頭が痛い。
震える身体を両手で抱き締めながら、ベッドに汗の浮いた額を押し付けて歯を食いしばる。身体の中心から押し寄せる熱が脳髄を灼ききってしまいそうな錯覚を覚えた。
そう、熱だ。痛みよりも何より、この熱さがエリアスの身体を激しく責め立てる。けれど頭痛以外に意識を飛ばしてしまうと壊れてしまう、気がする。
錯綜する意識の糸を手繰り寄せる。おそらく、原因はあの菓子だ。
寮の部屋のレターボックスに入っていたその箱は、エリアスの好きな菓子メーカーの包装がされていた。実家のある国のもので、学園からは遠い。おまけに値段も高く、この学園の生徒がおいそれと買えるものではなかった。メッセージカードはなかったが、家族からのものだと勘違いした。それがいけなかった。
一つを摘んで口に含んでから、ほとんど時を待たずして身体がびくりと反応した。じわじわと身体の中心から熱が全身を毒のように浸食した。どうやら中に入っていたのは強力な媚薬のようで、若い身体には効果覿面だった。震える手でなんとか部屋の鍵をかけてベッドに横たわって、後は暴力的な快楽に耐えるばかりだ。
この部屋は一人部屋だ。つまり、部屋を間違えたのでない限りエリアスを狙ったものだと思われる。わざわざ好物を装った手口から察するに十中八九狙いは自分だろう。身に覚えなどなかったけれど、自分をそういう目で見ていた人間がいたのだと思うとぞっとした。男であれ女であれ、薬を盛るなど人道に反している。相手がどんな人間かは知らないが、そいつとだけは懇意になってなどやるものか。精神を犯人に対する怒りに集中させて、身体の異変を追いやろうとする。どれだけ熱を帯びようとも、これは自分の意思ではないということだけが矜持を支えていた。
「っ、あ、」
熱を逃そうと身を捩った際に不意に服が擦れて、赤く腫れた胸を刺激する。途端に溢れるような、脳髄を溶かす快楽。身体に与えられる刺激はあくまで激しく、神経を灼ききっていく。歯を食いしばろうともすぐに顔の筋肉が緩んで、半開きの唇からは唾液が零れた。きっと酷く浅ましい表情をしているのだろう。ううと小さく呻く。情けないはしたないと自分への怒りを燃やしてみたけれど、効果は先程より薄れてしまっている。身体の熱ばかりが強まって、頭が駄目になってしまいそうだ。
熱くて熱くて目を閉じた。眠って起きたら治るのではないかと思うけれど、この熱が眠ることを許さない。毒のように掛ける快楽に身体の神経全部が向けられて、脳まで蕩かしてしまう気がする。
かたり、と耳が自分の立てたのではない音を拾った。
「…エリー?」
「…っ、」
不意に声を掛けられて、潤んだ瞳を見開く。耳で聞いたはずの物音は、より大きな刺激にかき消されてしまったようだった。
呆然と立ち尽くす、よく見知った黒髪の少年。どさりと荷物の落ちる音。ノートやら教科書類やらが床に散らばった。学習道具という日常的な物がこの状況にひどくそぐわない。非日常的な異様な空間に彼は足を踏み入れてしまった。
ああ、と思う。その先の感情は頭の中で滑って形にならない。彼でよかったのか悪かったのか、それすらも正常な判断ができない。
エリアスの親友は少し垂れた瞳に心配の色を湛えて、ベッドに駆け寄ってきた。彼の名を呼ぼうと思ったが、うまく唇が動かない。
「エリー、どうしたの!?」
驚愕しきった声が頭に響く。そういえば彼には合い鍵を渡しているのだった。メールなりなんなりすればよかった、と滑る意識が短慮を責める。ミヒャエルにとっては思ってもみない不運だろう。友人のこんな姿を見て喜ぶほど、彼は悪趣味ではないはずだ。虚ろな思考は、けれど打開策を考えられるほどはっきりとはしていなかった。
「……っ、」
答えのないことに焦れたのだろう、布団を剥いだミヒャエルは絶句していた。当然だと思う。いくら身体を抱いて隠したところで、同じ男ならどんな状態にあるのかすぐに見当がつくだろう。極めつけにベッドもシーツも乱れて滅茶苦茶だ。困惑に満ちた視線がエリアスを捉える。釈明をしなければと細い細い理性が叫んだ。
「……貰い物に、おかしな、くすり、はいってて、」
息を切らせて紡いだ言葉は途切れがちになる。喘ぎ声を出さないように必死だった。いくら年の割に声が高いとはいえ、男の喘ぎ声など聞いていて気持ちいいものではあるまい。今の自分が見苦しいのは分かっていたが、せめて少しでも彼に与えるであろう嫌悪感を減らしたかった。
そうなんだ、と答えた彼の声は心配の色が濃く、ひどく安心した。少なくとも表面的には軽蔑されていないらしい。こんなことで、つき合いの長い友達に嫌われたくはない。できれば早く、こんな姿は忘れてほしいものだ。
ほっとして息を吐いていたエリアスの頭に、慰めるように彼の大きな手が触れた。
「〜〜っ!」
その瞬間、ひくんと身体が震えた。頬にほろりと涙が伝う。息を飲む声がしたかと思うと、熱い物に触れたかのようにぱっと手が離れた。ごめんと動揺したように謝る声が聞こえる。最悪、だ。
下着の中はもうぐちゃぐちゃになっていたけれども、彼に見られたことを情けなく恥ずかしいと思えるだけの理性は残っていた。熱病にかかった時のように震える唇を、ゆっくりと開いた。
「ミ、ヒャエル、でてって、そのうちおさまる、から、」
それは根拠のない言葉だったが、彼にこの醜態を見られ続けるよりはマシだと思った。誰にも迷惑はかけたくないし、知られたくもない。恋人のいない自分には、こうして部屋で一人耐え続ける以外の選択肢はないのだ。ミヒャエルには知られてしまったが、彼ならきっと誰にも口外したりはしないだろう。これ以上何も言わず去ってくれることを期待した。
けれど予想に反してミヒャエルは立ち去ってくれなかった。静かに突っ立ったままエリアスを見つめている。
(なんで、)
熱に犯された頭では彼の真意を推し量ることなどできそうになかった。悪意、ではないと思いたい。ミヒャエルの顔を見つめたが、彼は押し黙ったままだった。緑の瞳が何かの感情に揺らいでいる。
「もし、」
数十秒経ってから彼が遠慮がちに紡いだ言葉は小さくて、神経を集中させなければならなかった。彼の言葉の全てを聞き逃してはならないような気がする。
しばし俯いていた彼はぐっと顔を上げた。常にはにこやかな表情がいつになく真剣で、これからの言葉が冗談やからかいの類ではないのだと主張するかのようだった。
「もし、エリーさえよければ、僕が相手するよ」
「ミヒャエル…?」
ミヒャエルの言葉がぐるぐると頭を巡る。彼の言葉はエリアスにとって完全に予想外なものだった。頭に巡るのは疑問符だ。相手、って。意味が分かって言っているのだろうか。彼と自分は恋人同士などではないし、第一男同士だ。いくら友人であるとはいえ、そこまでしてもらう義理はない。
けれど見上げた顔は真剣で、冗談の類ではないのだと知る。そういえばこの男はやさしいのだ。こんな情けないことになっている自分に同情してくれたのに違いない。おそらく、自分ではなくても友人が相手ならそうするのだろう。親切なのはいいけれど、少し危なっかしい男だなと自分を棚に上げて思う。
今のエリアスにとっては願ってもみない申し出だった。薬に犯された身体は快楽を求めている。正確に言えばそれから脱出することを。一人でどうこうするより、相手をしてもらえるのであればそちらの方が楽になるだろう。けれどミヒャエルに無理をさせてしまうという申し訳なさが先に立つ。
「ん、ぼく、があいてで、きもちわるく、ないの」
喘ぎ声の合間に、必死で問いかける。男が相手で、ミヒャエルは嫌ではないだろうか。痩せて肉の少ない、貧弱な男の身体なのに。抱かれたことなどないから、自分がどうなってしまうかも分からない。おかしなトラウマを与えてしまったりしないだろうか。
エリーさえよければ、と静かに答えたミヒャエルの顔はいつになく真剣で、だから彼に身を任せてもいいような気がした。ミヒャエルは、心を許せるたった一人の親友だから。
こくりと頷いてみせるとそっと唇が落とされて、それだけで身体が震えるのを感じた。



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