アンバランスな僕等03 冬の始まりは生き物達の気配が消え代わりに風を切るような冷気が耳の温度を奪ってゆく所から始まる。 次に視界に映る枯れ葉。身体を丸めながら歩く通行人。そして煙草と酒と香水の匂いが広がる照明の暗い店内。あ、これは違う。 「お前も随分色っぽくなったよなぁ」 「っ!」 突然耳に口元を寄せられ驚いた俺は、自身の口から漏れそうになった声に頬が羞恥で染まる。 「…何なんですか」 「本当に女にでもなったか?」 その的確な問いに、茶化しているのだと分かってはいたが心中で動揺しつつ表には出さぬよう笑みだけを作り見せた。 客は今トイレに出払ってていないからこその会話内容だ。 「今はこーゆーキャラなんで」 「ふーん。確かにお前顔だけは綺麗だもんな」 顎を掬われ反射的に右手で弾く。 丁度戻ってきたらしい客がその様子を見て私のレン君取らないで、と俺の身体を抱き寄せた。先輩が笑いながら肩を竦める。 わざとらしく当たる胸が腕にその柔らかさを伝える。俺の顔を覗き込む化粧で縁取られた目を見て微笑みながら、グラスを手渡した。飲ませて、と甘える女に失笑する。 「そういえば先輩、もう来週ですよね?」 「ん?ああ」 「盛大に見送りますよ」 先輩との会話が気になったのか食いついてきた女に先輩来週で辞めるんだ、と言えばいつなの?私も見送るよ、と手を挙げた。これでまた客が増える。先輩は女に礼を言いながら俺に厭らしく目配せした。 仕事が終わり、先輩の車に乗り込む。 3年経っても変わらずマンションまで送ってもらっている日常ももうすぐ終わるのか、と助手席から景色を見ながら呆けていたら赤信号で不意打ちにキスをされた。 そして抱けると思えるぐらいにはお前のこと好きだったよ、と言う先輩にどうも、と笑みを浮かべた。 変わったな、と寂しそうに昔と同じ言葉を吐く先輩には何も返さず、また景色を見つめる。 あの時とは意味が違うことぐらい知っていた。だから何も言わなかった。 何かあったら連絡寄越せ、と去り際繋がりを求める先輩に俺はご結婚おめでとうございます、とだけ返して車が視界から消えるまで手を振り続ける。 「さ、てと」 手ぶらでも部屋番号を呼び出すのが癖になりつつある自分に笑みを作る。 この3年間、扉が開かないことは一度もなかった。 けれど嬉しい、と感じたこともなかった。 エレベーターに乗り込み少しマシになった温度に息を吐く。それでも白くなる色に肩を寄せつつ、目的地に着き開いた扉からの冷気に眉を寄せた。 部屋の前で溜め息を吐くとインターフォンを鳴らさずノックするのも癖、だよなと苦笑して腕を上げた。 だがそれより早く開いた扉から腕が伸び、俺の左手を容赦なく引っ張る。 「っと、」 次いで荒々しく塞がれる唇に、俺はそっと目を細め扉と鍵を閉めた。気付いていないだろう同居人は貪るように舌を絡ませる。 挨拶もないままに始まる非生産的な行為に、俺は目を閉じて無言のままそれを受け入れながら、男の左手を握った。 薬指に光る指輪は未だ俺にその意図を教えてはくれない。 「ちょっとそれ残さないでよ、自信作なんだから」 「魚の匂いがするぞ」 「…気のせいじゃない?」 「いや、君は絶対これに魚を入れた筈だ」 バレたか、と舌を出せば男は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。今でも偏食を治そうと最早意地になっている俺は皿を寄せると香りを確認する。確かに僅かだが男の嫌いな生臭さが残っていた。 体内に男の精子を残したまま食事の準備を急かす態度への嫌がらせのつもりだったが、どうやら失敗に終わったらしい。 浴びたてのシャワーに濡れた髪を拭きながら、俺は冷めきった残飯に手を付けた。 「…これが君の源氏名というやつか?」 「あ、ちょっと…!」 食事の中に聞こえた声。顔を上げると、男が無断で俺のスーツを漁っていた。しまった、今日はつい店に置いて帰るのを忘れたようだ。 内ポケットからの一枚を取り出してマジマジと名刺を見る男は、次いで俺を見てニヤリと笑った。 「いい名前じゃないか、『レン』君」 「うっさい、いいから黙ってそれ直して」 悔し紛れに言った言葉とは逆にそれを自身の胸ポケットに入れた男は俺に近付き唇を寄せた。 食事中の為僅かに残っていた固まりに構わず舌を入れて抜くとやはりまずいな、と眉をしかめる。 「もう帰んの?」 「あぁ、最近あれが煩い」 身支度をして玄関に向かう背中。男の荷物は引っ越してきたまま何も変わらない。いや、むしろ増えている。 けれどその身は、今までとは違い別の場所にも移るようになっていた。 また朝になれば戻ってくるのだろう。 奥さんに向かって仕事場に行くと告げる男の滑稽さに笑みが漏れた。 「名刺、置いてきなよ」 「?」 「証拠は少しでも残せば掘り返せされるよ?」 聞き入れたのか、渋々戻ると自室に向かう男。多分棚にでも入れたのだろう。後で取り返すか。 「鍵はかけてある」 「………」 どうやら先手を取られたようだ。 「明後日は休みだろう?」 「あんたもね」 「僕に元々休みという概念は存在しない」 つまりこの部屋に来る訳か。 昔は俺が休みの日なんかはよく金を渡され外で時間を潰せと放り出されたものだ。 男のタイムスケジュールに合わせるかのようにお伺いを立てて尻尾を振っていたあの頃が懐かしい、と俺は食べ終わった皿を洗い場に直した。 次こそ、と玄関に向かう男に声をかける。 「今日男にキスされたよ」 「…何?」 止まる足は次いで俺のいるキッチンに向かった。 「その人、セックス出来る程には俺を愛してくれてたみたい」 からかいながら言えば、頬に張り手が振ってくる。 商売道具に傷つけないでよ、と苦笑すると荒々しい口づけと共に始まる2回目の非生産的な行為。 馬鹿らしい、と思いながらも俺は目を閉じてそれを受け入れる。 帰りそうにない今日に俺は男の薬指に光る指輪を撫でた。 荒々しい息遣いしか聞こえない 枯れ葉が落ちる。冷えた身体が熱を持つ。とりあえず、ベッドに行きたい。 男の考えなんて分からないけど、このままの関係に終止符を打つ時は俺が彼に愛を囁いた時じゃないだろうか、と脳裏にその情景を思い浮かべてツキリと痛んだこの心情を誰か代わりに説明して欲しい。 >> index (C)siwasu 2012.03.21 |