部屋に入った瞬間、小さな姿が目に入って凍り付いた。
部屋を間違えたろうか、と思いながら表札を確かめてみる。やはり間違いなくミヒャエルの部屋に間違いない。ではあの子供は一体誰だろう。
おずおずと部屋に入ってみる。部屋の真ん中で、小さな子供が毛糸玉で遊んでいた。小学生くらいに見えるが、どこから忍び込んだろう。注意しようと近づくと子供が振り返った。その姿を間近で見て、更に身体が凍る。
灰白色の髪の上に、同じ色をしたふさふさの猫耳が生えていた。驚くべきことに白い身体は生まれたままの姿で、腰から直接生えた長い尻尾がゆらゆらと揺れている。幼い、儚げで上品な顔立ちに目眩がするほどの既視感を覚えた。青緑色の瞳がじっとミヒャエルを刺す。
呆気に取られて見つめていると、ぺたんと耳が伏せられた。だれ、と高くて幼い声がする。
「えっと…僕はミヒャエルだよ」
「うそだ。ミヒャエルはねこだもん」
裸の子供はそう言ったかと思うと、恐るべき俊敏さで部屋の隅に逃げた。十歳くらいに見えるけれど、この子はいったい誰だろう。ミヒャエルの恋人にとてもよく似ているけれど、彼の親戚か何かだろうか。
「えっと…君、エリーの親戚?」
「……?ぼくエリーだよ」
不思議そうに言われて、ミヒャエルは首を傾げた。彼が小さくなって猫耳を生やしたんだろうか、なんて考えてみたけれども、それにしてはミヒャエルのことを覚えていない風なのはおかしい。それに、先程気になることを言っていた。
「エリー…くん?君はミヒャエルを知ってるの?」
「うん」
小さな顔がこっくりと頷いた。相変わらず部屋の隅の壁にくっついてじいっとしているけれど、会話はしてくれるようだ。怖がらせないように屈み込んで視線を合わせる。
「君の知ってるミヒャエルって、どんな子?」
「ねこ。黒くてでっかいけだま」
「け、毛玉…」
ミヒャエルと同じ名の猫が毛玉扱いなのはなんだかショックだ。この子が人間のエリーとそっくりなのだから、猫のミヒャエルも自分にそっくりなのかもしれない、という連想が働く。自分と同じ顔の人間がもさもさの髪をしてそのへんをうろうろしているのを想像すると、無理矢理風呂にぶち込んでやりたい気分になった。
「えっと…君はミヒャエルくんのこと好き?」
「うん。だいすき」
「…そっか」
ミヒャエルはふっと笑う。ミヒャエルの恋人はあまり素直ではないけれど、そっくりな子に好きだと言われると少し面映ゆい。きたないけだまだけど、という続きの言葉は都合良く聞き流すことにした。
ぐう、と大きな音が鳴る。ぺたんと耳と尻尾を垂らした子供がお腹を押さえてしゅんとしていた。
「お腹空いたの?」
「…おひるごはん、たべてない…」
そっか、とミヒャエルは優しく笑ってみせた。小さな子供がお腹を空かせているのなら、何か食べさせてやりたいと思う。恋人にそっくりな子供を甘やかしたいというのもあるけれど。
「エリー、何が食べたい?」
「さかな!まぐろ!」
いきなり勢いよく叫んだ子供の姿が微笑ましくて、思わず笑みが零れた。よほど期待しているのか、小さな耳がぴょこぴょこ揺れている。マグロの味を知っていて日常的に食べているのなら、かなり甘やかされているのかもしれない。よくよく見てみれば育ちも良さそうだ。飼い主も心配しているのじゃないかな、と頭の片隅で思う。
「ちょうど刺身があるから持ってくるよ。いい子で待っててね」
うん、とこっくり頷いたのを確認してキッチンに向かう。本当なら恋人と食べるつもりのものであったけれど、今回は構わないだろう。子供をこのまま留守番させておく方が危ない。彼だって許してくれるはずだ。
刺身を皿に取り分けて持ってくると、子供はきらきらした目を向けてきた。ぺたんと行儀良く座っている彼に笑いかけて、皿をテーブルに置いてやる。食べていいよ、と言うと子供は躊躇いもなく刺身にむしゃぶりついた。
行儀も何もあったものではないが、あむあむと小さな口で魚を頬張るのがやけにかわいい。美味しい?と聞いてみたけれど、食事に夢中になっているのか答えは無かった。そっと髪を撫でてやると尻尾がゆらゆらと揺れる。
(…かわいい)
無邪気に魚を食べるのがあまりに可愛くて、だらしない笑みが漏れてしまう。ミヒャエルの恋人もとてもとても小さい頃はこんな風だったのだろうか。一回生のときは既にきっちりしていたような気もするけど。
けぷ、と小さな口から満足げな声がする。ミヒャエルは丸くなる子供をしばし微笑んで見つめていたが、ふと重要なことに気づいた。彼は裸のままだ。あまりに堂々としているから思い至らなかった。
猫だからなのか、真っ白な滑らかな肌が露わになっていても彼は気にしていないらしい。これはまずい、と思う。恋人そっくりの猫耳と尻尾の生えた子供を裸のままにしておくなんて、危ない人間のようではないか。エリアスに見つかりでもしたら絶縁を言い渡される可能性すらある。
「えっと…エリーくん?寝る前に服着ない?」
「う?」
よほど眠いのか、片耳だけがぴんと動く。ぼんやりした目が半分開いたが、すぐに重力に負けたように瞼が落ちた。慌てて更に声をかける。
「エリー、裸で寝るなんてみっともないよ!」
少し大きな声で叫ぶと、ぴんと両耳が立った。ぐるる、と不機嫌極まる声が聞こえる。やり方を間違えたろうか、と少し焦る。
「…服」
「え?」
「服ちょうだい。みっともないのやだ」
子供はぷくっと頬を膨らませて、ミヒャエルの身体に抱きついてきた。尻尾がふらふら揺れている。上目遣いで見上げられて、不覚にもきゅんとした。だって、本当に恋人そっくりなのだ。
「今持ってくるから、待っててね」
優しく笑って頭を撫でてやると、子供はこくんと頷いた。稚い仕草がかわいらしい。彼との間にもしも子供が生まれたらこんな風なんだろうか、と思うとひどく幸せな気分になった。




ぶみゃーぶみゃーと鳴きながら暴れる猫を力の限り押さえつけた。黒くて通常よりかなり大きい猫である。
「こ、の…!大人しくしろ!」
力の限り暴れ回る大きな体にはそこらじゅうに埃やゴミがついていて汚らしい。どれだけの間風呂に入っていなかったのだろう、と呆れと怒りを感じる。飼い主がいるとしたらどんな飼い方をしていたのだろう。
「君もミヒャエルなら大人しく風呂に入れっ!」
「やー!おふろきらいー!」
ぎゃんぎゃん暴れる黒猫は、どうやら言葉が話せるらしい。誰かの使い魔なのだろうかと考えたが、それにしては頭が良くないように思われる。
「おふろやなのー!」
「…っ、」
がり、と思い切り引っかかれて思わず力が緩む。その隙をついて猫はするりとエリアスから離れた。顔を顰めて二の腕を確かめると、思ったより傷が深い。白い腕から赤い血が伝っていた。ぽたぼたと床に滴り落ちる。
「…もう」
破傷風は恐ろしいし消毒しなければ、と薬箱を漁る。包帯を巻くほど深い傷ではなかったので防水性のテープを貼った。その間猫は緑の瞳をくりくりさせてエリアスをじっと見ていた。
「…だいじょうぶ?いたい?」
「君が引っかいたんでしょ」
そっけなく答えると、猫はしゅんとなったように耳と尻尾を垂れた。ごめんなさいと呟く素振りはまるっきり子供で、つい許してやりたくなってしまう。
「反省してるの?」
「…うん。ごめんねえりー」
「それなら、お風呂入ってくれる?」
そう問いかけると、ミヒャエルはううと小さく呻いた。しぶしぶと言った様子で猫はにゃあと鳴く。いいこだね、とそっと頭を撫でてやると尻尾がそよそよと揺らいだ。
少し狡いことをしたかもしれないが、結果的にこの猫の為にもなるだろう。ミヒャエルと言う名の猫を汚いままにしておけない。顔は可愛らしいのだから綺麗にしてやればきっと格好良くなることだろう。
「終わったら何か好きな物食べさせてあげるよ」
「ほんと!?あのね、ぼくね、まぐろすきなの」
「いいよ、お風呂入れたらとびきり美味しいの買ってきてあげる」
「わーい!」
大きな体でぴょんぴょん跳ねる猫はすっかり最前の喧嘩を忘れているようで苦笑が漏れる。現金なところが人間のミヒャエルそっくりだ。そういえば彼はどこに行ったのだろう、と留守の恋人に思いを馳せた。




大きな猫を風呂に入れるのは一苦労だった。ふうと汗を拭うと達成感と疲労感を感じる。
ぶるぶる震えて水滴を飛ばす猫を何度も注意しなければならなかった。こら、と鋭い声で叱ると猫はすぐにしゅんとする。だが忘れるのも早いらしくすぐに怒号を飛ばすことになった。
今はそれなりに落ち着いたのか、エリアスの膝に乗ってごろごろ喉を鳴らしている。正直とても重いのだが暴れ回られるよりはマシだ。
こんなにも呑気で警戒心が薄いと言うことはやはり飼い猫なのかもしれない。
「…ねえミヒャエル、君はどこから来たんだい」
「わかんない。おひるねしておきたらここにいたの」
その答えにふうとため息をついた。子供で猫なのだからしかたないだろう。どうにかして飼い主を探さなければ。
「飼い主の名前は?」
「かいぬしってなあに?」
「…君と一緒に暮らしてる人間はいるかい?」
「ママ?ママはエリーっていうの」
「へえ…」
自分で同じ名前だ、と他人事のように思う。彼の名前がミヒャエルと言うことや飼い主の名前が自分と同じことは偶然なのだろうか。
「それでね、ぼくのすきな子はエリーとエリーゼっていうの」
「それはまたややこしい…」
「う?」
不思議そうに首を傾げる猫に、なんでもないよと答えた。ふうんとのんびり答えた猫は嬉しそうに膝をぺろぺろと舐める。
「えりーはママそっくりだねー」
うふふ、と笑いながらにゃごにゃご鳴く猫はすっかり上機嫌だ。この猫は頭が悪いのではないかと思うが、懐かれるのは悪い気はしない。軽く撫でてやるとごろごろと大きく喉を鳴らした。
「全く…」
ふっと苦笑が漏れる。子供の頃のミヒャエルもこうだったろうか、と考えたが、あのころのミヒャエルはもう少ししっかりしていたような気がする。
足が痺れるまでは我慢してやろうと思いながら猫の毛並みを撫でた。



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