01


「ほらよ」
「べふっ」

 眩しい陽の光と鳥の囀りに包まれ、本来なら清々しいはずの朝。
 しかし、泥と体液に汚れたこの二人に清々しさは微塵もない。
 マオがテントに戻り手をかざすと、シスが現れ王子らしからぬ声と共に地面へと落ちた。
 寝袋の上とはいえ顔から落ちたのだ。
 痛みに呻くが、怒鳴り声が聞こえてくることはなく、動きも鈍い。相当疲弊している証拠だろう。
 マオのなけなしの優しさにより下衣は履かせられたとはいえ、衣類がはだけ、乱れた髪にぐったりとした顔は、普段の身綺麗な彼からは想像もつかない。

「うわ……明るいところで見ると酷いな」
「だれの……せいだと……」

 いつもの悪態も覇気がなく、睨みつける瞳も瞼に隠れようとしている。
 マオは小指の爪ほどの罪悪感を覚えたが、それも一瞬のことで、シスを端に転がして自分も寝袋の上に座ると、アイテムボックスを開いた。
 所持品の一覧から王冠のアイコン――つまりシスを示すアイコンを選択し、ステータス画面を確認する。
 行為を重ねる度にレベルアップの音がうるさく響いたので、もしやと思ったが、やはりランクアップしていた。
 この世界では、一定のレベルに達するとランクが上がり、レベルアップ時より大幅にステータスが向上する。
 シスの場合はアイテムだが、他の人間だと職業のランクとして、その職種特有のスキルやアビリティを授かることもあった。
 ちなみに、マオの場合は何故か職業部分にノイズがかかっていて読むことが出来ない。
 その理由も本人は薄っすらと気付いている。
 ――が、あまり深く考えていない。
 無駄な思考で脳を浪費させるほど、自分が今置かれている立場を重要視していないからだ。
 女性が少ないと聞いて最初は気が狂いそうになったが、幸い顔だけは好みの性奴隷も見つかった。
 奴隷と呼ぶにはうるさいし反抗的だが。
 あとは目的を達成して、報酬を得た後は元の世界に帰れるまで豪遊するつもりだ。
 マオはシスのアイテムランクがAになったことを本人に伝えようとして、その横に書かれたアビリティに目を止めた。

〈分泌液製出〉

 一見、補助か攻撃に関するスキルにも思えるが、シスはオナホアイテムとして登録されている。ならば、ここにある分泌液とは、その性能を向上させるためのものだろう。見つけてしまったら、気付いてしまったら試してみたくなるのは、マオも同じだ。
 固定アビリティと説明はあるが、詳細は書かれていない。
 分泌液というぐらいなのだから、おそらく口か尻穴に関係するだろう。
 そうあたりをつけて、マオはいつの間にか眠っていたシスに近付くと、こちらに引き寄せて何か変化がないか指を突っ込んだ。
 しかし、その異常さに慌てて引き抜く。

「あっつ!」

 シスの口内は体温を超えた熱で渦巻いていた。
 もう一度指を入れてみたが、やはり熱い。高温サウナのような、湿気を伴った、茹だるような熱さだ。
 流石のマオも、シスの状態がおかしいことに気付く。

「おい、シス。起きろって」
「う……う……」

 マオに揺すぶられてゆっくりと瞼が上がるが、その中の瞳は焦点が合っていない。
 よく見れば顔が赤く、呼吸も苦しそうだ。
 額や首に手を当てて、マオはようやくシスが熱を出しているのだと理解した。
 初めて出会った強敵に、度重なる肉体と精神の疲労。
 穏やかな気候とはいえ、夜になれば空気も冷える。シスだって昨夜は身震いしながらシーツにくるまっていた。
 そんな中、半裸で行為に及べば、熱を出すのも無理はない。

「マジかよ」

 マオは顔をしかめて、あからさまに面倒だと言わんばかりの表情を見せた。今まで熱を出した相手を看病したことなど、一度もない。気休めにポーションで体力を回復させてみるが、あまり効果は得られなかった。
 荒い呼吸を繰り返すシスを見て思う。役立たずは捨ててしまおう。それがマオの信条だ。
 それに、そろそろ彼と見切りをつける頃合いではないかとも、考えていた。

(だって俺……多分、勇者じゃねえしなぁ)

 少し前から自覚はあった。
 シスが語る勇者とは正反対の性格、いつのまにか手に入れていた闇属性のスキル。
 そして、決定打が昨夜の魔物との対話。
 シスは魔物の言葉が分からなかったようだが、マオはプラントーブの声をはっきりと聞いていた。

『魔王様……ようやく、ようやくお戻りに』

 歓喜に震える声が、確かにそう言った。
 そして、自分に向けられたそれを聞いて、マオはようやく今までの違和感に納得したのだ。
 性質上、魔王と呼ばれる方がしっくりと身に馴染む。
 何故、勇者が現れるはずの祭壇に自分が立っていたのかは分からないが、不利になる真実を誰かに伝えるつもりはない。
 むしろこのまま黙っているはずのない魔王を倒し、城に戻って報酬を手に入れたら、バレる前に逃亡を計るつもりだった。
 そうなると、問題はシスの存在だ。
 魔王城に向かい、魔王がいなければ不審に思うだろう。幸い勇者に信奉を寄せているため、疑いの目を向けることはないだろうが、今までの振る舞いを隣で見ている以上、時間の問題だ。
 熱を出しているなら丁度いい。
 仮眠を取った後、近くの村にシスを預け、一人で城に向かい魔王を倒した振りをする。
 そしてシスと合流し、城へ戻ってしれっと報酬を得る。
 マオの脳内ではそんな計画が着々と組み上がっていた。

「せっかくここまで育てたけど……いや、帰りにまだ何回かヤれるんじゃ……」

 うなされるシスを見ながらマオは呟く。
 シスに意識があれば、間違いなく怒り狂っているであろうマオの下衆な思考は、誰も止める者がいない。
 むしろ、唆す声が聞こえてくるほどだ。

『わざわざそんな嘘をつく必要などありません。魔王様がこの世界を支配すれば、富も名誉も思うがまま』
「そうか、言われてみればそうだな」
『セドリアの王を殺し、人間を滅ぼし、世界を蹂躙しましょう。……そうですね、手始めにこの男は奴隷にでもしましょうか。魔王様が気に入られたのでしたら、ペットとして飼うのも一興かと』
「ペット……その手もあったか」
『まずはこれ以上逆らうことがないよう、術を施します。見守っておりましたがこの男、魔王様が慰み者にしてやっているというのに、なんと横柄な態度を取ることか。ああ、憎らしい、憎らしい』
「……ん?」

 恨めしそうに呟く声。そこで、ようやくマオは自分と会話する存在に気付いた。
 シスの方から聞こえてくるが、姿は見えない。近付いてみると、首のあたりで何かがもぞもぞと動いている。
 マオは薄桃色の髪を持ち上げて、そこにいた緑の生き物に胡乱な目を向けた。

「何してんだ」
『奴隷の印を刻んでおります。幸い熱で抵抗力が弱い。これならすぐにでも――ぎゃびん!』

 シスの首で蠢く蜥蜴に似た魔物。マオはそれを引っ掴んで持ち上げると、力をこめる。
 プラントーブの件から推測するに、話せるということは上級の魔物なのだろうか。マオは首を傾げた。

「あいつが魔物除けの結界を張ってたはずだが」
『はっ、人間の脆弱な術など、上級の我らに効くはずがありません!』
「なるほど。……ドロップ美味そうだし、とりあえず倒しとくか」
『アーッ! 待って! 待ってください魔王様!!』

 マオは置いていた剣を握りしめる。
 そして、その切っ先を手に持つ魔物へと向ければ、蜥蜴の形をしたそれは慌てながら首を振った。シスを横目で見る。まだ苦しそうに呻いているが、何かされた様子はない。

『私めは魔王様の気配を感じ、お役に立てればと参った次第でございます。分別のつかぬ低能な魔物たちと違い、危害を加えるつもりは一切ありませぬ!』
「……こいつに何かしようとしてたじゃねえか」
『それは……魔王様のために奴隷として――ぎゃびびん!』

 マオは蜥蜴を握り潰そうと力をこめる。
 思い返してみれば、この魔物はマオの思考に話しかけてきた。
 ならば考えを読むことが出来るのだろう。マオを見つめ、読み取ったのか、怪訝な目を向けてくる。

『魔王様はこの男が煩わしいのでは……?』
「そうだな、確かに煩いし鬱陶しい。特に説教してくる時は口喧しくてイライラする」
『なら……あ。……ああ、それは、それは大変申し訳、な……ぎゅぅ……』

 思考を読んだ蜥蜴は、何かに気付き、納得し、そして炎によって塵となった。

「俺以外がこいつにちょっかいかけようとするのは、もっとイライラすんだよ」

 マオの手の中に残ったのは、燻る黒いもやと蜥蜴の尻尾。
 サラドゥーナテールという合成アイテムになったそれをボックスに仕舞い、マオはしばらく考え込むと、シスの額におそるおそる掌を乗せた。熱が下がる気配はない。
 テントの中はまだ明け方なので涼しいが、陽が昇りきれば蒸し暑くなるだろう。
 せめて風が入るようにと、マオは入り口を開放し空気を入れると、シスを寝袋の中に押し込んだ。
 生まれてこのかた看病したことなど一度もない。
 自分がされた時のことを思い出してみるも、あまり病気にかかったことがないため、参考にならない。
 荒い呼吸を続けるシスを見て、マオは川で水を汲んでくると、適当な布で額を冷やしてみる。
 ドラマや漫画ではそうしていたから、という幼稚な発想だが、それでも落ち着く様子はなかった。
 マオは徐々に苛立ちをつのらせる。

「俺がここまでしてやってんのに……腹立つな」

 クズのような発言だが、実際クズなので仕方がない。
 マオは玩具に飽きた子供のようにシスから興味を外すと、隣の寝袋に潜り込んだ。自分も疲れがないわけではない。
 すぐに訪れた睡魔に身を任せて、マオは「後は知るか」と言わんばかりにそのまま眠りへとついたのだった。


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(C)siwasu 2012.03.21


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