アリシアの行方03



「先生、原稿出来てる?」

 言いながら扉を開けた。そこには最近になって見慣れた光景が広がって、俺は心中で舌打ちする。
 先生はあの一件以来、原稿を必ず締め切りまでに終わらせ、机の上に完成されたそれを破棄することなく置いておくようになった。それは勿論嬉しいことなのだけれど、毎回俺が来る時に限ってベッドの上でアリシアと仲良さげに横になっている姿を見ると、胸がざわつく。

「あぁ、栞くん。いつもありがとう」
「だからその名前で呼ばないでってば」

 思った以上に苛立ちを含んだ声に、口元を押さえる。しかし先生は気にしていないのか隣に眠るアリシアの喉を嬉しそうに撫でていた。
 アリシアも、何故かあれ以来先生に甘えるようになった。元々は俺の方にばかり擦り寄ってた癖に今では見向きもしない。それが子供じみていると分かっていても、悔しかった。

「とりあえず洗い物してきますね」
「あぁ、お願いするよ」

 先生は、俺の方を見もしないでアリシアに愛しむような目を向ける。ざわり、と胸が震えて俺はリビングの方に向かった。今の二人を、見たくなかった。
 最近俺は先生の家に立ち寄る回数が減っていると自覚している。理由としては、アリシアの気まぐれさに苛立っているのだと思う。猫はそういう生き物だと相談した友人に言われはしたが、それでも許せなかった。まるで鞘当てに使われたようだ。
 汚れた食器も洗濯も溜まっていないことを確認して、俺は溜め息を吐いた。先生は、自分で家事をこなすようにもなっている。それは何故か考えたくなかったが、本当は知っていた。
 俺が、邪魔になったんだ。

「…っ」

 思っていた以上に先生とアリシアに固執していたらしい俺は、溢れる涙を拭い簡単に掃除機だけをかけた。
 原稿を待つことも、もうない。これ以上この場にいる意味のなくなった俺は、先生の部屋に向かう。

「帰ります」
「え、もう?」
「原稿は頂いたし、家事も特に溜まっていなかったので」

 もう少しゆっくりしていったらいいのに、と社交辞令で残念そうに言う先生に、胸が痛んだ。先生の肩越しに見えるアリシアはジッとこちらを見つめていたが、何を考えているのか分からなかった。
 まるで愛人のようだと胸中で嘲笑って、俺は先生に一礼して家を出る。
 駄弁を弄してみても、結局の所俺はこの家に来ることが嫌ではなかった。いや、むしろ望んでいた。けれど今更それに気付いても、遅いと知っていた。
 それでも未練を残した俺はただ二人に嫉妬するばかりで、置いていかれたような除け者にされたような現状を憎んでいて、つまり、だから、

「にゃ、ぁ…」
「ア…リ、シア…」

 大学から帰宅中の道端に転がる彼女に一瞬でも醜い自分の感情が過ぎったなんて、先生に知られれば何と思われるのだろう。
 先生の家へは一ヶ月程訪れていなかった。バイトを止めさせてくれと親父に頼んだのだ。不摂生な生活から抜け出した先生に、親父も特に言うことはなく、ただ「嫌じゃなければたまには様子を見に行ってやりなさい」と告げただけだった。
 だからアリシアと会うのもこれが一ヶ月ぶりだった。特に外で会うのは、初対面以来だろう。

「にゃぁ、」

 か細い声が鳴く。俺は彼女に一歩近付いた。最後に見た瞳は、今も変わらず何を考えているのか分からないまま俺を見つめ続けている。

「アリ、シア…」

 久しぶりに見たアリシアは、美しい毛並みを真っ赤に染めて寝そべっていた。腹部から下の状況を見るに、車にでも轢かれたか。そう冷静に眺める自分に笑った。アリシアは、俺を見たまま小さく何度も鳴いた。病院に連れて行っても、もう遅い。いや、遅くあって欲しいと願う自分に心が揺らいだ。
 俺は彼女の身体を抱き寄せて路地裏に入ると、ゆっくりその目を見つめた。
 アリシアの眼球には自分の姿しか映していなかった。鳴く声がゆっくりと、そして小さくなっていく。濁る瞳に映る俺の顔も、それに比例して醜いものへと変わっていく。

「………本当は、俺、最初から、先生が、…好きだったんだ」

 アリシアはそれを聞いて一度瞬きした。

 本当は、アリシアが羨ましかった。先生にあんなにも想われているアリシアが憎くて仕方なかった。
 アリシアに懐かれる俺を映す先生の目に優越感を感じていた。アリシアを伝って先生と間接キス出来ることに喜んだ。先生に懐くようになったアリシアに嫉妬した。先生のあの愛しむような目が、俺に向けられたらどんなに幸せか、本当はいつもずっと考えていた。
 だから先生にキスされて、俺は本当は先生のことが好きだと気付かされた。そして、アリシアがいなくなればいいと、心の底で願っていたことにも、気付かされた。

「にゃ、あ」

 アリシアは俺の告白に呼応するように一鳴きすると、ゆっくりと目を閉じる。同時に、動いていた身体もゆっくりと止まり固まった。
 それにどうしようもなく歓喜してしまった自分を憎んだ。
 憎んで、憎んで、憎んで涙を流した。



[ ←backSSnext→ ]


>> index
(C)siwasu 2012.03.21


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -