02


   *****


 いつもの聞き慣れた着信。
 俺はそれをどんな感情で受け止めていいのか分からなくて、携帯電話を握りしめながら固まっていた。
 しばらくして切れたコールの三十分後、窓から控えめなノックと共に大きな影が映る。俺は無言でカーテンを引いてゴリラを見つめると、何も言わずに鍵を開けて中に通した。

 いつもと違う俺の様子に戸惑ったのか、ゴリラは困惑しながら部屋をうろうろするのでテーブルに座るよう促す。
 考えながら料理していたせいで、馬鹿みたいに作りすぎてしまった。ゴリラは、無駄に豪華な食卓と俺を交互に見ながら首を傾げる。

「腹減ってるだろ、食えよ」

 ぶっきらぼうに言えば、おずおずと座るゴリラが恭しく手を合わせて頭を下げた。戸惑いながらも黙々と食事を始めるゴリラに、俺はどんな顔をしていいか分からずじっと見つめてしまう。視線が痛いのか、食事を続けながら深い緑色の瞳が左右に揺れる。
 半分ほど食べた所で、ゴリラはご馳走様と手を合わせてお辞儀をすると、俺を覗きこむように見つめ返してきた。
 困ったような表情を見せるゴリラに、俺は大きくため息を一つ吐くと、呆れたように笑って頭を撫でる。

「変な勘ぐりしても仕方ないよな」

 首を傾げるゴリラの手をとってリビングに引っ張ると、いつものソファーに寝転ばせて、その上に覆いかぶさるように寝転ぶ。
 やっぱり柔らかい毛並みは気持ち良くて、安心する。
 ぎこちない動きで上がった腕が、俺の頭にゆっくり降りてきて、後頭部に温もりを感じたところで、さっきまでイライラしていた自分が馬鹿らしくなって笑った。

 胸に頭を預けると、力強くて優しい鼓動が聞こえてくる。
 心が愛しさで溢れて溺れてしまいそうだ。

 心配そうに俺を見る瞳に、なんでもない、と返して腰に手を回す。ゴリラも、戸惑いながら両手を俺の体に回して添えるように抱きしめた。
 拙いけれど、ひたむきな想いが優しい温もりから伝わってくる。
 力加減に怯えながらも、俺のことを大事にしてくれていることが分かって、愛しくなる。

 顔を上げて、首を伸ばした。
 触れるだけのキスを送って嬉しさに頬を緩めれば、ゴリラは一度まばたきして目を細める。次に太く分厚い唇がゆっくり近付いてきて、息遣いを感じながら押し付けられる二度目の口付けを、俺は大人しく受け止めた。

「ん……」

 瞼を下ろして、何度も確かめるように深く繋がり合う。
 足りなくて強請るように上唇を甘噛みすれば、ゴリラの大きく柔らかい舌がからかうように唇を舐め上げた。
 焦がれるような情欲は、確かにそこにある。
 なのに、腹の底で燻り続ける疑心は、俺を惑わすように何度も疑問を投げかけた。それが切なくて、苦しい。
 意識が逸れたことに気付いたのか、ゴリラが俺を覗き込んで首を傾げる。澄んだ瞳が「どうしたの?」と聞いているようで、後ろめたさに視線を外した。

 こいつは、佐藤じゃない。
 そして、佐藤はこいつじゃない。

 言い聞かせては別の可能性を考えて、けれど花の匂いがすること、同じ場所に怪我をしていたこと、何より携帯電話が、全て俺の望みを丁寧に壊していく。
 いろんな感情が織り交ざって、溶け合う。だんだん、こいつのことが好きという気持ちもあやふやになって、そのままどこかに消えてしまいそうだ。

 だったら、確かめればいい。
 俺は体を起こすと、ゴリラの腕から離れて洗面所に急いだ。
 前に、髪を切りに行く暇がなくて鬱陶しい、とぼやいたら藤島がくれたヘアピンがあったはずだ。
 女っぽくて嫌だと文句を言ったが仕方なく使っていた、小さな星のパーツが三つ付いたヘアピンを持ってリビングに戻る。油性マジックで、星の裏側にアルファベットのHを書いてゴリラの元に戻ると、後頭部に埋め込むように差し込んだ。

「これ、絶対外すなよ」

 後頭部のヘアピンに触れようとするゴリラの手を取って、握り込む。
 少し悩んでから頷いたゴリラに、少し気持ちが軽くなって俺は小さく息を吐いた。
 痛いかもしれないが、しっかり差し込んだので暴れなければ取れないはずだ。偶然と呼べないように文字も書いた。

 この不安は、どうか杞憂に終わって欲しい。
 ゴリラが何者かだなんて疑いを向けることは、俺のゴリラへの気持ちを否定するようなものだ。

 俺はこいつが好きだ。
 その気持ちは、嘘じゃない。

 助けを求めるように、またゴリラの胸に顔を埋めた。きっと聞きたいことはたくさんあると思う。それでも、何も言わず俺を抱き抱えてくれる優しさに、瞼の奥がつん、とした。
 これは俺の身勝手な安心だ。
 だから、ゴリラがこの部屋を出てからこっそりヘアピンを外していたとしても、それでいいんだ。

 心地良い花の香りに包まれながら、俺は穏やかに訪れた睡魔の手を取って瞼を下ろす。
 意識が落ちる直前、額に触れた唇は、泣きそうなほど柔らかな愛情に満ちていた。


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(C)siwasu 2012.03.21


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