雨が降っている。
鈍色をした空から落ちた水滴が鼻先を濡らしたかと思うと、堰を切ったかのように雨が降り注いだ。雨足は弱まるどころか更に強さを増して、通行人の足を早める。六月の街は肌寒い。
ミヒャエルは一つ息を吐いて、右手で持った傘の角度を調整した。頭一つほど低い位置にある白い頬が濡れていないのを確認して安堵する。そうして左手で抱えた二人分の荷物を持ち直す。僅かにミヒャエルの鞄の端が濡れていたが、些細なことだと思った。彼の物であれば重大事だけれども。
「こんな日に傘を忘れるなんてね」
降りしきる雨の音にもかき消されない澄んだ音が耳に心地よく届く。せいぜいしかめつらしい顔を作ってうなずいて見せた。
「うん、災難だったよ。君が傘を持っていてくれて助かったけど」
「そうじゃなく。こんな日に忘れてくるだなんて信じられないって言ってるのさ」
ちらりと横目でミヒャエルを見やる視線は冷たい。非難の色が強い視線を苦笑しつつ受け止める。確かにミヒャエルは責められるだけのことをした。彼が思うよりもう少し悪いことを。
彼の傘は華奢なつくりをしていて、二人で入るには狭い。小柄な彼だけならともかくも、180近いミヒャエルの長身を納めるには手狭だ。それきり彼は黙り込んでしまったので、ぱたぱたと雨の音だけが耳に届く。肩に掛けた鞄の紐が食い込んで痛い。
(…失敗したかな)
不機嫌そうな白皙を視界の端にとらえつつ思う。二人分の荷物と傘がずしりと重い。実際のところ大した重さではないはずなのだけれども。
せっかくこうして恋人と一つの傘の下にいるというのに、これでは傍目から見れば下僕と主人にしか見えないだろう。ごく普通の恋人同士というわけではないからそれも無理からぬことだが。――自分はともかく、彼にまで妙な噂が立つのは避けたい。
「ミヒャエル」
と、不意に声を掛けられて瞬く。なに、と聞いてみると裾を引かれて体が近づいた。ただでさえ狭い傘の下、下手をすると密着してしまいそうになる。寒さに火照った頬に張り付いた髪を小さな手が払った。
「いくらなんでも近すぎないかな」
「だって君、濡れてるじゃないか。仕方がないよ」
そう言うと更に身を寄せてきたので、彼の荷物が濡れないように慌てて抱き込むようにする。傘を持つ手に柔らかな手が重なって、最前からの肌寒さが少し薄らいだ気がした。彼の体温は年の割に高い。
自分は少しくらい濡れてもかまわないのだと言いたい気もしたが、この状況が嫌ではないのだ。彼があまり笑ってくれないことだけが引っかかってはいるものの、こうして側にいられるだけで幸せなのだ。
通りを過ぎる人々はミヒャエルが思うよりずっと無関心に通り過ぎていく。一つの傘の下にいる少年たちを気にするでもなく、彼らは視界の端へと消えていった。それは結局のところミヒャエルにとっても同じことだ。重要なものは傘の中にすべて収まってしまっている。
小柄な彼の歩幅に合わせて歩いても、時間は瞬く間に過ぎていく。白い門扉の前、彼の鞄と傘を渡してしまうとひどく手元が軽かった。先ほどまで重くてたまらなかったそれらが無くなってしまったのが惜しい。一方の彼は涼しげな顔をしている。
「それじゃ、濡れないように気を付けて帰るんだよ」
さらりと言われた言葉に瞠目する。言われた内容がすとんと頭に入らない。
「でも僕、傘が、」
言い掛けた声を止めたのは、差し伸べられた唇に白く細い指が触れたからだ。ぽかんと口を開いたまま彼の顔を見つめる。傘が白い顔に影を差していた。
「こんな日に傘を忘れる筈がないだろう? まして、君のような男が」
すっと細められた形の良い青緑色の瞳と目線が合う。反論しようと開いた口を閉じることもできず恋人の顔を見つめた。先刻からこちらにこりとするでもなかった人形じみた顔が、ふと悪戯っぽく笑ってみせた。
それじゃ、またね。
軽く手を振って踵を返した少年の灰白色の髪が歩みを進めるたびに揺れる。何か声を掛けようかと思ったが結局何も言えなかった。――彼の浮かべた笑みがあまりに鮮やかだったので。
全く、適わない。
口角を軽く上げて笑むと、ミヒャエルは鞄の中から傘を取り出した。



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