ミヒャエルは、毎日毎日僕にアルバムを見せた。
どの写真にも、灰白色の髪の綺麗な少女が写っていた。ミヒャエルと並んで写っている写真もあれば、大勢の人々と写っているもの、一人だけ写っているものもあった。カメラ目線じゃない写真も含まれていて、隠れて撮ったものだとわかった。綺麗だけどどこか寂しそうで、陰のある人だという印象を受けた。
その人をミヒャエルは『エリー』と呼んだ。僕と同じ名前だ。孤児院から引き取った僕に、彼が最初にくれたのが僕の名前だった。
初めて会ったとき、今よりずっと小さかった僕を彼は愛しそうに抱き寄せて、頭を撫でてくれた。泣きそうな笑顔で、やっと会えたね、と言った。大人の、しかも男の人が泣くのをはじめて見た。今でも涙の混じった声と、緑の隻眼から流れる涙を鮮明に覚えている。
いくつかの面倒な手続きを終えて、僕はミヒャエルと一緒に住むことになった。戸籍上は父親なのだけど、お父さん、じゃなくてミヒャエルと呼ぶように言われた。彼は美味しいご飯と綺麗な服を与えてくれて、毎日毎日とろけるように甘い愛を与えてくれた。そして毎日寝る前に、アルバムを必ず見せた。
「エリーも早く彼女になってね」
「うん、がんばるよ」
意気込んで頷くと、ミヒャエルは嬉しそうに僕を抱き締めてくれた。僕にはミヒャエルしかいない。ミヒャエルはたくさん綺麗なものを見せてくれて、綺麗な場所へ連れて行ってくれた。ミヒャエルとはじめて会ってから、一日たりと離れたことがない。いつも優しくしてくれて愛しているよ、と言ってくれる。僕もミヒャエルのことを愛してる。ミヒャエルにたくさん恩返ししたい。そのためにも、はやく大きくなってミヒャエルのエリーになりたいと思った。
この時の僕は、まだ何も知らなかったから。




もうすぐ僕は、写真の『エリー』と同い年になる。鏡で見る僕の顔も体つきも、彼女と生き写しだ。…今のところは。
エリーは可愛いね、と毎日必ずミヒャエルがうっとりした顔で撫でてくれる。愛しているよ、と囁いてくれる。でも、それは僕がエリーに似ているからだ。ミヒャエルが見てるのは本当は僕じゃないから。
ミヒャエルの目が違う誰かをずっと見つめていることに気がついたのはいつだったろうか。エリー、と愛しい声が僕の名前を呼ぶとき、本当はいつも他の人を呼んでいることになんか、一生気がつかなければ僕も幸せだったのに。
一度だけ試したことがある。ミヒャエルがくれる服や、普段僕の選ぶ服とは少し趣向の違った、ふわっとした女の子らしい服を着てみたことがあった。店員さんも似合うと言ってくれたし、僕もそんなに悪くはないと思った。いつもの格好とは少し違うかなってくらいで、ものすごく変わった趣向ってわけじゃない。そこまでする勇気はなかった。それともう一つ、いつも着ているような服も買った。
新しい服を着て帰って、ただいま、と言った。ミヒャエルはいつも、新しい服を着てくると褒めてくれた。今回もそうして欲しいと心の中で思った。
僕をいつも通りの笑顔で出迎えたミヒャエルは、少し不思議そうに目を瞬かせた。たとえるなら、僕が顔に変なものをつけて帰ってきた、とでも言いたそうな奇妙な顔。そうしていたのは短い間のことで、すぐにいつものニコニコした笑顔に戻った。
「エリー、僕その服は嫌いだな」
ごとん、
「…そう、だよね。ごめん。すぐ着替えるよ」
うん、とミヒャエルはこっくりと頷く。新しい服を褒めてもらえなかったのは初めてだった。僕の選んだ物を嫌いだと言われたのも。泣きたい気分でもう一つの服を着てみる。しっくりくるのがなんだか嫌だった。
「どうかな」
『エリー』らしい服を着て聞いてみるとミヒャエルはにっこりと笑って僕の身体を強く抱き締めた。
「うん、やっぱりエリーにはそういう服が似合うよ。すごく可愛い」
「うん…ありがとう」
可愛いと言われて嬉しいはずなのに泣きたい気がした。やっぱりミヒャエルが見ているのは僕じゃない。可愛いとか好きだとか愛してるとか、そう言う言葉はエリーじゃないと言ってもらえないのだ。
ミヒャエルは大きな手で僕の頬を包み込んで、じっと目をのぞき込んできた。緑色の少し垂れた瞳が、少し不穏な陰を宿していた。
「ねえエリー、さっきの服、自分で選んだの?」
「…ううん、店員さんに勧められただけ」
半分ほんとで半分嘘だ。ちょっと違った雰囲気の店をわざわざ選んで、似合いそうなやつを見繕ってもらった。
ミヒャエルはそっか、と安心したみたいに笑った。僕の好きな、優しい顔で安心させるみたいな笑顔。
「エリーに似合う服は僕が一番知ってるから、店員の言うことなんて聞かなくていいんだよ」
うん、と頷く。さっきの服は残念だけど捨てよう。少しだけ気に入っていたけど、ミヒャエルが好いてくれなくちゃ意味がない。だって僕にはミヒャエルがすべてで、他には何にもないんだ。
でも、服なんて些細な問題だった。そのことに気づいたのは背が伸びてきてからだ。それまでは顔ばかり心配していたけど、僕は女の子だから、胸だって膨らんでくる。そのとき、エリーと全然違う体型になってしまったらどうしよう。もし、僕の姿がエリーとかけ離れてしまったら、ミヒャエルはどうするのだろう。僕のことを捨てて、新しいエリーを作り出すのだろうか。そんなのは絶対に嫌だった。写真の彼女にすら嫉妬を覚えるのに、新しく来た子がミヒャエルに愛されるのを想像するだけでおかしくなってしまいそうだ。
鏡の前で、自分の裸をじっと見つめた。ミヒャエルの言いつけで、そんなに外に出ないから僕の身体はどのもかしこも白い。お腹はぺたんこだけど、胸が少しふっくらしている。触ってみるとやわらかくてふにふにしていた。これ以上成長したらだめだ。だってミヒャエルは胸がちいさい女の子が好きなのだから。ミヒャエルに好きになってもらえないなら僕に意味なんてない。他の人なんてどうだっていいから、ミヒャエルにだけは愛して欲しかった。
ちゃんとエリーになりきらないといけない。見た目も中身も、完璧にならなければ。だってそうしなければ、ミヒャエルには愛してもらえない。




ミヒャエルはかつて最愛の人を亡くした。
最初は復讐のつもりで近づいた。彼女は復讐相手の子供で、ミヒャエルの腹違いの妹でもあった。初めて会った時の彼女はやっと十年生きただけの、小さな小さな女の子だった。背が低くて華奢でお人形みたいだった。真っ直ぐで、儚げなのに気が強くて、そして幸せそうだった。醜いことなんてなんにも知らない、大切に育てられた普通の女の子だった。
復讐を果たせ、という恨みのこもった母の声に従って、念入りに彼女を壊した。とてもとても、口には出せないようなひどいことをした。どんなに胸が痛んでも、そうするのが正しいのだと信じた。そのために育てられた。
いつからだろう。彼女に抱く想いが復讐心や憎悪だけではなくなってしまったのが。心の底から愛しいと感じるようになったのは。傷つけるたびに、達成感ではなく罪悪感を覚えるようになったのは。
植え付けられた憎悪と罪悪感と深まっていく愛情に耐えられなくなって、ミヒャエルは姿を消した。だから気づかなかった。彼女がミヒャエルの子を孕んでいたことに。何度もこの手で抱いたのに、彼女が子供を産むなんて思いもしなかった。子供みたいに小さくて細い、頼りない身体をしていたから。ミヒャエルにとっての彼女はいつまでも小さな女の子のままだった。
気がついたときには、彼女は命を落としていた。ミヒャエルの子を産んで、死んだ。貴族の一人娘で大切に育てられたはずの彼女は、最後はひとりぼっちで死んでいったのだ。お腹の子の父親がどこにいるのかも知らないままで。
ミヒャエルは結局、彼女の死に顔すら見ることができなかった。どんなに辛かっただろう。彼女の不幸は全部ミヒャエルのせいだった。絶望に落とし込み、不義の子を孕ませ、幸せに生きられたはずの彼女を一人きりで惨めに死なせた。誰より愛していたのに傷つけてばかりいた。本当は大切にしたかったのに。笑った顔が一番好きだったのに。
復讐を終えたからか、母の声はもう聞こえなくなっていた。ふらふらと死んだように生きた。復讐という生きる目的も、愛する人も亡くして、何も考えずに。
彼女の娘を、つまりミヒャエルの娘を見つけたのは本当に偶然だった。それまでミヒャエルは自分の子供の性別も知らなかった。隠れて彼女を尾行して、孤児院に引き取られているのを突き止めた。
一目見た瞬間に思った。この子はエリーの生まれ変わりに違いない。それくらい、生き写しだった。ミヒャエルの遺伝子なんて全然混ざっていないみたいだと思った。
今度こそ、僕が幸せにしてみせる。綺麗なものだけを見せて、この世の誰より幸せにしよう。それがエリーの、そしてこの子のためにもなる。
復讐しようとしていたときからずっと、彼女だけを見ていた。彼女のことはミヒャエルが一番よく知っている。エリーを幸せにできるのはミヒャエルしかいない。どうやったらエリーが幸せになれるのか手に取るようにわかる。何年かぶりに胸が高鳴るのが感じる。
今度は決して間違えない。ミヒャエルは今度こそ絶対に、エリーを幸せにしよう。



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