彼はあまり笑わない少年だ。それは子供の頃からで、楽しくないからというわけではなく感情が顔に出にくいからなのだと、付き合いの長いエリアスには分かっている。
さらりとした癖のない、東洋人らしい黒髪を後ろから眺めた。彼は少しだけ背が高いから自然と見上げる形になる。あと少し背が伸びたら、と思ったこともあった。今更詮無い事ではあるのだけれど。
生温い空気が厭わしかった。日本特有の湿気た気候だけは、結局慣れることができなかった。歩き続ける二人の他に人気はなく、足音だけが響く。会話は無かった。掛ける言葉がなかった。ともすれば情けのないことを言いそうな自分が嫌だった。
空は憎らしいくらいに明るく青かった。照りつけが眩しくて汗を拭う。時折彼のうなじに汗が光るのを眺めて、生きているのだと当たり前のことを思った。
「エリー」
エリアスの名を呼ぶのと同時に、少し幼い白皙が振り返る。眼鏡の奥の黒瞳は大きく、彼の童顔を際だたせている。最も、自分が言えた義理ではないのだが。
そこは開けた空間だった。花や雑草が思い思いに繁っていて、鳥の声が時折聞こえた。小さな頃、よく遊んだ場所だった。とても綺麗だったはずなのだけれど、今見るとうらぶれた寂しい場所に見えた。人々に忘れ去られた、荒れた空き地。
「ここでいいよ」
いつも通りの静かな表情で言う彼に小さく頷き返す。彼がそれでいいと言うのならエリアスから言うことなど何もなかった。最後くらい、彼の好きなようにしてあげたいと思っていたから。
本当は言いたいことがたくさんある。けれど、そうしたところで今更どうにかなるものではないことをエリアスは知っていた。それに、彼の決意を汚すわけにはいかなかった。右手に持った杖に力を込めて、息を吐いた。
ふと彼の細い腕が伸びて、エリアスの目元に触れた。ぱちぱちと瞬くと、彼は珍しいほどに優しい顔をしていた。
「泣かないで」
彼にそう言われて初めて、自分が泣いていることに気づいた。
どうしてだろう。慌てて手を当てて拭ってみても涙が止まりそうにない。辛いのは自分ではないはずなのに。
「ごめんね、エリー。君にこんなこと頼んで」
どうして彼は謝らなければならないのだろう。これから死んでいく彼が謝る必要などないはずなのに。いいよ、と言ったのは自分なのだから。
それなのに体が全く動こうとしてくれない。人形のように突っ立って涙をぼろぼろと流し続けるエリアスの体が優しく抱きしめられた。汗の匂いが鼻腔を擽る。
「ひびき」
「うん」
「嫌だよ、死なないでよ、ひびき、」
「うん。ごめんね」
エリアスを抱きしめたままのひびきの手が優しく背を撫でるので、エリアスは何も言えなくなる。態度は冷たいけれど本当は優しくて、そういうところもとても好きだった。だから本当はこんなことしたくなんてなかったのに。
夏休み、子供だった二人が駆けたこの場所で、ひびきはすべてを終わらせようとしている。幼かった自分たちは、そんなことなど想像すらしていなかった。
どうしてこんなことになったのか。どうして、こんなことしかできないのか。頭の中で疑問を巡らせても、できることなんてもう何もないのだった。
エリー、お願い。
耳朶に注がれる言葉を聞いて、きゅっと唇を噛む。
震える唇を開いて呪文を紡ぐと、世界が静止した。
ふらふらと飛んでいた羽虫が地に落ちて、永遠に時を止める。蒸すように暑かったそこは零下を越えて凍り付き、すべてを奪い尽くした。音も温度もない空間でエリアスだけが1人呼吸をしている。抱きしめている体からはもう鼓動も呼吸も聞こえない。じわじわと目の前が滲んで何も見えなくなる。
自分より少しだけ大きな、けれどやはり小柄な体から力が抜けていく。エリアスの細い体では彼を支えきることもできず、彼の体を抱き留めたままへたり込んだ。凍った草がエリアスの柔肌を切って血がしたたり落ちる。
少しずつ世界に温度が戻っていく。エリアスを抱きしめた体だけはひやりと凍り付いたままで、ぴくりとも動かない。幼げな童顔の中の長い睫毛に霜が降りていた。形の良い唇がほんの少し緩んで笑みの形を作っている。あまり苦しまなかったのだろうか。それなら、いいのだけど。
「ひびきの笑ったところなんて久々に見たなあ…」
何もこんな時に笑わなくたっていいのに。もっと違うときに笑ってほしかったのだけれど、それはもう叶わないことだ。
――すぐに行くから。待っててね、ひびき。
きっと彼は怒るだろう。けれど、彼にそう頼まれた時にもう決めていたのだ。人殺しは死ななければならないから。
人殺しの自分が、彼と同じ場所に行けるだろうか。そうだったら嬉しい。行けないのなら、…彼だけでも幸せなら、それでいい。
じわじわと温度を増していく世界は正常に回り始める。エリアスとひびきだけが置いて行かれた。それで構わない。あの夏の楽しかった日々にはもう戻れないのだから。
ひびきの髪をもう一度優しく撫でる。そうしてカッターナイフを喉に押し当てると、一気に力を込めた。



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