芽吹く紅、落ちる碧 (百鬼いろは)
あの窓が開いた日のことは、今でもよく覚えている。離れにあるこの部屋が自分のものになってから、つまりわたしがここに軟禁されるようになってから、もうすぐ二桁の年が過ぎる頃。けれど、そこが開くのを見たことは、それまで一度もなかった。
円形の床を囲む壁は檜で覆われてはいるものの、その中には鉄のような冷たい金属が挟まれている。わたしの妖の力でも壊れないようにするためだ。その壁と屋根の間、わたしの身長の二倍ほどの場所には、ガラス窓がぐるりと一周、等間隔につけられている。ただ、それはひとつを除いて硝子が填められただけの開くことができないものだった。そのたったひとつの窓、それがある日、音を立てたのだ。
「いらっしゃいませ。こんにちは、どのお洋服がいいかしら。これなんかいかがでしょう? そうね……洋服もいいけれど、今日は着物の気分だわ」
人形を並べて一人で何人もの台詞を話す。人が知ったら白い目で見られるかもしれないけれど、ここにはわたし以外の人間は誰もいない。ご飯を運んでくる家の者は決まった時間にしかやって来ず、遊び相手になってくれる人間もいないのだった。 それが当たり前になっていたから、わたしも人と話すような大きな声で演技を続ける。
「この着物にしましょう。そうですか、とてもよくお似合いですよ。ありがとう、これにはどの帯がいいのかしら? そちらは先日新しく入ったばかりで……」
と、そのとき、カタン、と何かが窓に触れる音がした。はじめは鳥か何かだろうと思っていたけれど、窓はガタガタと大きな音をさせたかと思うと、間もなく、ぎぃ、と不愉快な音を立てて開いた。どれくらいぶりか分からない風が肌に触れるとともに、小さな人影がひとつ、そこにはあった。 その影は、すぐ下にある本棚、そしてタンスへと飛び下り、驚きで動けないわたしの前へと着地する。窓辺にいるときは逆光で見えなかったけれど、それはわたしよりも小さな少年だった。彼の持つ銀色の髪はわたしと一見同じようにも見えたけれど、光を浴びたその色は透き通るように輝いている。
「楽しそうだね。お店やさんごっこ? 洋服屋さんかな?」
人形を放り出し、大慌てで側にあった布団に頭から潜り込む。驚きはもちろんのこと、さっきまでの一人遊びを見られていたかと思うと、恥ずかしくて消えたかった。けれど、だからといって布団をかぶったところで消えることなどできないのだ。その恥だけならこんな馬鹿なことはしない。
わたしの姿は半妖、つまり、人間ではない。人間と同じ姿のまま留まることができないわたしは、人間に見られることを避けるためにここに隔離されている。人間から近づいてきたからといって、その姿を晒すことは完全なる悪である。理由は分からないが、とにかく悪いことなのだ。だからわたしは、生まれてからずっと、ここにいなければいけないのだ。
布団で額の角と鋭く尖った爪を隠す。足の辺りは見えているけれど、手を見せることができない以上、布団を掛け直すこともままならない。とにかく半妖の状態である部分が見えないようにしなければいけない。 どうしてこんな姿に生まれてしまったのだろう。力なんて要らないから、普通の人間に生まれたかった。
「今度はかくれんぼ? ここには隠れる場所なんてなさそうだけど」
けれど彼は、怯えることも、驚くことも、貶すことも、全くなかった。少なくとも彼は、百鬼家の人間ではないはずなのに。 ちょんちょんと背中をつつかれ、さらに身を縮める。
「そんなに怖がるなんて……普通逆じゃないの?」
確かにそうだけれど……ということはやはり、彼は半妖ではないのだろうか。あの一瞬の中で覚えていたのは、ただただ輝く銀色だけで、そのほかの情報は全くない。
「あっ……あの……あなた……」
「俺? 恵だよ。あんたは?」
「そうじゃ、なくて……あの……」
「ま、名前も知りたかったんだけど、それよりさ……」
強引に布団を引き剥がされ、隠したかった部分も再び日の下に晒される。妖力を制御しきれていないわたしが力を入れると、百鬼家以外の人間なら簡単にふっ飛ばされてしまう可能性がある。だから、どんなに隠したくても布団を離さなければいけなかった。
角を隠せば手が見えるし、手を隠せば角を隠すものがない。いよいよ諦めたわたしは、観念して少年を見上げる。けれど彼はわたしの想像に反して笑っていた、とても嬉しそうに。
「あんた、鬼なんだよね? もっとよく見せてよ」
わたしを映すその瞳は、あんなに遠かった空の色だった。
end
ちなみに、題名はあか、あおで読んでください。
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とっぷ りすと
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