焦点の合わない青緑色の瞳に見つめられたとき、何かが音を立てて崩れていくような気がした。
親友が入院していると聞いて慌てて駆けつけた。正確には、年を取らない少年のような入院患者がいると聞いて来た。人違いであればいい、最初で最後の手紙に書いてあったとおり、本当に親戚の家で忙しくも幸せに生きていてくれればそれでいい。けれどミヒャエルの思いは、患者の名前を聞いたとき打ち砕かれた。
面会謝絶です、と言う声を振り切って、一も二もなくエリアスの病室に駆けつけた。体裁など気にしていられなかった。個室のドアを開けると、ベッドの上にいたのは間違いなくエリアスだった。白い顔も青緑色の瞳も、昔と全く変わらない。たまらなくなって、彼の名前を叫んだ。けれども彼はぱちぱちと瞬きするばかりで、何も答えてはくれない。随分若く見えるとはいえ、若者とは言えない年齢になったミヒャエルのことが分からないのだろうかと更に言葉を続けようとした。間違っていた。
白く細い指が耳を指し示し、耳が聞こえないのだというジェスチャーをした。驚いて彼の顔をまじまじと見つめて、はじめて青緑色の瞳の焦点が全く合っていなかったことに気がついた。ミヒャエルは呆然と立ち尽くす。喉の奥から呻くような声が漏れた。
お互い、そんな年齢ではないはずだった。老化するなら人間であるミヒャエルの方が早いはずだった。病気でもしたのだろうか。一体、どれだけ劣悪な環境に置かれてきたのだろう。こんな風に、病室のベッドに縫い止められて。
ベッドの上で不思議そうに首を傾げる彼が、痛ましくてならない。ミヒャエルは細い身体を力の限り抱き締めた。驚いたような声が上がる。
「ごめん、ごめんね」
やっと紡ぎ出した言葉は涙混じりになった。この言葉もきっと伝わってはいないのだろうけれど、謝らずにはいられなかった。ミヒャエルは間に合わなかったのだから。
抱き締めた身体は小さくて薄かった。こんなにも彼は小さかったのだと、やっと気がついた。妖精の血が混じっていてもどれだけ気が強くても清く正しく見えても、彼はミヒャエルと同じ、ただの人間だった。間違うときも迷うときも泣きたいときもあるはずだった。それなのに、勝手に強い人間だと思いこんでその幻想を押しつけた。
今ならわかる。それが彼を追い詰めてしまったこと。たった一年半の間だけ共にいた彼は、きっといつだって必死だった。一度も、ただの一度だって辛いとも言わず、泣きもしなかった。学生時代の、気の強くて潔癖な貴族の少年をずっと演じていた。ミヒャエルと言う、たった一人の観客のために。
そんなつもりじゃなかった。そんなことをさせるために助けたのじゃなかった。再会したあの日も今日も、助けたいと思ったのはその時目の前で困窮していたエリアスだった。ミヒャエルにとってはどんな立場でも昔からどれだけ変わってしまっていても、エリアスが大事な親友であることには変わりがなかった。それを伝えることをどうしてしなかったのだろう。共にいて触れあうだけで、ミヒャエルの想いが全て伝わるような、おめでたい錯覚をしていた。
幸せに、してあげたかったのだ。ミヒャエルにならそれができると信じていた。笑っていてほしかった。辛いのなら助けてくれと言ってほしかった。泣きたいときには一緒に泣いてあげたかった。少しでも傷を癒したかった。例え何も出来なくったって、側にいてくれれば良かった。綺麗じゃなくても愚かでも卑怯でも弱くてもいいから、ミヒャエルの親友でいてほしかった。学生時代みたいに、喧嘩をたくさんして、仲直りして、対等の友人同士でいたかった。エリアスのことが本当に好きだった。今だって、そうだ。どれだけ変わったってミヒャエルの一番の親友はたった一人しかいない。
この思いをどうやって伝えればいいだろう。何もかもが手遅れになってしまった。彼の身体からは薬と、死に逝く者特有の乾いた匂いがしていた。たくさんのことが変わり果ててしまった。彼の姿だけが残酷なまでに昔と一緒だった。いつまでも時間が止まったようなのが余計に痛々しかった。幼さの残る白い顔を見つめれば、彼と過ごした日々がありありと思い出せた。それはミヒャエルに対する救いなのだろうか。それとも罰なのだろうか。
抱き締めた身体はひんやりと冷たかった。昔は小さな子供みたいに暖かかったのにな、と思うと涙がこぼれた。助けてあげられなくてごめん、と謝りたかった。たくさん無理をさせてごめん、とも。けれどそれを、どうやって伝えればいいのだろう。
君のことが大好きで、大切で、愛していると。ずっとずっと、心配していたのだと。
どうしたら、この想いが君に届くだろう。抱き締めた身体から、この想いが伝わればいいのに。
戻りたい、と強く思った。自分たちの将来について何一つ心配せず、明るい未来が来るのだと信じていたあの頃に。大好きな人たちはみんな幸せになれると、無邪気に信じていた。戻ることができたら、今度は決して間違えないのに。
記憶の中の二人は、いつも幸福そうに笑っていた。



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