『悪食』の扉――EVE――
「一体何があったのでしょうか…」
虚ろな目をしたユノが言う。カルラはサリルがベッドに移動させてから、表情が和らいできたものの、未だ昏睡状態に陥っている。
「それが分かっていれば俺もお前も苦労はしない。状況から察するに、誰かがカルラに危害を加えた可能性が高いがな…」
カルラの素性は、知られれば誰かに襲われてもおかしくはない。しかし、それを口外する者がいるとも考えにくい…うっかり口が滑りそうなのはいるかもしれないが。
屋敷内にいる子供2人は部屋から出ないよう、メルが遊びの相手をしに行った。苦しそうに眠り続けている母親を幼子が見るのは、ショックが大きすぎるだろうと考えてのことだ。
「…俺は仕事に行ってくる。また何かあったら連絡してくれ」
「こんなときにも仕事って…!」
「今の俺たちにはカルラをどうにもすることが出来ない。それに、カルラが起きたときに仕事を一切やっていなかったらあいつが何て言うか…俺は俺に出来ることをやる。お前はここでカルラを守ってやれ。…仮に誰かにやられたとしたのなら、また襲って来るかもしれない」
そう言うと、サリルは開け放したままの窓から飛び立った。
…自分には妻を助け出すことすら出来ない。
自分の無力を呪い、歯ぎしりをしたら、舌の先端に何かが触れた。
それは微かに血の味がした。
 ・
 ・
 ・
「つまり…『情報』を集めることによってここのシステムを分析して、お互いの世界を引き離す方法を探すのね?」
「うん…だから、たくさんの『情報』が欲しい…特に『Boss』はたくさんの『情報』を持ってるから、攻略してほしいって『電子姫様』が言ってた…」
「あの…質問に答えてもらってるところ申し訳ないんだけど…」
「?」
もっと大きな声で喋ってくれない?
カルラが白カービィと向き合いながら言う。白カービィの背中には花が開き、その花弁の先端には色とりどりの小さな玉が埋め込まれている。
「カルラとっても 美味しそう!…決めた! イヴ のメインディッシュになって!!あたまは最後まで とっておいてあげる!!」
イヴの花弁が閉じた。瞬間、その体に不釣り合いなまでの大きな緑の帽子を被り、片手に大剣を持った姿に変わる。
「ねえ、 『スーパー能力』 って知ってる?」
笑顔で大剣を振り下ろす。その軌道の先にはカルラがいた。
…先ほどのことが嘘のようだ。
 ・
 ・
 ・
「この世界はデータを元に構築されている。データはいくらでも蘇るし、君たちは遠慮せずガンガン倒していって構わない。私はここで研究結果が見れればそれで満足さ」
シロク、という人が説明していたのはイヴと戦う少し前のことである。そのとき、カルラたちはまだ扉の中にはいなかった。
「まぁ、バトルで倒す以外にも他の方法はいくらでもあるのだが…君たちを見る限り、そんなことは端から頭に無いようだね」
最後の言葉はカルラの一刻も早く帰りたいという執念を宿した目を見たからなのか、それともイグルの、情報収集という『電子姫様(ランセス)』直々の命を何としてでも果たすという貪欲さを宿した目を見たからなのか。シロクは2人を交互に見たあと、最後にこう付け加えた。
「と、とりあえずやりすぎは禁物だから!君たちの身の安全も考えて程々にしてくれたまえ!」
2人は申し訳程度に頷くと、それぞれ視線の先にあった扉の鍵とドアノブに手をかける。
「準備はいい?」
「…いつでも」
その扉には、持ち手に『悪食』と刻まれた鍵がかけられている。
カルラが勢いよく鍵を回す。その直後、イグルが同じくらい勢いよくドアノブを回した後、2人同時にドアをぶち破らんとする調子で「悪食」の部屋に入った。
その部屋は壁があるはずなのに、果てのない空間にも感じた。円形の部屋の遠くに見える青い壁は蜃気楼のように揺らいで見えた。
2人は円形の広い部屋の真ん中に降り立った。
「ここでも扉は宙に浮いてるのね…」
カルラが扉を丁寧に閉めると、扉は背景に溶け込むようにして消えた。
「…大丈夫。リタイアしたいときは…扉がちゃんと迎えてくれるから」
イグルは辺りを警戒したまま、カルラにそう告げた。コンピュータ等に一切馴染みがないカルラはここのシステムがいまいち分からない。だから今みたいにイグルが小さなことでも教えてくれると非常に助かった。
「で、そのBossって言うのは…まさか、この子?」
カルラが手を前に出して指を差すような動作をしながら言った。その手の先には、白い体に橙の足と目を持った可愛らしい女の子カービィが寝転がりながらこちらを見つめていた。
「…攻略はBossを倒す以外にも、満足させたりすることでも出来るから…今回はそれで良いんだと思う…」
イグルが白カービィの様子を伺いつつ言った。心なしか、その声はいつもより更に小さく、自信がないように聞こえた。
カルラはそれを聞いてほっとした。こんなにも幼い子相手にバトルなど出来そうになかったからだ。雰囲気からして、自分のところの末っ子と同じくらいだろうか?無邪気に見つめてくるときの表情がそっくりだ。
「あなたは 誰?」
白カービィがカルラに聞いた。
「私はカルラ。こっちにいるのはイグルって言うの。貴方は?」
「私 イヴ!ねえ、イヴと遊ぼう?」
イヴが立ち上がり、こちらに近づいてきた。イグルは少し後ろに引いたが、対してカルラはイヴの方に歩み寄った。
「そうね、3人で遊びましょう!イヴちゃんは何がしたい?」
幼いわが子に話しかけるときのように、カルラはイヴに接する。イグルはと言うと、勝手に遊び仲間に入れられたのが気に入らなかったのか、「ボク…何も言ってない…」と不満げに呟いた。
「う〜ん、…そうだ! イヴは鬼ごっこ がしたい!」
「それじゃあ、鬼ごっこで遊びましょう?イグル、鬼やってくれないかしら?」
イグルは黙ったまま頷いた。意図せず鬼に対して「鬼ごっこの鬼やって」と言ったことにカルラは気付いていない。
「それじゃ…イグルは10秒後に動いてね!イヴちゃんと私はその内に逃げるから」
カルラはそう言うと、イヴと手を繋いでイグルから遠ざかり始めた。
今回はこれで攻略出来てしまうのか。案外、簡単だな、とカルラは思っていた。
イヴはキャッキャッと嬉しそうにカルラの隣を走る。その足は意外と速く、カルラもあまり手加減をせずに走っていた。
3。
カルラはイグルの方を振り向いた。もう随分と離れていた。
2。
カルラとイヴはただひたすら壁の方へと走り続ける。
1。
イグルが走る体制に入った。
0。
イグルが強く地面を蹴る。途端にカルラとイヴまでの距離が縮まる。
「嘘、速すぎ…」
カルラはイグルの足の速さに驚愕しながらも走り続ける。この中で笑っているはもうイヴしかいない。
イグルは本気で追いかけてきた。
カルラは咄嗟にイヴの手を離し、イグルを引き寄せるために止まった。イヴはカルラがいなくなっても尚、遠くへと逃げ続ける。
イグルはカルラに焦点を合わせた。そのまま勢いを落とさず走る。最後にダンッ!と強く地面を蹴り、一気にカルラにタッチできる範囲まで近づいた。
イグルの伸ばしてきた手を、カルラは寸前で避ける。すぐに跳んでイグルと距離をとる。
お互いに目が本気だった。
「鬼さんこちら♪」
2人が睨みあっていると、イヴが遠くから歌うようにイグルを挑発した。
先に我に返ったのはイグルだった。イヴの方を振り向き、走り出す。カルラもその後を追いかける。
「イグル!手加減しなさい!相手は子供…」
カルラが忠告し終える前に、イグルの手はイヴの背中に触れていた。そのときの速度はMAXスピードから全く落ちていなかった。
イヴが前につんのめり、その後結構な距離を転がった。
「イヴちゃん!」
カルラが慌ててイヴの元へと向かう。イグルはというと、「…次、カルラ」とまだやる気満々だ。
「大丈夫?」
カルラがイヴを起こす。
「イグル 鬼ごっこつよいね!やっぱり鬼 だから?イヴ負けちゃったけど、とっても 楽しかった!」
イヴはカルラの心配をよそに笑いながらそう言った。どうやら怪我はないようだ。
「良かった…とりあえず、鬼ごっこは止めにして、休憩しましょうか」
カルラはその場に座った。イグルはカルラのところに寄ってきて、「ボクの勝ち…?」と聞いてきたが、カルラは睨みつけただけで何も言わなかった。
「この後何しようか、イヴちゃん?」
カルラがイヴに聞いたが、イヴは答えなかった。
「…?イヴちゃん?」
イヴは下を向いて座ったまま動かない。
「まさか、さっきので…?」
カルラがイヴに手を伸ばしたが、その前にイヴが喋り始めた。
「イヴね、ほんとうはもっと 遊びたかったけど…おなかがすいたの」
カルラはそれを聞いて安心した。
「それじゃあ、何か食べましょうか…ここに来る前に仕事の支度をしてたから、少しだけなら持ってるし…」
カルラはイヴの背中に触れた。
「[イースター]」
不意にイヴが唱えた。途端にイヴの体が高熱になる。カルラはすぐに手を離したが、その手は赤みを帯びていた。
「[ヴィヴラルト]」
イヴがまた別の言葉を唱えた。3人の体が宙に浮く。
「待って!イヴちゃん、どうしたの…?」
カルラの問いに、イヴは答えない。その代わり、先ほどまでとは違う、邪気を持った笑顔をカルラに向けた。
「[エントリー]」
黒い光線がカルラに放たれた。が、カルラは何かに引っ張られたことにより、それを避けた。
「…大丈夫?」
カルラを助けたのはイグルだった。彼の鉢巻の両端は歪な形―――人間の手の形―――をとり、その片方がカルラが身に着けているベールの裾を引っ張っていた。
無重力から放たれ、3人は地面に降り立つ。
「あ、ありがとう…それにしても」
イグルにお礼を言った後、カルラはイヴを凝視する。
「イヴちゃんは一体…?」
イグルはカルラの問いに応えず、目を閉じる。
「…『スコープ』」
イグルは呟くと同時に目を見開く。赤い目が光った。
その目に映ったのは「イヴ」という個体の「情報」。
『彼女は[星喰い]。普段は至って普通の少女だが、空腹になると食べることしか考えられなくなる。彼女が好んで食べるのは頭の良い生物など―――[カービィ]もその内に入る―――の発達した脳。そう、彼女はまさに[悪食]の娘。その正体は………』
情報は途切れ、イグルの目の光りが抑まる。
「…あまり見れなかったけど…イヴのこと…少しだけ分かった」
イグルがカルラに言う。
「見る?それはどういうこと?」
カルラがイグルに聞き返す。
「ボク、監視体だから…相手の情報が見れる…『スコープ』って言う能力…ここに来てから調子がおかしいけど…」
相変わらずボソボソと喋るイグルだが、少し競っているようにも聞こえた。
「カルラ…ここの部屋の鍵に『悪食』って文字が刻まれていたの…知ってる?」
「鍵の持ち手に刻まれていた文字ね。それがどうかしたの?」
「それがイヴの正体…つまり…」
カルラとイグルがお互いに目を合わせた。イグルは表情を変えていないのに対し、カルラはひどくショックを受けた様子だった。
「「イヴは人を喰う」」
2人の声がシンクロした。
「イヴは カルラもイグルも 大好き!だってイヴと一緒に遊んで くれたもの!でもね…」
元気な声が最後の方には、悲しみを帯びていた。
「「おなかがすいたの」」
イヴの声が二重になった。そして背中から白く分厚い花弁が花開く。
まずは小手調べといきましょう
イヴからイヴとは違う声が発せられた。先ほど開いた花が今度は閉ざされたかと思うと、イヴの姿がキャップの唾を横にして被ったものに変わる。
「ちょっと肉をほぐすだけだから ね?」
呆然としているカルラにイヴが何かを飛ばす。イグルは何処からともなく自分の身丈の2倍はあるであろう木の棒を取りだすと、カルラの前に割って入り、イヴの攻撃をそれで防ごうとした。
しかし、イヴの投げた「ヨーヨー」はイグルの棒に固く巻きついただけだった。
「カルラ…戦わないと…やられる…!」
イグルがカルラに強く言った。ハッとしてカルラは我に返る。
「イグルは デザート!だから、後で相手して あげる!!」
イヴはヨーヨーを持った手を勢いよくを振ると、そのまま糸から手を離した。棒を持ったままのイグルは不意を突かれ、遠くへと飛ばされ、地面に打ち付けられる。
「カルラはどうやって食べよう かな?」
イヴはそう言った後、目玉が一つついた舌で自分の口の周りを舐めた。いつの間にか頭のキャップは消え、背中に再び白い花が咲いていた。
「…いくらデータ体だから蘇るって言われても、貴方みたいな子供を倒すのは気が進まないのだけれど」
カルラが背中に背負った杖を手に持ち、イヴに向ける。
「私はここで貴方に食べられる訳にもいかないの」
カルラはイヴに強く言い放った。カルラの隣にはイグルが戻ってきていた。
またもやイヴの背中の花が閉じた。今度のイヴは鋭利な刃物のついた羽根つきキャップを被っている。
イヴがキャップについていた刃物を右手で取り、カルラに向かってきた。カルラもイヴへと向かい、対抗する。
キィンッ!!
イヴのカッターとカルラの杖の柄がぶつかりあう音。その後、お互いに一定の距離を保つ。
「ねぇ、イグル…一つだけ、教えてほしいことがあるの」
カルラがイグルに言った。イヴはカッターを片手にこちらの様子を伺っている。
「…何?」
イグルがカルラに聞いた。
「あなたたちは『情報』を欲しがってしたけど…何故、多くの『情報』が必要なの?」
カルラがイグルに問う。それは、今まで触れていなかった、「攻略」の真の「目的」。
「…それは…」
イヴがまた襲いかかってきた。カルラはイヴの攻撃を杖で受け止めつつ、攻撃のタイミングを図っていた。
 ・
 ・
 ・
ズガアァァァン!!
大剣が地面に当たり、切っ先からまっすぐに衝撃波が飛んで地を深く抉った。
「『超剣』…確かに、スーパー能力は強力な技を繰り出せる。でも!」
大剣を避けたカルラがイヴに向かって跳ぶ。
「そんなに大振りじゃ、隙だらけよ!」
カルラがイヴの額に杖を振り下ろす。帽子の星飾りがパキィン!!と音を立てて砕け、イヴは元の花開いた状態に戻る。
「『ウルトラソード』、お気に入り だったのに!!」
イヴが牙を剥き出す。同時に目も赤く染まる。
落ち着きなさい。まだ次があるでしょう?
冷静な女性の声がイヴから漏れた。
「うん…それじゃあ 次は」
イヴの花弁が閉じ、炎の冠を被った姿に変わる。
「『ドラゴストーム』 で美味しくなるまで、炙って あげる!!」
イヴが両手を前に突き出すと、冠の炎が龍を象り、カルラ目がけて突っ込んできた。
「『超剣』の次は『龍炎』…でも、『能力星』を壊せば解除される点は同じなのね。それと、花弁に付いている小さな玉はおそらく能力を発動させるために必要なもの」
カルラは、かつて長女アリィの誕生日プレゼントとして贈った、『能力飴玉』を思い出しながら言った。
ドラゴストームを寸前まで引きつけてから避ける。ドラゴストームはカルラの脇を轟音を立ててすり抜けるが、大きく弧を描いたかと思うと、またカルラを狙う。しかし、ドラゴストームが大きく口を開けた瞬間、その横面に黒いエネルギー弾が2,3発命中し、ドラゴストームは黒煙を残して消えた。
「イグル…」
「…分かってる。次、能力が解除されたら…やってみる」
イグルの黒鉢巻の手はまたエネルギー弾を2,3個作り出し、イヴに向かって投げ飛ばす。
「そんな もの、当たらないよ!!」
イヴがイグルの攻撃を嘲笑う。
だが、エネルギー弾の軌道の先にカルラが待ち構えていた。杖をグッと引き、エネルギー弾をまとめてその杖でかっ飛ばす。エネルギー弾は更に速度を上げ、イヴを襲う。
ドドドドッ!!!
エネルギー弾が着弾する音。それは瞬時にして、ドラゴストームの出す轟音に掻き消される。
「だから 当たらないって言った でしょ?」
ニヤァ、と嫌な笑みを見せて笑うイヴ。また背中には白い花が咲いている。
「今よ!イグル!!」
カルラの掛け声に合わせ、イヴの背後に木の棒を大きく振りかぶったイグルが現れる。狙うのは、イヴの背中の花弁。
ブンッ!と勢いよく木の棒が空を切る。イヴは背後のイグルの存在に気付いていたのだ。
「残念でした♪」
イヴが「ニンジャ」をコピーし、イグルに接近する。技の反動でイグルは逃げることができない。
「『リュミエル』!!」
イグルに襲いかかろうとするイヴの背後から、無数の光の矢が飛んでくる。イヴはまたしても避けようとするが、その内の一つがイヴの額を貫いた。
光の矢はカルラが放ったものだった。「リュミエル」を撃った後、とどめを刺さんと額に矢を受けたイヴに接近する。
それでも、イヴは笑っていた。
「…『かわりみのじゅつ』」
イヴに近づいたカルラが見たものは、木のハリボテだった。
「…!イグル、離れ…」
イグルがカルラの指示を聞き、咄嗟に鉢巻の手で地面を押して跳んだ。その後すぐに、ハリボテに仕掛けられていた爆弾が爆発し、カルラもろとも爆炎の中に消える。
「カルラ…!」
イグルがカルラの名を呼ぶが、爆発後の煙で様子が分からない。イグルは鉢巻の手をグッと後ろに引き、大きく仰いで煙を除けようとした。
煙は完全には吹き飛ばなかったが、イグルがイヴとカルラの様子を知るには十分だった。
イヴが日本刀を構えている。爆発に巻き込まれたような跡は微塵も見当たらない。そして、イヴの持つ刀の剣先は…爆発に巻き込まれあちらこちらに傷を負ったカルラの足の中心を貫いていた。
「杖せいで急所 は外したけど、それじゃ歩け ないね?」
刀は上から杖で押さえつけられていた。それで攻撃を逸らしたようだったが、大きなダメージを喰らったことに変わりはない。
イヴが更に刀を押し込み、傷を深くし始めた。カルラは意識が朦朧としていたが、イヴが更に追い討ちをかけてきた痛みで目を覚ます。
「グッ…!ア……ァ…」
「完全に動けなく なったら、ゆっくり食べて あげる!!」
カルラは喘ぎ苦しみながらも杖を離し、両手で刀を持ち抵抗するが、思ったように力が入らない。イヴは更に刀を揺り動かし、その手も血が滲み始める。カルラの瞳を見つめ、舌なめずりをし、どう喰おうかと考えているようだった…。
カルラの思考に敗北の瞬間がよぎったときだった。突然、煙の中から人間の手を模した黒い手が現れ、イヴを脇から強く殴った。不意を突かれたイヴは受け身を取れないまま吹っ飛んだ。
「カルラ…大丈夫…?」
イグルが聞いたが、カルラは頷いて答えるだけだった。足に刺さったままの刀を引き抜き、投げ捨てる。呼吸は荒く、足元は真紅に染まっている。
「ごめん…花の中心に…目があって…攻撃を……読まれてた…」
イグルが申し訳なさそうな、小さな声で言った。
「私こそ、ごめんなさい。もっと早く気づいていれば…」
カルラが怪我をした方の足の状態を確認しながら言った。刀は足を貫通し、走るのは勿論、歩くことも厳しいのは明白だった。
「これじゃ、動けない…ボクが前衛に回るから……」
怪我を気遣うイグルの言葉を、カルラが制した。
「いいえ、貴方はこのままサポートに徹して…私はまだ戦えるから」
「でも…!」
「最悪、私は戦闘不能になるかもしれない…それまで、私は出来るだけイヴちゃんを追い詰めるから。そのときはイグル、貴方がとどめを刺しなさい」
カルラはイグルを見た。その眼差しには決意の炎が灯っていた。
「…わかった…でも、本当に危ないときは…助けるからね…?」
イグルはカルラの意志に負け、頷いた。
「ありがと。貴方も、イヴちゃんの攻撃には気を付けてね?」
カルラは足元に落ちていた杖を拾い、ベールで柄についた血を拭った。
「さて…もう足は動きそうにないし…イヴちゃんは次の攻撃の準備をしてるし…どうしましょうか…」
カルラは少し離れた場所にいるイヴに目を向けた。今やイヴの目は真っ赤に染まり、背中の花弁はどす黒く変色している。
「いいところで邪魔 された!こんど こそ完全に、うごけなくして あげる !!」
ドッという音と共に、イヴから黒い光線が放たれる。その射程内には、動けないカルラとカルラを庇おうとするイグル、そのどちらもが入っていた。
しかし、暗黒砲とでも呼ぶべきその光線は、2人の手前で見えない壁に弾かれた。更に弾かれた光線はまっすぐにイヴを狙う。イヴはそれを脇に避けるが、完全には避けきれず、花弁が2,3枚、光線に焼かれた。
「『ハンマー』と 『クラッシュ』…!『ミラー』なんかに…許さない…ゆるさない!!!!
白く戻った花を閉じ、「ギガントハンマー」をコピーしたイヴが身の丈の数倍はある巨大なハンマーを振りかぶり、カルラの頭上に振り下ろした。
ドガアッ!!
地面に深くハンマーが食い込む音。その後、ハンマーから衝撃波が飛び、イグルを襲うが、イグルは木の棒を棒高跳びの容量で地面に突き、空中に逃げた。
「だから、言ったでしょう?」
ハンマーの上から聞こえるのは、カルラの声。
「そんなに大振りじゃ、隙だらけと」
パキィッ!と音がしてイヴの額の星が砕かれた。イヴの後ろには、白いベールに身を包み、背中から純白の翼を生やしたカルラがいた。
「『HPが半分以下になると、天使化ができる』…よく意味は分からないけど、とりあえずピンチにならないと姿を変えられないのは分かったわ」
その両手には、剣の形を取った「聖武器エンジェリア」が握られていた。
背に花を携えた状態に戻るイヴ。今度は怒り狂うのではなく、動揺していた。
「どこにそんな 力が?弱っ てたのに?」
取り乱すイヴは少しばかりだが、息が荒い。どうやら疲れ始めたようだ。
大丈夫よ。まだ『コピーの元』は残っているから
「そうだね…イヴが負ける わけないもの ね」
またもや冷静な女性の声がして、イヴを立て直させる。しかし、その声はイヴの体力も、失われた「コピーの元」も取り戻すことは出来ない。いよいよカルラとイグルにも勝機が見えてきた。
「私も残りの体力が少ないけれど…」
カルラはイヴの方を向き、剣を構える。
「せめて、次に繋げる!」
カルラが剣を突き出した状態でイヴ目がけて飛ぶ。狙うのは、花の目からも、イヴの目からも見えない死角内の花弁。少しでもイヴの攻撃手段を削り、イグルに回そうと考えたからだ。
しかし、カルラの剣がイヴの花弁を仕留めることはなかった。
「もう限界なのー邪魔しないでー」
「ハイジャンプ」をコピーしたイヴが狙ったのは、下で待機するイグルだった。イグルは流星のごとく落下してきたイヴから離れ、様子を伺う。イヴは地面に着地した後、すぐに「ソード」をコピーし、イグルに迫る。それに対してイグルは木の棒を構え、真っ向から勝負を受けた。
スパッという小気味のいい音。気付けばイグルの持つ棒は、イヴの持つ剣に一刀両断されていた。
まずは足元の虫けらから処理してしまいましょう
イヴから落ち着き払った女性の声がした。イグルは黒鉢巻の手を自分の前に持ってきて、イヴの攻撃を受け止めようとした。
ドドドドドッ!!!
続けて「ファイター」をコピーしたイヴは、畳み掛けるようにイグルを襲う。イグルは手でガードするものの、押され気味だ。
「『バルカンジャブ』を打ち込んだあとは~♪」
イヴが急に攻撃を止める。そのことにより、イグルのガードが少し緩んだ。
「『ライジンブレイク』で打ち上げて〜♪」
イグルの手の元まで接近したイヴは、見事なアッパーを繰り出す。不意を突かれたイグルは手を弾かれ、ノーガード状態となった。
「『スカイキック』からの『せおいなげ』で一丁上がり!!」
空中に飛び出したイヴがイグル目がけて急降下しながら足を出す。イグルは後ろに引いて避けるが、イヴの着地後、黒鉢巻の両手首を掴まれる。
「「!!」」
イグルは次に来るであろう「せおいなげ」のダメージを減らすために身構え、カルラはイヴの攻撃を阻止するために2人の元へと迫る。
「ちかづくと 危ないよ?」
イヴが「せおいなげ」を繰り出し、イグルを投げ飛ばす。その先にはイグルを助けようと突っ込んできていたカルラが。
2人は真正面から激突した。お互いに受け身すら取れていない。
「…ぐっ…げほっ……イグル…?」
地に落ちたカルラが傍で倒れているイグルに声をかける。だが、イグルはピクリとも動かない。
「…!?イグル…?イグル!!」
カルラが足を引きずってイグルの元へ行き、その体を揺り動かすが、全くと言っていいほど反応がない。
<イグル、戦闘不能。挑戦者残り1>
カルラの想定していた最悪の事態を、ノイズ混じりのアナウンスが知らせる。カルラはその場に崩れ落ちた。同時に、今までの疲れや痛みがどっと押し寄せてくる。
「もう おわり?」
イヴが近づいてきた。背中に白い花を携えた状態に戻っている。
「………」
カルラは答えない。今やその目にはぼやけた姿のイヴと、ステージの景色が映るだけ。
「じゃあ、最後 に…歌を教えて」
イヴがカルラに言った。やっと「食事」という安らぎに辿り着けた喜びからか、無邪気な笑みを浮かべていた。
「歌…?」
「そう。カルラ の、お気に入りの 歌」
カルラはそれを聞いてきょとんとしていたが、突然、何か閃いたように立ち上がった。
「…分かった。それじゃあ、ちょっと面白い歌を教えてあげる」
「どんな 歌?」
「そうね…ちょっと変わった歌よ。その歌の歌詞には力が込められているの」
「すてきな 歌!ねぇ 今すぐ、聞かせて ?」
イヴがカルラに催促する。カルラは頷いて、「ええ。今すぐにでも」と答えた。
「それじゃ…歌うから、静かに聴いてね」
カルラが深呼吸をすると、純白の翼の片方が、根本から徐々に漆黒に染まった。
イヴはゆっくりと目を閉じる。どんな歌だろう?カルラの歌だもの、きっと綺麗に違いない。イヴにも歌えるといいけど…。
「『ここには旅人の道を照らす太陽も、夜に怯えるものたちに安らぎを与える月もないの。あるのはそうね、角を持ち、血を好む獰猛な怪物と、魅惑の歌声で全てを虜にするリリス様くらいかしら。
さぁ、踊りましょう!今宵もリリス様は自分の魅惑の歌に合う、慈愛の踊り子を探すの。その人は一度だけリリス様の前に現れて消えた、まさに幻のような人。もう、リリス様を止められるのは彼女の求める踊り子しかいないわ!!いずれ貴方もリリス様の歌の力に飲まれ、全てを失うでしょう。そうなる前に、どうか、どうか、見つけて頂戴。リリス様が欲しくてたまらない、唯一人の慈愛の踊り子を』…」
カルラは一瞬、歌を歌うのを止め、笑った。それは、酷く冷たい笑い方。目を閉じて、歌詞を小さく復唱するイヴには見えていない。
「『でも、貴方にも、私にも見つけられやしないわ!何故なら、リリス様が求めた踊り子は、鏡の中で歌い踊るリリス様自身だったから!!リリス様はそのことに気付かないまま、今宵も歌い続けるの…
リリス様は悪魔の歌の傍にいる。そして、力と引き換えに、歌う悪魔の血を啜って、また踊り子を探しに暗黒の世界を廻っていく…これは私という悪魔がリリス様に捧げる歌』…」
イヴは自分の背後に視線を感じて目を開けた。しかし、カルラは目の前で歌っている。訝しんで振り返ろうとしたそのとき、カルラの歌声が止んだ。
「…『リリスの囁き』」

嘘は嫌いよ

パキィ!!と何かが砕ける音。イヴの花弁が先端からボロボロと崩れていく。見れば、イヴの花弁の先端についていた「コピーの元」は全て砕かれていた。
「!?何 したの!!!??」
イヴが花弁を閉ざし、カルラたちが最初に見た姿に戻る。今やその目は大きく見開かれ、カルラだけを見つめている。
「『リリスの囁き』…悪魔の者しか使えない、いわゆる『奥の手』。上手くいけば対象の物体を全て壊すことができる。発動条件は『リリス様へ捧げる歌』を歌い続けなければならないこと。それと…」
ここでカルラが激しく咳き込み、口から血を吐いた。カルラは口元の血をベールで拭うと、最後に説明を付け加えた。
「…血。それも倒れるギリギリくらい大量の、ね」
カルラがイヴに近づく。イヴは目を真っ赤に染め、カルラを睨んでいる。
「もう、この 遊びも終わり!![エントリ…」
イヴは技を放とうとするが、唱える前に宙に浮く水球の中へ閉じ込められる。最後の言葉は気泡となって消えた。
「最後に一つだけ。鬼ごっこ、楽しかったわ。今度はお腹いっぱいになった後で遊びましょう?」
カルラは笑った。それは、歌の途中に見せた残忍な笑みではなく、優しい、母の微笑だった。
「…『トネル・トニトルス』」
イヴの入った水球に雷が落ちた。凄まじい音の中に聞こえたあれは、イヴのものだろうか。
『第4ステージボス:イヴ 撃破』
カルラはアナウンスの声を聞くと、「半悪魔化」を解き、その場に仰向けに寝転がった。そして、大きく息を吐いた。
「何とか…倒せた…」
う〜ん、と伸びをして休憩を満喫しようとしたのもつかの間、青い角が視界の隅に入った。
「…次、行かないと…」
「よく言うわよ…途中から戦闘不能になってたくせに」
ぶつぶつと文句を言いながらも、カルラは勢いをつけて起きあがった。イグルが鉢巻の手でカルラを持った。
「まだ歩けないだろうから…休憩所まで…連れて行くよ…」
「ありがと…」
カルラはイグルの手の上で揺られながら、何かを忘れている気がしてならなかった。それを思い出したのは、イグルが扉から出ようとする直前だった。
「…ちょっと待って。忘れてたことがあったの」
 ・
 ・
 ・
イヴは機嫌を損ねていた。せっかくの御馳走に逃げられてしまったからだ。
データ体の為、戦闘不能から少し経った後で傷はたちまち癒えたが、空腹だけは満たしてくれなかった。今は目を覚ましたときに、傍に置かれていたサンドウィッチと多少の菓子を手に、それを黙って食べていた。サンドウィッチはカルラが、菓子はイグルがそれぞれ置いて行ったものだということに、イヴは薄々気づいていて、それが尚機嫌を悪くした。
(良かったじゃないか。優しい挑戦者たちで)
「イヴは あたまが 食べたかった!」
(ははは…まったく、イヴには困ったものだ…)
イヴは誰かと少し喋った後、サンドウィッチと菓子を全て口の中に押し込んで、「味はわるく ないけど…おなかいっぱい になんてなら ないよ」と少しばかり文句を呟いた。

Be continued.



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