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 午後のあたたかい光を受けながらうとうととしていると、閉じていた視界に影が差したので目を開いた。目の前には困ったように立ち尽くした長身の男がいて、相変わらずだなぁと目許を和らげる。隣に座りたいのだろうに、おれが寝転がっているから座れず立っているのだ。

 まるで飼い主が「よし」を言うのを待っている忠犬みたいだった。

 会計から貰ったココア色のヘアピンで留めてあるため前髪のせいで顔が見えないなんていうことはなく、現在はおれの前でのみ顔を晒すようになった。表情を見たくても見れなかった以前とは大きく違う。

「晴美さん、あの……隣、座ってもいいですか……?」

 おれの機嫌を窺うように見つめてくる恋人――上原に腕を伸ばし、露わになっている頬を撫でる。垂れ目がちな黒い目でじっと見つめられると、じわりと興奮とも幸福感ともつかないものが胸の奥から染み出てきた。それが愛おしさというものだと最近知ったおれは、身体を起こして隣を空ける。

「座れ、もっとおれにその顔を見せろ」

 こう言ってしまえば上原の顔が好みだから付き合っているのではないかと疑問を抱かれるだろうが、そもそもおれとこいつの出会いはそこまでいいものではなく、顔も最近になってまともに見れるようになったのだから違うと断言できる。おれはこの男の純粋な部分をはじめ、すべての部分を気に入っているのだ。

 上原は顔を晒すことに慣れていないのか時折恥ずかしそうに視線を泳がせて、最終的には泣きそうになりながらおれを見つめてくるからたまらない。でかい図体で泣きそうになりながら縮こまっているのを見るのが好きだ。

 好きだ愛していると何よりもはっきり告げる、その黒い瞳に吸い込まれそうになる。

 かなりの長身だが、垂れ目と臆病な性格なため高圧的に見えないところも、どうやったらそんなに純粋なままで生きていられるのか不思議なくらい初心な性格も、全部を愛している。

 だが、そこにひとつ気に入らないところがあった。

 おれは性欲が強いほうで、抱かれたいランキング1位といいながらもかなりの人数に抱かれてきた。受け身だというのに相手が疲れ果てるまでセックスに付き合わせることも少なくないおれは、上原を好きになってからずっとオナニーだけで済ませてきた。

 だが、付き合い始めてもう3日ほど経つが、晴れて恋人同士になれたというのに何が悲しくて右手だけで我慢しなければならない? 純粋なところも慎重なところも好きだったが、オアズケ状態は初めてなためつらかった。

 悩みに悩んだ結果、ひとりでは答えを出すことができなかったため正直にその気持ちを上原に伝えることにした。ひとりで勝手に悩んでいたって、こいつのことだからきっと気づかれなかっただろう。間近でおどおどとしている上原のネクタイを引っ張って耳にくちびるを寄せ、聞き逃されないように捕える。

「なあ、セックスしてぇんだけど」

 笑みを堪えながら言ったのが悪かったのか、耳に触れる吐息がくすぐったかったらしく「ファッ……!?」と奇妙な声をあげて耳を押さえて真っ赤になりあわて始める目の前の男が微笑ましい。

「えっ、セッ……え!?」
「慌てすぎだろ。ちょっとうるさい」
「ごごごごめんなさい、でもいま、いま」

 どもりながらも必死でおれの言葉を繰り返そうとする上原の薄いくちびるを人差し指で押さえて、シー、と黙るように指示すればすぐにおとなしくなった。素直でいいことだ、と明るい茶色の頭を撫でまわしたくなるのを堪えながら頬にキスをする。赤くなっている頬はやわらかな弾力があり触り心地がいい。

「まあ、まだいいか」
「え……」

 まだこいつには刺激が強すぎたかと思い直していれば、上原は残念そうな声を出した。

「なんだ、おまえおれとセックスしたいのか?」

 面白半分に訊いてみれば、上原は明るい茶色の前髪をいじりながら言いにくそうに「……はい」とひとつ小さく返事をした。消え入りそうなその声に、ぎゅうっと心臓が締め付けられるような痛みを覚える。

「ででで、でもおれっ、おれ、セッセセセセックスのしかたわからないです……!」

 やっぱり無理です、などと弱気なことを言う恋人の鼻の頭にキスをして、正面からガシッと抱きついた。もう慣れた様子で背中に回される長い腕に満足する。以前は夢でしか見れなかったことが、現実になっている。抱擁はやさしく、それでいて甘い香りがした。

「最初はおれが教えてやるよ」

 おまえが知らないことは全部教えてやる。おれはこの学園トップで優秀だし、この容姿もある。金も地位も権力ももつおれが、全力でおまえの知りたいと思うことを教えてやる。

「だから、おまえのハジメテはおれに寄越せ」

 童貞も、初恋も、すべておれにだけ寄越せばいい。ほかのやつに見向きなんてする暇がないくらいおれで満たしてやるから、こころも身体も欲しかった。





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(C)siwasu 2012.03.21


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