彼は良く日本で流行しているものや、昔話などをしてくれた。英国から遠く離れた国のそれらは僕にとって新鮮で面白く、よく話をせがんだものだ。そうすると彼は可憐な少女のような顔で笑い、また面白い話をしてあげるからね、と言ったものだ。
童歌や手遊びなどもいくつか教えてもらった。国民性なのか、日本の童歌は少し恐ろしさを含んだようなものもあったのだが、彼らはそれを違和感なく使っているらしい。文化を知らないため言葉だけの印象を受ける僕とはそこが違う。いとも容易く恐ろしいことを口にして、けれどそれが本当になるとは思っていない。ただの慣用句みたいなものだからだ。僕はといえば真正面から信じてあれこれ心配したり驚いたりしていた。そうすると彼は馬鹿にするでもなく優しく説明をした。
つまるところ僕と彼の言葉には少しギャップがあった。特に問題なんてないと思っていた。友人なのは代わりがないからと。
けれど人間はほんの少しの言葉で殺し合いをする生き物なのだ。それを僕は忘れていた。
今更そんなことに気づいたって、もう遅いのだけど。




ごめんね、と彼が耳元で囁く声にすっと体の温度が冷えるのが分かった。
僕のベッドの上、横たわる僕の口元に柔らかな布が押し当てられる。繊細な指先が力を込めてきた。
鼻と口を覆う薬剤は嫌な味がする。麻薬だか麻酔だか分からないが、僕を眠らせて身動きをとれなくするものだろう。薄く目を開けて見つめた緋澄は、いつものかわいらしい少女のような装いのまま、すまなそうに眉根を寄せていた。夜目にもあかるい白い肌がぽっかりと浮いているように見える。
再び大きく目を開くと彼が息を飲む。彼の少女のような紅い唇が言葉を紡ぐ前に、部屋の温度が奪われた。ひゅん、と風を切る音。数瞬の後、噴水のように鮮血が吹き出して天井にまで模様を描いた。
「…ぁ、」
紅い唇が戦慄いたけれど、僕の耳には言葉として届かなかった。驚いたみたいな困惑したみたいな顔で彼の体が後ろに傾いでいく。
僕の口元を押さえていた手が離れ、僕の上にのし掛かった姿勢のまま緋澄は倒れた。リノリウムの床に鮮血が広がる。
氷の鎌を構えた騎士の姿をした使い魔は一礼すると闇に溶けていく。醒めた瞳でそれを眺める。視線を下ろすと不自然な体勢で死んでいる彼が目に入った。
瞳孔が開いて、血の気が失せて。水たまりができるほどの血の海に沈んだ彼は完全に死んでいる。自分でやったことなのになぜか見ていられないような気がした。
「……そういえば、君には僕の話はあまりしなかったね」
呟く声はざらりとしている。麻酔で舌が僅かに痺れ、喉がひりつく痛みを発していた。
彼の話を聞く方が好きだったから、自分の話はあまりしなかった。それに話をするより実践して見せてあげれば彼は喜んでくれた。魔法理論や呪文についてなんて詳しく話しても面白くはないだろうと思っていた。
だから、そう。僕が人ではなく、薬が効きにくいことなど知らなかったのだろう。
そしてきっと、これは最大の誤算だ。
「……人を1人殺すくらい、呪文を唱えなくてもできるんだよ。緋澄」
君が思うほど僕は弱くないし優しくもない。そう言っても彼は信じてはくれなかったけれど。
呟いた僕の顔からは、すべての表情が消えていただろう。少し驚いたような顔のまま凍り付いた彼は美しい氷像のようだった。けれど彼は僕を裏切って殺そうとした。何も知らない無垢な顔をして。
僕は自分を裏切った人間を許すほど優しくない。それも、僕を友人として扱っておきながら殺そうとまでした彼を、どうして許すことなどできるだろう。
彼が微塵も友情を感じていなかったという訳ではないと思う。彼がもし麻酔を使わず刺し殺されていたなら僕は一溜まりも無かったかもしれない。不意を突かれた魔法使いほど間抜けな者はない。
その優しさが君を殺すんだ、緋澄。半端な優しさが。
また面白い話をするからね、と彼は言った。それはもう永遠に叶わない。あの時の彼は僕を殺さなければならないと知っていたのだろうか。約束など忘れていたか。それとも、元々ただの軽口だったか。そんなことすら、もう永遠に分からなくなってしまった。
目の前で失血して命を失い、女の姿で横たわっているのはただの殺し屋だ。僕を殺そうとした彼は僕が知る穏やかに笑う少年では無い。
それなのに心のどこかが悲鳴をあげるのは、彼のことをまだ好いている自分がいるからだ。こんな思いなんてしたくなんてなかった。
「……うそつき」
約束を破ると針を千本飲まされるのだと、そう教えたのは君なのに。



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