アンバランスな僕等02 秋の始まりは蝉の音が消え代わりに蟋蟀の合唱が鼓膜を撫ぜ上げる所から始まる。 次に視界に広がる紅葉。涼しい風。そして24時間営業のスーパーにあるお惣菜コーナー。あ、これは違う。 「お前、主婦みてぇだな」 「それもう言わない約束っすよ」 呆れたように見下ろす先輩に咎めるような半眼を向けると肩を竦められた。 「別に着いてこなくてもいいのに…」 「…本当可愛い気なくなったよな」 この間まではあんなに先輩!先輩!って後ろ付き纏ってた癖に、と言われて溜め息をつく。 「別に、今でも先輩のことはちゃんと尊敬してますけど」 「昔みたいなピュアな感じが消えて擦れて来たよなってこと。…まぁ、馴染んで良かったんじゃね?」 言われて、自分の姿を確認した。 ブランドものだがシンプルで高級感を控えめにしたスーツに同じような意図のアクセサリー。夏より明るくなった髪色。 選択肢が増えた時計。今日は安めだが、同居人に買って貰ったポールスミスだ。 やっかみを受けないようにと敢えて選ばれたそれらは、求められている目的をしっかり守っているかのように今まで一度も店の仲間から不躾な視線を向けられたことはない。 売上げも一般よりはやや良好、と目立ち過ぎずのし上がりたい小心者の俺としては予定の範囲内にある現状に内心笑みを浮かべていた。 先輩が勝手に放り込んだアイスクリームに呆れながらも車でマンションまで送ってもらう。 そして礼と共に頭を下げれば、今度飯でも奢れよナンバー3さん、と言い捨てて笑う先輩に口元が引き攣りつつ視界から消えるまで車を見送った。あれは絶対厭味だ。 「さ、てと」 この格好で買い物をしていた姿も異様だろうが、スーパーの袋を両手に抱えている姿はそれ以上だろう。 塞がっている手を見て暫く悩んでから自分の部屋番号と呼び出しボタンを押した。 無言で開く扉をスルリと抜けてタイミング良く一階で止まっていたエレベーターを開く。 密閉空間はまだ夏の名残かわずかな蒸し暑さが残っていて、俺はじわりと滲み出る汗をつい袖で拭ってから後悔した。 しまった、これ今日クリーニングから帰ってきた所なのに。 目的地に付き開いたエレベーターを出ると涼しい風に目を細める。 そのまま角部屋まで進むと時間も時間なので扉をカン、と軽く蹴った。暫くしてカチャリ、と鍵を回す音と隙間から漏れる光。 「っと、」 予告なく手を離された扉が自動で閉じようとするのを間一髪足を差し込んで阻止すると、肩で押して身体を室内に入れた。 この部屋のもう一人の主がリビングに戻る背中を見つつ苦笑する。慣れとは恐ろしいものだ。 「遅い」 「…アフター付き合ってたんだよ」 シンプルだが高級感漂うダイニングテーブルに腰かけた男が苛立ち気に指でそれを叩いた。 「ならメールぐらい寄越せばどうなんだ」 「…したけど」 袋をキッチンスペースに置きながら答えると男は沈黙の後見ていないなら一緒だ、と呟いた。思わず半眼で睨みつける。 「ピーマンが食べたい」 「え?アンタ食えないっしょ?買ってくる訳ないじゃ…」 「じゃあピザ」 「…あぁ、そういえばさやいんげん残ってたから野菜炒めで」 あからさまな舌打ちを耳に入れながら俺は冷蔵庫を開けた。うん、やはり残っていた。 「一言目にはピザ。二言目にもピザ。アンタ良く今まで身体壊さなかったね」 「あれなら嫌いなものも食べれるんだよ」 鼻を鳴らす男に呆れる溜め息は、一緒に暮らすようになってからもう何百回ついただろう。 シェアリングと言っていいのかも分からない同居を始めて3ヶ月が経った。 すぐに俺の部屋も含め全てを自分好みに内装した男は、間髪入れずに翌日現状についていけない俺を連れて仕事に必要な衣類等を全て揃えると、 「ちゃんと君を同行させてここまで買ったんだ。今更無しと言わせる気は毛頭ないから」 しれっと言い放つ男に俺は呆れを通り越してもう何も言えなかった。 そしてその強引さに苛立ちを覚えつつ、せめて俺が優位に立てるものはないかと考えた結果がこれだ。 「…こんなもの人間が食える訳がない」 「それ世の中の人間に失礼だよアンタ」 テーブルに並べられた皿を見ながら顰めっ面を見せる男に、俺は合いの手を差し込んだ。 次いで睨んでくる視線から、俺は逃げるようにテレビを付け録画していたドラマを再生する。 暫くして諦めた男は渋々皿の上に乗った色とりどりの野菜を口に含んだ。…何回も。 「…気に入ってんじゃん」 「ピザには劣るがな」 捨て台詞を吐きながら眉を寄せたまま口を動かす姿を傍目で捉えながら、俺は実家が料亭ということに初めてメリットを感じていた。 正直料理はそれなり、所かかなり得意だったりする。 偏食家でピザしか受け付けない筈のこの男が悪態をつきながらも俺の料理を平らげる様子は、中々の優越感を覚えることが出来た。 「食べ終わったぞ。そのつまらんドラマをさっさと消せ」 「んーあと15分ぐらいだか…っておい!…アンタ、本当最低」 「僕以外の作品を見ても時間の無駄だろう」 勝手にリモコンを奪いテレビ消す男に俺は諦めて椅子を男の方に向けなおすと、綺麗に片付けられた皿の上に満足しつつ、肩肘をついた。 男はいつの間に用意したのかノートとペンを片手に準備している。 「で、今日はどっから話す?」 「昨日君がアヤカとかいう女の話の途中で寝たから、そこからだ」 「そーだっけ?」 正直仕事の後は男に料理を用意するのが精一杯で話をする程の体力は残っていない。途中でそのまま寝てしまうことも多かった。 しかし最近になって仕事内容の報告が義務付けられた為、仕方なく自分の接客した女の話を個人情報が特定されない程度に教えている。多分仕事のネタの一つとして知っておきたいのだろう。この男の知識に対する貪欲さに関しては尊敬するものがある。 それに俺も、与えられている仕事以上の金を出して貰っている自覚があるのであまり強い拒絶は出来なかった。 「んで、俺が『でもアユミだって悪気なかったんだからそこまで怒られる筋合いないじゃん』って言ったら、」 「待て。それは君の本心か?どう聞いてもその話はアユミが一方的に悪いだろう」 「んなの嘘に決まってんだろ。女の愚痴がどんだけ理不尽でも同調するのが俺の仕事なのー」 「…理解しがたいな」 じゃあ聞くなよ、と思いながらも続きを促され渋々口を開いた。 「こんなネタどこで使えるって言うんだよ」 「少なくとも女の意地汚さだけは次々と露呈されていくから面白い」 話が終わって椅子に背を預けながら聞けば、底意地の悪い笑みが返ってきて俺は男の性格の悪さに自分も人のことは言えないと笑った。 「今日はもう寝んの?」 「あぁ、あらかたは終わった」 「そういえば俺明日は朝の方も出るから飯、作り置きしとくね」 「…またか」 咎めるような視線に戸惑いつつ、俺はだって、と続ける。 「太客が来んだからしゃーねーじゃん」 「…作り置きなどしなくていい」 俺はぶすり、と不機嫌そうに呟く男に近付いた。 そして肩を回すと、甘えるような仕草で耳元に唇を寄せる。職業柄、といえば聞こえがいいがその実ただ自分の見た目にものを言わせた狡い行為であると知っていた。 「アンタの好きな鶏肉にしてやっから、な?」 この手のことに慣れていない男は、眉間を寄せながらもしかし耳をほんのりと赤くさせて黙りこんだ。 女だろうが男だろうが、美形に甘えるような仕草をされて嫌な気分にならないことは目の前の男で実証済みだ。 以前芸能人とも関わりがありそうだからこれぐらいで動揺する何て、と揶揄った時は君のような薄汚い男娼と一緒にするな、と怒られたっけ。 「んー、なんだろね」 「何がだ?」 「俺達の関係?」 ただの同居人、にしては援助してもらっている割合が高い。 大体それも仕事に対してのみで、店の奴と飲みに行く時などは自分の金を使っているし。 「愛人?でもないしなぁ…」 「はっ、肉体関係でも築く気か?」 「冗談やめてよ」 この男の雰囲気から冗談に聞こえないからこそ恐ろしい。 俺は男の肩に顔を埋めて考えてみた。視界に入るには厳しい見た目は今はさっぱりとしていて、ウェーブのかかった長髪は適度な長さに切り揃えられて後ろで縛っている。 お気に入りの柔軟剤の香りがシャツから滲み出ていて落ち着く。 どけ、と言う男の声は勿論無視である。 不遜で俺様な態度の男だが、俺の何を気に入ったのか仕事に関しては惜しむことなく与えられる援助に感謝しつつそこで以前客から聞いた一つの単語が頭を過ぎった。 「あ」 「なんだ?」 「パトロン、じゃね?」 言った瞬間髪を掴まれて口付けられた。 俺も特に抵抗なく男の唇の感触を受け入れる。 「…慣れてるのか?」 「さぁ?男は初めてだけど」 答えれば、男は不機嫌そうに立ち上がると自室へ向かった。 どうやらこの返答はお気に召さなかったらしい。 「添い寝してあげよっか?」 「馬鹿か、君は」 拒絶はなかったので俺は男の後をついて一緒に部屋に入ると、スーツだけ脱いで勝手にベッドに潜り込んだ。 男も黙って隣に寝そべると、俺の体を抱き寄せる。 蟋蟀の歌声が遠くで聞こえる。 涼しい風。少し温かい体温。とりあえず、もっと広いベッドがいい。 寝る前に女は嫌いだ、と呟いた男のカミングアウトに何となくそんな気がしてた俺は、背中から感じる吐息に目を閉じながら男との身体の相性を考えて不毛な気分になったこの心情を誰か代わりに説明して欲しい。 >> index (C)siwasu 2012.03.21 |