カタカタ、とキーボードを叩く音が部屋に響く。
液晶の光がエリアスの青白い顔を照らす。煌々と明るい人工の光が白い髪を青く染めていた。暗い部屋の中でパソコンの画面だけが明るい。画面の中ではローブを着たキャラクターが緑の平原を駆けている。
エリアスのキャラクターは魔法使いだ。力は無いが賢く遠くからの攻撃が得意で、鍛えれば一度に何人もの敵を倒せる。そこがいいのだ。たくさんの敵を簡単に倒せるところ。
本当に魔法使いだったらよかったのに。それなら何があったって悪い奴を倒せたのに。
無音の部屋にインターホンの音が聞こえて肩が跳ね上がる。エリアスは人間がきらいだ。ほんの一年ほど前のエリアスはそうではなかった。
そろそろと椅子から立ち上がり、スリッパを履いて玄関に向かう。そっとインターフォンのカメラをのぞき込むと、少し小柄な幼なじみが立っているのが見えた。黒髪で眼鏡をかけた真面目そうな優等生の容貌。ほっと息を吐いてドアを開ける。
「エリー、おはよう」
「珍しいね、ひびき。こんな時間にくるなんて」
まだ八時前だった。いつ来ても良いといったのは自分だけれど、ひびきには学校がある。平日なのに不思議だな、と思いつつ彼を引き入れた。電気をつけてドアを閉める。真っ当な人間になったような錯覚をする。
「今は夏休みなんだよ」
言われてそうか、と思う。引きこもりのエリアスが季節を感じないようになってどれくらい経っただろう。日にちは曖昧でも曜日だけは分かっている。土日にはイベントがあるから。
ひびきは常のように黒革のソファーに座って本を読み始めた。お茶くらい出した方が良いのだろうかと思うが、最近では紅茶を煎れることすら稀なのだ。冷蔵庫にペットボトルが置いてあるから、勝手に飲んでくれと言った。失礼極まりない申し出にもひびきは文句を言わない。
エリアスの実家は財力があるから、一人暮らしをする部屋も広く家具も整っている。人を迎えるのに恥ずかしくはない部屋ではあると思う。同時に、自分には勿体ない、とも。家族にも会える気がしない。
「ひびき、何処かに遊びに行かないの」
「ここに遊びに来てるよ」
ひびきが何のてらいもなくさらりとそう言うので、エリアスにはなんと答えることもできない。常識的に考えてみれば、日がな一日ネットゲームをして客にかまうこともろくにしないいるエリアスの部屋に来て楽しいことなどないはずなのに。
「遊ぶなら、もっと楽しいところあるでしょう」
「僕のことは気にしなくていいよ」
ひびきがそう言うなら、本当に気にしなくてもいいと思っているのだろう。こういうときに妙に気を使うのはひびきらしくはない。自分はといえば、全くもって昔の自分らしくはないのだけど。
いや、全部が全部ではないのかもしれない。
――引きこもりの人の部屋ってアニメのポスターたくさん貼ってあるのかと思ったけど、エリーの部屋はそうじゃないんだね。ちゃんと片づいているし。
ひびきが初めてこの部屋に来た時に言った言葉だ。エリアスは引きこもりだけれどアニメや漫画のことは詳しくない。ネットゲームをする仲間に薦められているけれど、今一つ興味をもてなかった。それに、潔癖症の気がある自分は片づいていない部屋に住むことなどできない。元々のエリアスもどこか隅っこで生きている。そしてこの状況に怒っている。そうである、はずだ。
「エリーは外に行かないの」
「行かないよ」
外は怖いところだ。エリアスはそう悟った。思春期のこどもたちの嫉妬や欲望や愉悦は大人には想像もつかないほどどろりと濁っている。それをひびきに話すのは彼にとってよくないだろうから言わない。
否、自分が知られたくないのだ。汚くて浅ましくて愚かしい子供たちの遊戯の玩具は自分だった。それを知ったら潔癖症のひびきは来てくれなくなるだろう。言った方が彼のためには良いはずなのだけど。
(……ひびきは変わらない。だから、僕は甘えてしまっているんだ)
簾のように長く伸びた髪の間からそっと覗いた彼は常の清廉でまじめな優等生の貌をしている。さらさらの黒髪も知的な眼鏡も彼によく似合っている。ひびきは昔と変わらず、とてもきれいだ。優しくて汚れていない。
「ネットゲームってそんなに楽しいの。毎日やってて飽きない?」
「……今のところは。僕がいないとパーティーのみんなが困るっていってくれるし」
「それってエリーじゃなくてもいいんじゃない」
そうだね、と答えた声は小さくなった。そんなことは分かっている。代わりなどいくらでもいると分かっている。けれど現実世界のように、直にいらないと言われるよりよっぽどましだ。
「現実世界だってそんなものだよ。代替品なんていくらでもいるんだ」
「そっか」
ひびきの声音はフラットで静かだった。ひびきもまた人をあまり信じていないのかもしれない。けれどひびきにはエリアスの他に友だちがいて家族がいる。ひとりぼっちの自分とは違う。
「……ひびきは別だよ。友だちだから」
ぽつりと呟いた言葉に、ひびきはそう、とだけ答えた。否定されなかったことにほっとしている矮小な自分がいる。いじめられていた自分にほかの友だちなどいないのだ。
ひびきがいつか自分を見捨てたら、そのときこそ昔のエリアスが死ぬ日だ。そうなればきっとネットの友人たちを最優先にするのだろう。名前も知らない彼らに依存するのだろう。ひびきにとってはそちらの方が面倒でなくていいのかもしれない。
あるいは、彼が自分を引っ張り出してくれたなら。そうしたら、少しずつ元の自分に戻れるのではないか。そんな、浅ましい期待をするほどに彼の訪問に救われている自分がいる。今の引きこもりで友人もいない対人恐怖症の何の生産性のない自分が消える方が正しいのだろう。
世間的に忌み嫌われる存在だと分かっているのに、どうしても外にでることができない。女のようだと罵られて口に出せないほどに屈辱的なことをされたトラウマが他人に会うたびにフラッシュバックする。こんな自分が本当に元に戻れるのだろうか。それすらも分からない。歪んでぐちゃぐちゃになった残骸だけが残っている。
今のエリアスと、かつてのエリアスと。どちらかがひびきに殺される日を息を詰めて待っている。



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