閉め切られた部屋の中では、くぐもった呻き声はひどく耳に障った。
まだ幼さの残る一回生の少年たちが二人、いた。しかしそのうちの一人はソファーに座ったもう一人に踏みつけにされているのだった。
異様なのは、被害者であるはずの少年が恍惚の表情を浮かべていることだった。口元は弛緩し、緑の隻眼には幸福そうな色が浮かんでいる。
一方の加害者の少年――エリアスは、踏みつけていた小さな足を浮かせて、 妖精のごとき愛くるしい顔をしかめた。
「…飽きた。やはりこれは面白くないよ、ミヒャエル」
白く細い首を傾けて億劫そうに言うや否や、ミヒャエルが跳ね起きる。まだあどけない顔には悲痛な表情が浮かんでいる。
「そんな!だって付き合ってくれるって言ったじゃないか」
言ったけどね、と軽いため息をつく。軽い気持ちで約束した自分の行動に若干後悔している。
魔法の特訓に付き合わせた代償なのだ。エリアスはどうにも火魔法の扱いが苦手なのだが、怪我をするかもしれない特訓に付き合おうという人間はほとんどいない。ミヒャエルは数少ない例外だ。
そのこと自体には感謝しているのだが、踏んでくれというリクエストはどうなのだろう。変わり者にもほどがある。ミヒャエルのことは割と仲の良い友人だと思っていたが、その性癖だけは理解の範疇を越えていた。
「踏まれて喜ぶなんて、君は本当に変な奴だな。僕にはわからないよ」
「そうかな?僕にはこの上ない快楽だよ」
全く悪びれない明るい声に、エリアスは肩を竦めた。もし自分が同じことをされたら相手を殺してしまうかもしれない。少なくとも一生後悔するような目には合わせたくなる。それほどにはエリアスという少年は矜持が高い。
「そうだね、踏むのが飽きたなら…僕をひっぱたいてくれるっていうのはどうだろう」
「嫌だよ」
「そんな、ひどい!」
「だって僕の手が痛むじゃないか。どうして僕が君を叩いてあげなくちゃいけないんだ」
心底不満げに問い返すと、ミヒャエルは何故か嬉しそうに身をくねらせた。頬が紅潮している。思わぬ反応に眉を顰めた。
「エリー、君って…絶対素質あるよ、断言してもいい」
「気持ちの悪いことを言わないでくれないか」
「ああ、やっぱりすごくいいよ!」
興奮する少年を呆れ顔で見つめた。やはりよくわからない男である。一体この『遊び』にどんな意味があると言うのだろう。何度考えてみても分からない。
――マゾヒストなどという人種は貴族育ちのエリアスにとって想像したことすらない存在だった。いくら大人びていようともまだ十年と少ししか生きていない子どもである。
「それなら鞭で叩いてあげようか。実家で飼っているドラゴンを躾るためのものだけど」
声変わりもしていない幼い声音でつまらなそうに尋ねると、ミヒャエルは顔を輝かせた。
「是非!」




「飽きた」
そう言ったのは今度はミヒャエルの方であった。前回から二日後のことだ。エリアスは即座に彼を踏みつけていた足に思いっきり力を入れた。
「っ、ありがとう!」
「何故喜ぶ…いや言わなくてもいい。それより、飽きたというのはどういうつもりなんだい。今までこの僕を付き合わせておいて」
「エリアス、君は女王様になるといい」
「昼から寝言を言わないでくれよ。我らが女王陛下はご健在でいらっしゃる」
君のそういうところ好きだよ、とよく分からない言葉を吐いたミヒャエルは立ち上がってズボンの埃を叩く。エリアスはソファーに掛けて頬杖をつきながら彼が服を直すのを見つめた。
ミヒャエルは少し首を傾けて、片方しかない瞳を何度か瞬かせた。口元に楽しそうな笑みが浮かぶ。
「君に付き合ってもらっているのはありがたいんだけど、そろそろマンネリというか、新しいことがやりたくなってきた」
「なんだい、鞭の出番かい?」
しかしあれは思ったよりも疲れる、と続けようとしたがミヒャエルは首を振った。
あ、と思う間もなく、彼の手がエリアスの薄い肩にかかった。互いの吐息がかかりそうなほどに顔が近づく。心臓がどきりと跳ねた。
「もっと愉しいことしようよ、エリー」




エリアスは魔法の腕は良くても非力な子どもでしかない。力で押さえられてしまうと同い年の相手であっても抵抗することもできないのだ。今のように。
両の手を繋ぐように縫い止められ、首筋にミヒャエルの唇が下りてくる。おかしな声を出しそうになって、堅く目と口を閉じた。ちゅ、ちゅ、と肌を吸われるたびにぞくりと寒気がする。ぬるりと濡れた柔らかいものに舐め上げられて、今度こそ悲鳴を上げた。
「ミヒャエル!」
「なんだい、エリー」
自分を呼ばわる声音があまりにいつも通りなので戸惑う。緑の隻眼が柔らかく笑みの形を作った。
「なんだって人の首を舐めたりするんだ、おかしいだろう」
「おかしなことなんてないさ」
エリアスを抱きしめるようにミヒャエルがのし掛かるのでソファーが軽く揺れた。汗の滲む額にちゅ、と音を立てて口付けられる。ほんのわずかの間に、滑らかな白い肌に赤い花弁がいくつも付けられた。
「だって、気持ちいいでしょう?」
いっそ無邪気な風に言うので、思わず納得してしまいそうになる。気持ちいい、のだろうか。あまり味わったことのない感覚だ。
「…よくわからない。妙な感じだよ」
嘘をつかないことが信条である。感じたままのことを言うと、ミヒャエルは嬉しそうに笑った。
「最初はそんなものだよ」
「最初って、…んっ!」
再びぞくりとした感触がして慌てて口を噤む。シャツの下から腕が伸びて、細い指先が素肌に触れた。なだらかな腹や胸を触られたり揉まれたりすると何かひどく変な感じがする。他人にこんな風に触れられたことなどなかった。どうして女の子でもないのに胸をいじくり回したりされるのだろう。
いつしか自由になっていた両腕で自分の体を抱きしめ、歯を食いしばって身体の内側から襲い来る感覚に耐えた。背筋がぞくぞくするのにやたらと熱くて頭の芯が痺れるようだ。
おかしな声を上げてはならない、とそれだけが頭の中をぐるぐると回っている。友人の前でそんな無様を晒せるものか。 唇の感触と指先が全身を這いまわり、ことさら強く唇を噛んだ。
「エリー、目開けてよ」
「い、やだ、」
我慢しなくては、とそればかり考えてしまう。 反応がないからつまらないのだろうか、それならば最後まで耐えなくては、
「…ひぅっ!?」
べろり、と目蓋を舐め上げられて目を見開いた。長い睫毛に溜まっていた涙がこぼれ落ちる。無様に情けない悲鳴まで上げてしまって呆然としたエリアスの心情など知らず、ミヒャエルが笑った。
「かわいいよ、エリー」
無邪気な笑みに、顔の温度が一気に上昇したのを感じた。男の自分が可愛いと言われたところで嬉しくなどないはずなのに。きっと自分は今酷い顔をしている。
唇を噛んで睨み付けても、ミヒャエルはあくまで楽しそうに笑うばかりだ。憎たらしい、と怒りが沸く。
「う、わ」
向かい合っていたのが更に体重をかけられて、ソファーに押し倒される形になる。ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる腕の強さが増して、なにやらひどく嫌な予感がした。
「ミヒャエル、」
「どうしたんだい、怖いの?」
思っていたことの半分ほどを言い当てられてエリアスは次の言葉を無くす。
怖いなどと、どうして言えるだろう。かといって怖くないというのも嘘だった。逡巡して視線をさまよわせるエリアスを見つめていたミヒャエルは、ふと優しく笑った。
「心配いらないよ、僕が君にひどいことするわけないだろう?」
「…わかった」
同い年で友人である彼がそう言うのなら、きっと怖いことではないのに違いない。




「ん、ふ……は、」
エリアスが頷いたのを確認してすぐ、ミヒャエルは小さな体に遠慮なく唇を落としてきた。時折肌をじっとりと舐め上げられ、食べられてしまいそうな気がする。全身が粟立って、ぞくぞくした。頭の中がぼうっとする。思わず唇から声を漏らすたびにミヒャエルは嬉しそうに笑んだ。
ねえ、とミヒャエルは白い手をエリアスの頬に沿わせた。
「キスしてもいいかな?」
「…今更じゃないか、好きにしたら…、っ!?」
エリアスは驚愕に目を見開いた。
今の今まで、口づけというのは唇に軽く触れるだけだと思っていた。それなのにミヒャエルは、話す為に僅かに開いていたエリアスの口の中に、あろうことか舌を入れてきた。
流石に抵抗しようと力をこめてみても、ミヒャエルの体はぴくりとも動かない。逃げ回る舌はいとも容易く捕まえられ、歯列を丁寧になぞり上げられた。耳を塞ぐように固定され、激しい水音が頭に響く。
みずのおとが、する。
頭が浸食されていくようだった。芯がとろけてふわふわしていく。あつくてあつくて、とけてしまう。
「ん、ん…あ、ふぁ…っ」
「はぁ…」
やがて互いの口と口が離れると、ねばついた銀の糸が引かれた。身体からすっかり力が抜けてしまって、ソファーに沈み込んだ。
ミヒャエルも少し疲れたようにため息をついた。隻眼を瞬かせてエリアスの顔をのぞき込んでくる。
「エリー、大丈夫?」
「う、ん」
ふわふわした状態のまま、どうにか頷いてみせる。心臓が早鐘のようで、爆発してしまうのではないかと思われた。
良かった、と嬉しそうに笑うミヒャエルの腕の中で、エリアスは常にはないぼんやりとした表情を浮かべていた。どきどきしているのにふわふわしているような、奇妙な感覚。
思考がばらばらになっていて、だからきっとおかしなことを聞いてしまったのだ。
「ミヒャエル、」
「うん?」
「今のが気持ちいいってことかい」
問いかけると、緑の隻眼が愉悦の色を浮かべたような気がした。



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