ゴリラは、俺の手の中の料理を見てやや首を傾げたが、すぐに食べ物だと気付いてくれたのか、皿を恭しく受け取って座り込むと、おもむろに肉じゃがへと口を付け始めた。 まさか十七年生きてきてゴリラに手料理を食べてもらう日が来るとは……。 寮暮らしだからと、半ば強制的に覚えさせられた料理だったが、今は強引な母に感謝している。 口に合ったのか、ゴリラはあっという間に肉じゃがを平らげると、他に何かないのか、と言いたげな視線を送ってきたので、慌ててきんぴらごぼうと魚の煮付け、それに明日の弁当にと用意していた卵焼きも差し出した。 何を食べるか分からないので、とりあえずこの中で気に入るものがあればいいのだが、なければ俺を食うとかそういったことはやめて欲しいと切に願う。 しかし、ゴリラはどうやら全てお気に召してくれたようだ。勝手に立ち上がってテーブルの上に置きっ放しだったスプーンを取ると、まるで人間のように器用な食事を始めた。 なんだかここまで来ると申し訳ない気持ちが芽生えてきたので、椅子に座るようジェスチャーで誘導する。ついでに残っていた味噌汁も温めて出したら、両手を合わせられた。 こいつ、本当にゴリラなのだろうか……。 だんだん精巧に作られたロボットか着ぐるみのような気がしてきて、どこかにチャックや部品らしきものは見えないものか、と食事中のゴリラの周りをうろうろとしてしまう。 ゴリラは気にしてないのか、黙々と食事を続けている。 背中に回って様子を窺いながら恐る恐る触れてみるが、特に咎められなかったので今のうちに、と毛繕いするようにかきわけて繋ぎ目を探す。 ……が、やはりそれらしきものは見当たらなかった。 むしろ生暖かい肌と、思ったより柔らかくて短い毛並みに――あ、なんかこれマジで本物っぽい――と、数メートル距離を取ってしまった。空のお椀を掲げて味噌汁のおかわりを要求されたので、すぐに戻ったが。 「あのー、美味しいっすか?」 ゴリラに対してどういう言葉遣いになっていいのか分からず、つい失礼な敬語になってしまう。 ゴリラは無言で頷くだけで特に何も話さないので(いや、本物だったら話せる方がおかしいので間違ってないが)何だか亭主関白な夫を持った気分になる。 むすっとした顔してるし。 結局ゴリラは俺の料理をほぼ全て平らげてしまった。 満腹で機嫌がいいのか椅子に座って寛いでいるゴリラに、俺は帰れとも言えず、どうしたものかと食器を下げながら考える。 とりあえず胃袋は掴んだようだから食われることはないだろうが、殴られでもしたら人生終わりそうなので、機嫌を損ねないよう食後の茶を出してみた。 ら、飲んだ後に頭を下げて礼をされた。 あれ、もしかしてこのゴリラいい奴なのか? そんな考えが脳裏に過ぎってすぐに頭を振る。 いやいやいや、それ以前の問題として、ここにゴリラがいることが異常で危険なのだ。 ゴリラがいることに馴染みかけている自分の順応能力に突っ込みを入れながら、テーブルの上を片付ける。そして、手が空いたところで、どうしていいか分からず、とりあえずゴリラの正面の椅子に座った。 向かい合う形で座ったわけだが、特に何を話していいのかもわからず(そもそも話が分かるのだろうか)困っていると、ゴリラが徐々に頭を下げて船を漕ぎ出した。満腹で眠くなったのだろうか。 「っておいおいおいおい、こんなところで寝るのはやめてくれ!」 慌てて立ち上がり傾きかけたゴリラの体を支えると、目を擦ったゴリラは何を思ったか立ち上がって、迷わずリビングのソファーに寝転がった。そしてそのまま図々しくも居眠りを始めてしまう。 「マジかよ……」 近付いて揺すってみるも起きる気配はない。 突然ゴリラが部屋に上がってきたかと思えば、人の飯を食ってソファーで寝始めるだなんて話、きっと生徒会役員に話しても笑われるだけだろう。それより今のうちに携帯電話を取りに行って、寮長に連絡しなければ。 途中まで手に持っていたのに、どこに置いただろうか。部屋を見渡すと、先程まで食事をしていたテーブルの上に置かれた携帯電話を見つける。 俺は安堵の息をつきながら足を向けたが、途中何かに引っ張られて心臓を止めながら振り返った。 なんと、俺のパジャマの裾を、ゴリラが握りしめている。 彼女にして欲しい十の可愛い仕草である「寝ぼけながら服を掴まれる」という夢がゴリラで叶うとは思わず、笑えばいいのか泣けばいいのか呆れればいいのかよく分からない。俺は何とも言えない表情のまま、ゴリラの握りしめた服を必死に引っ張るが、動く気配はなく途方に暮れた。 そういえばゴリラの握力は五百キログラムぐらいあるとか聞いたことがある。あれ、これ離すの無理じゃね? 俺は早々に諦めて、ゴリラの寝ているソファーの横に座り込んだ。 ぐっすりと寝ているゴリラは見つめても起きる気配がない。口元に耳を寄せてみたが、やはり規則的な寝息を立てるだけだったので、こんな機会は二度とない、と自分を慰めながらゴリラの毛並みを堪能した。 「意外と気持ちいいんだな……」 体毛に触れると、その意外さに驚く。猫に近い感触に、思わず厳しくて強そうな見た目を忘れてしまいそうだ。 俺はすることもなかったので、そのままゴリラの毛並みにうっかり癒やされていたのだが、だんだんと訪れた睡魔に、そういえばと時計を見る。 短針は三時に近づこうとしていた。明日も早いことを思い出して、悩みながらも恐る恐るゴリラの腹を枕に、ソファーの横で体を傾けてみる。 どうしよう、気持ちいい。 そんな感想と同時に沈んでいく体に、どうか起きても五体満足でいますように、と祈りながら俺は意識を手放していった。 [ ←back|title|next→ ] >> index (C)siwasu 2012.03.21 |