▽もうひとつの可能性。





目の前で傷ついている男を目の前に、わたしはいつものような態度ができなかった。


(名前が、泣いている)



わたしが顔を借りている大切な友人を思い浮かべる。
彼は、雷蔵は確かにを好いていたのだ。
雷蔵雷蔵、と誰もが解る程に慕うを見つめるその目は微かに、けれど確かに欲に濡れていた。
何かと名前に絡むわたしを複雑そうに見つめては、そっと目を逸らしているのをわたしは気付いていた。

なのに、何故、名前はこんなに悲しそうにしているんだろう。
今、あんなに嫌っていたはずのわたしの目の前に立っているのに、その目は悲しみに満ちている。

何と声をかけるべきだろうか、そう考えているわたしを見ることをせずに、名前はそっと告げた。


「雷蔵に、嫌われた」


雷蔵に好きだと想いを告げたら、ごめんと、無理だと言われた。

どうしよう、

もう、今までのように雷蔵の傍にいれない。



ゆっくりと話す名前はその目に零れそうなほどの涙を浮かべている。


(ああ、きっと雷蔵は、)


雷蔵は、名前の思いに答えることで訪れる変化を恐れたのだ。
きっと、その変化の中にわたしが含まれているのだろう。

わたしが雷蔵の気持ちを知っていると同時に、雷蔵もわたしの気持ちを知っているから。


(わたしが名前を好いていることを、知っているから)


今までの様な、仲の良い友人関係が崩れてしまうのを恐れたのだ。


(名前、雷蔵はを嫌ってなどいないよ)

(むしろ、雷蔵は名前を好いている、お前たちは相思相愛だ)

(傍で見てきたわたしがそれを保障する)

(あんなに雷蔵を理解し、一緒にいたわたしを嫌っていた名前ならわかるだろう)


最善であろう言葉を伝えればいいのに、何故かこの口は開くことをしない。



「名前」


(わたしは卑怯な男だ)


「名前、わたしを雷蔵だと思えばいい」

「…三郎?」


驚いた顔をしている名前をそっと抱き寄せる。


ずっと欲しかったモノが目の前にある。
それを前にして、大人しくしていられるほど、わたしは大人でも寛大でもない。

もしも、少しでも可能性があるならば、いくらでも卑怯になろう。



(馬鹿な雷蔵)

きっとわたしの為を思いながらも迷ったのだろう。

わたしを(友情)を取るか、名前を(自分)を取るか。
けれど、何をそんなに迷う必要があった?
あんなに名前は雷蔵が好きだと主張していたじゃないか。
学園中の誰もが知っている事だ。
雷蔵だって、ずっと欲しがっていただろう?
きっと雷蔵が名前の手を取っても、今までの関係が壊れるなんてことは決してなかった。

わたしは名前と雷蔵が幸せならそれでもよかったのだ。

確かにこの胸が痛まないことはないけれども、それでも、笑って見守る事はできた。
祝福できると思っていたのだ。



(馬鹿な名前)


何故そんなに簡単にあきらめる?
今までどんなに私が邪魔をしても、何をしても、諦めなかったのに。
雷蔵のたった一度の拒絶だけで、諦めてしまうなんて。

(けれども、それだけ雷蔵を想っているのだろうな)


「名前」


わたしが名を呼べば、戸惑いながらもわたしの名前を、三郎、と返してくる名前の声。
それは今までの様な嫌悪に満ちたものではない。

思えば今までわたしは名前をこんなに優しい声で呼んだことがない。
こんなに優しく触れた事なんて、抱きしめた事なんてない。
抱きしめる背にその腕が返ってくる事はないけれど、拒絶をしている風でもない。
それだけなのに、こんなにも嬉しい。



(一番馬鹿なのは、愚かなのは、このわたしだ)


真実を告げれば、今のこの状況が変わるのを知っている。
こんな風に泣いている名前を見て、雷蔵がその手を拒絶するはずがない。
きっと今のわたしのように優しく抱きしめて、そしてその想いを告げるだろう。
自分も好きだと、迷いなど振りきるに違いない。

そしてその先に訪れるのは、幸せな結末。


それを知っているのは私だけ。
全てはわたしの一言で変わると言うのに、愚かなわたしはそれをしようと思っていない。

わたしは雷蔵という大切な友人よりも、名前を、自分の欲を取ったのだ。


「名前、わたしは雷蔵の変わりでも構わない」


ビクリと小さく震えた体を更に力を込めて抱きしめる。


「名前、ずっとわたしが傍にいるよ」


静かに抱きしめ合うわたしとを見つめる視線がひとつあるのに気付いた。
きっと動揺している名前は気付いていないだろう、その視線は名前の斜め後ろにある。
気配で感じたけれどわたしは視線を向けることはしない。



今のわたし達の姿を見て、どう思っている?
傷ついている?悲しんでいる?
それとも、少し前のわたしのように、痛む胸を抑えながらも祝福しようとしてくれるかな。


(ごめん、雷蔵)

けれども、もうこの手を離すことなんてできないんだ。


「名前」


艶やかなの髪がわたしの頬を掠めるたびに愛おしさが増してくる。


「ずっとずっと好きだったんだ」


周りが見えなくなるくらい、好きになっていた。

名前の息を呑む音がして、少しの間の後。
わたしの背をゆっくりと触れる、温かい手を感じてそっと目を閉じた。




叶っていたかもしれない恋物語。

その結末を締める、最後の言葉を、

二人に聞こえる様に、自分に言い聞かせるように告げた。









叶わなかった恋物語、
   その幕引きの言の葉



「名前、あいしているよ」



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