エリーのご主人様のミヒャエルは、とても優しいひとだ。温かいご飯と綺麗なお洋服をくれるし、具合が悪いときにはお薬もくれる。店の檻の中にいたときとは大違いだ。
店に来るより小さかった頃のことは覚えていない。他の子どもたちみたいにお母さんとお父さんがいたのだと思うけど、顔もよく思い出せなかった。店員にたくさん殴られたり蹴られたりしたせいで忘れてしまったのだと思う。
エリーは身体の弱い子どもだったから、店員には嫌われていた。すぐに熱を出して倒れたし、身体が小さくて力もないから、他の子どもたちに叩かれてご飯を取られたりした。それでもなんとか生きていたのは、売り物になりそうな顔をしていたからだ。だから店員は顔だけは殴らなかったし、最低限の手当てだけはしてくれた。ミヒャエルも何となく目に止まったから買ったと言っていたし、この顔のおかげで買ってもらえたのだろう。彼に買ってもらえてよかった。ここはまるで天国だ。
番号で呼ばれていた自分が、エリーという名前をもらって、お屋敷に置いてもらっている。綺麗な服も温かいご飯も惜しみなく与えられた。同じベッドで寝てくれて、朝と夜にはキスもしてくれた。まるでお姫様みたいだ。ここでは、お腹を空かせて倒れることも、子どもたちにいじめられることもないのだ。こんなに幸せでいいのだろうか。
「エリー」
洗濯物を取り込んでいると、ソファーに座って本を読んでいたミヒャエルに声を掛けられた。仕事の手を止めて、急いで彼の元へ駆け寄る。
「なあに」
ソファーの前にぺたりと座り込んで問いかける。ミヒャエルはご主人様だから本当は敬語を使った方がいいのだけれど、彼は面倒だから普通に話せと命じた。ミヒャエルがそう言うなら断る選択肢などない。
「君、いくつだっけ」
「え、えーと…十歳くらい…かな」
ミヒャエルに買われたのがいくつだったかは覚えていないけれど、この家で冬を四回過ごした。だから多分十歳くらいだ。誕生日は知らないし、祝ってもらったこともない。
「じゃあ、そろそろご飯作ってよ。できるでしょそのくらい」
「わかった、がんばる」
こくりと頷く。すでに家事のほとんどは任されていたけれど、火や刃物を使うのは危ないから、料理はまだしたことがなかった。でもミヒャエルが料理をする姿は近くで見てきたし、彼のためなら頑張れる。お買い物にはもう一人で行けるから、材料を買ってきてハンバーグを作ろう。ハンバーグはミヒャエルの好物だ。彼はオムライスも好きだけど、自分にはまだ難しいと思う。ハンバーグなら、たぶんそんなに難しくはない。ミヒャエルが喜んでご飯を食べてくれる姿を想像して、笑みがこぼれた。できることが増えるのは楽しい。
その日のハンバーグは少し焦げ付いていて、サラダを作る際に指を包丁で切ってたくさん怪我をしてしまった。けれど、ミヒャエルは怒らずに全部食べてくれたから、エリーはそれだけで幸せだった。




ミヒャエルは時折ふらりと外出する以外、ほとんど屋敷に籠もっていた。昔は一緒に外に行くこともあったけれど、最近はそんなこともあまりない。
小さい頃は一緒に寝てくれたけれど、今は呼ばれた時以外は寝室に入ってはいけないと教えられていた。一緒に寝てくれないのは少しさみしい。起きる時間も昔より遅くなって、昼を過ぎることもあった。彼の起きる時間は不規則で、とても早く起きてくることもある。ミヒャエルがいつ起きても温かいご飯が食べられるように、毎日早起きすることにした。ミヒャエルにはいつでも美味しいご飯を食べてもらいたい。
料理をするようになってから二年経っただろうか。最初の頃に比べたらかなり美味しいご飯を作れるようになったと思う。何を出してもミヒャエルは文句を一切言わなかったけれど。
昼過ぎに起きてきたミヒャエルは、オムライスを食べながら録画していたテレビを見ていた。彼の邪魔にならないように、できるだけ静かに洗い物の準備をする。エリーにはよくわからないが、いろいろな番組を見ているみたいだった。けれど、テレビの中の人が楽しそうに笑っても、ミヒャエルはあまり楽しそうではなかった。不思議だったけれど質問はしなかった。エリーはあまり頭が良くない。ミヒャエルが言っていたから絶対だ。
顔しか取り柄がない、とミヒャエルにもよく言われる。怒られたりしたときに間違えて敬語を使うと、馬鹿な子だね、と言われた。もっと小さい頃に読み書きと計算を教えてもらった時には、覚えは悪くない、と言われてとても嬉しかった。檻の中にいたころは、勉強なんてさせてもらえなかった。初めての勉強はとても楽しくて、たくさんやりたいと思った。難しい問題を解くと、ちょっとだけ頭を撫でて貰えたのをはっきりと覚えている。膝にも乗せてくれた。ミヒャエルは昔も今もやさしい。
でも、他のことは教えてもらえなかった。エリーには必要ないそうだ。だから学校にも行っていない。家事と読み書きと、最低限の計算さえできればいいのだと教えられた。ミヒャエルが言うのだからその通りなのだろう。エリーは買われたのだから、彼が決めたことは絶対だ。
エリー、と名前を呼ばれて、片づけをする手を止めた。テレビの中で女の人がきゃあきゃあ騒いでいた。いつものようにミヒャエルの腰掛けるソファーの下に座った。そうすると、彼は何故か眉を顰めた。
「そうじゃなくて、ここ」
ミヒャエルが視線で自らの膝を示す。それで得心がいった。察しが悪くて申し訳ないと思う。今度は一緒にテレビを見ているような恰好で、ミヒャエルの膝にちょこんと座った。彼は痩せているけど背が高いから、小さなエリーの身体はすっぽり収まる。このあと何をすればいいのかわからないから、おとなしく指示を待った。
ミヒャエルの大きな手がエリーのブラウスの裾に伸びて、下着の中から胸元をまさぐった。ぱちぱちと瞬く。いったい、何をしているのだろう。
「エリー、君いくつだっけ」
「十二歳だよ」
「ふーん。…もう少しかな」
何事か考え込むようにしながらも、ミヒャエルは手を止めなかった。素肌に触れる手が温かい。彼はエリーの膨らみかけの胸をぐにぐにと揉みしだいた。そこが他より柔らかいから、だろうか。あんまり痛くはないけれど、なんだか変な感じがした。もちろん、ミヒャエルのすることに文句なんてないけれど。
エリーは女の子だから、大人になると胸が大きくなるらしい。大人になったらミヒャエルと全然違う姿になるのだろうか。あまり想像がつかない。彼以外の人のことは怖いから、あまり見たことも話したこともなかった。
「エリーはさ、僕のこと好きだよね」
「うん」
こくりと頷く。ミヒャエルはかみさまみたいにやさしい。好きにならないはずがない。エリーが他に知っているのは檻の中の痩せてぎらぎらした目をした子どもたちと、暴力と暴言を与えてくる店員の大人だけだった。そこから助けてくれて、優しくしてくれるミヒャエルのことが大好きだ。
それならいいよね、とミヒャエルが言う。意味がわからなくて首を傾けた。学校へ行っていないせいか、エリーはあまり物事を知らない。別にわからなくてもいいよ、とつまらなそうに言われた。必要のないことは知らなくてもいい、といつも言われている。
「君がもう少し大人になったら新しい仕事を増やすから。痛いかもしれないけど、僕のこと好きなら大丈夫でしょ」
「…うん!」
満面の笑みで頷く。ミヒャエルの役に立てるのが誇らしくてたまらなかった。彼のためなら何だってしよう。痛くたって、ミヒャエルのためならへいきだ。
たとえこの身を捧げることになっても、喜んで差し出す。だってミヒャエルは、エリーのかみさまなのだから。



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