遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
とうに空は白んで、填め殺しの窓から淡い光が射し込んでいた。
夜を徹して甚振っていた少年は、寝台に身を沈めて茫と宙を見ていた。力なく投げ出された身体の線はしなやかに美しく、精巧に造られた人形のようでもある。色を無くした薄い皮膚に細く蒼い血管が透けて、仄暗い色をしていた。
夜目にもあかるい白い肌を鬱血痕と痣が覆う。鈍く滲む赤と青。薄い目蓋の先の睫毛に溜まった水滴が拙い光を反射して、淡い光沢を放っていた。
美しい少年だと思う。いっそ哀れなほどに。
十七になった彼は、より一層美しくなった。繊細な頬の線も、新雪のように穢れのない白い肌も、青緑色の瞳を縁取る長い睫毛の影までが彼女によく似ている。彼女は良く笑うひとだったけれども。
彼女の肌の感触を知ることはついぞなかった。出逢った頃から彼女は他人の、よりにもよって兄のものだった。想いを告げることも出来ず、ただ彼らの姿を見つめていた。やがて彼らの間には子供が生まれた。三人の姿は一幅の絵画のように美しく、別世界の住人たちのように思えた。
心のどこかで、彼らが破滅することを願っていた。成功しか知らない兄も、こちらを見ない義姉も憎かった。だから、そうなれば少しは溜飲が下がるだろうと。――それが現実になろうとは夢にも思わなかったのだ。
炎は屋敷を舐めるように広がって、二人の命を奪った。後には小さな子供だけが残された。――生き残ったのが彼女だったらと、何度思ったことだろう。兄や彼女が救おうとした命なのだと頭のどこかでは分かっていても、優しくしてやろうなどとは思えなかった。
だというのに、彼はクラレンスを頼った。親を亡くした寄る辺のない子供は遠慮がちに、しかし疑いもなく叔父を頼ったのだ。自分がどんな目で思われているのかも知らずに。生き残った子供が母親に良く似ている事に、この時はじめて気がついた。彼にとっては不幸なことだったろう。幼い純粋な子供は寝台に押し倒されても戸惑ったように目を瞬かせるだけだった。それでも、止められなかった。
自分が冷淡であるという自覚はあったが、良心や道徳はそれなりに持ち合わせているつもりだったし、そういった欲には淡泊なつもりだった。けれどあの時クラレンスの頭にあったのは欲望と衝動をぶつけることだけだった。彼女をあのような形で失い、良く似た彼が両親の話をねだった時、ぷつりと何かが切れる音を聞いた。
クラレンスの心は、彼女が焼け死んだあの日に死んだのだろう。そしてエリアスの心をも殺した。小さく無力な何も知らない、甥をきちがいじみた衝動のままに壊した。おそらくは永遠に彼が昔のように笑いかけてくることはない。それでもいいと思った。彼は身代わりに過ぎなかったのだから。
美しい少年を傷つけるとひどく興奮した。新雪を踏みしだくような、子供じみた愉悦。硝子細工のような脆弱な体には簡単に傷が付いた。彼は暴れたが、華奢な子供の抵抗を押さえ込むのは造作もなかった。何年も続きはしまいと思っていたが、年を重ねるごとに美しくなる少年は非力なままだった。
エリアスを抱くのは自らの欲望を満たすためだ。この少年は義姉の身代わりに過ぎぬ。そうしてこれは、復讐でもあるのだ。義姉を奪った兄と、自分を選ばなかった義姉への。後悔などあるはずもない。理不尽な理由で子供を陵辱しておいて、後悔などと。
横たわる真白い体をじっと見つめる。彼の右腕に残された大きな火傷の痕に触れるたび、エリアスのことを思う。長い間思い続けた彼女でも、誇らしくも厭わしかった兄でもなく、彼を。目の前で両親を亡くし、理不尽な理由で虐待を受け続けている少年を。
昔から泣かない子供だった。酷い熱を出した時も怪我をしたときも、涙を堪えてじっと一人耐えていた。親を亡くした時ですら、血の滲むほどに唇を噛み締めて。声を上げて泣くのを見たのはたった一度だけだ。
組み敷いた身体の下で、両親を呼びながら泣いていた顔を思い出す。かあさま、と助けを求める声変わりもしていない稚い声。無辜の子供が必死で赦しを乞うのを無視して、小さな甥を欲望のままに犯した。
彼が身も世もなく泣き叫ぶのを見たのは、あれが最初で最後だ。――今でも彼は苦しんでいるだろう。表情を消した薄い皮膚の下で彼が泣き叫んでいるのは分かっていた。心のどこかで哀れと思いながら、自身の慰みにと手酷く扱ってきた。いつからだろう、彼を抱くのが辛くなったのは。声も表情も押し殺して陵辱に耐える少年を見るのが苦しくなったのは。
今では溜飲が下がるどころか、胸に重苦しい蟠りが溜まっていく。けれど、彼を手放すことなどできない。澱のように溜まった欲望をぶつける先が他にない。悪循環なのは分かっていたが、彼でなけば意味がないのだ。彼女に似てさえいれば、誰だって良かった筈なのに。
折れそうな程に細い右腕をなぞると、薄い目蓋が開いてクラレンスを捉えた。昏い青緑色の瞳が哀しげに揺れている。けれど彼に掛ける言葉など持たない。
指先で触れた火傷の痕は醜い。陶器のように滑らかな肌の中でそこだけがまばらに起伏して、指先に引っかかる。人工物じみた完璧な体に刻まれた消えない傷跡。
(憐れだ、)
彼は彼女の代わりでも人形でもなく、生きた人間であるのだと。そんな当たり前のことを、普段は強いて意識の外に追いやっている。優しくしてはいけない。今更、どの面を下げてそんなことが出来るというのだろう。赦しなど乞えるはずもないのに。
不意に少年の薄い目蓋から雫が滴って、思わず息を飲む。長い間傷つけて続けていると理解していた筈なのに、胸が締め付けられる思いがした。伸ばしかけた手を寸前で止める。触れてはいけない。彼に涙を零させた自分が触れることなど赦されない。
この感情の名を知っている。けれど口に出すことは永劫に無いだろう。
それは彼女への、そして傷しか与えてこなかったこの少年への裏切りであるはずだった。



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