答えた。
この匂いは嫌いじゃない。あの女はもうこの部屋に来ることはないのだろう、と思うと少し胸がすっとする。彼が彼女と別れたことは幸福ではない。――けれど、不幸でもないはずだ。あの女はもうエリーの側にいない。それで十分だ。
「ひびき、今度遊びに行こうか」
「うん、二人で?」
そうだね、と笑うエリーの顔からはすっかり陰が無くなっていた。ならばそれでいい。少なくとも彼が不幸でないなら、僕はそれで構わない。



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