01


 神殿に勇者が現れたと報告を受けたのは、妹とガゼボで紅茶を飲みながら、作ってくれたシュトゥルーデルを味わっている時のことだった。
 驚きのあまり立ち上がると、そのまま固まってしまったシスを見て、妹のクラリスは笑みをこぼす。

「お兄様、お顔が林檎のようです」
「なっ」

 指摘に慌てふためくシスリウスを席に座るよう促して、クラリスはそっと冷水を差し出す。

「す、すまない」

 よく冷えたそれは、喉を伝い体の熱を治めてくれる。落ち着きを取り戻したシスリウスは、次の報告と招集に駆け回る兵の後姿を目で追いながら口を開いた。

「おかしい。魔王はまだ現れたと聞いていない」
「きっと、それを説明するために招集されたのでしょう」

 ラグイル王妃の四番目の子であり、第一王女のクラリスは、この世界では珍しい女性――特に王族ということで、他の兄弟たちよりも特別扱いされている。継承権は持たぬが、長兄よりも地位が高く、彼女の発言権は国王と王妃に次ぐものだ。
 だからこそ、その立場に恥じぬよう幼い頃から厳しい教育や抑圧を受けており、そのため、十歳にして既に成人女性と変わらぬ風格を身に着けていた。
 テーブルの上のシュトゥルーデルを布で包みながら、クラリスは落ち着いた様子で片付けを始める。近寄った侍女たちが、食器を下げる様子を見ながら、シスリウスは先ほどの報告を反芻して息を吐いた。

「勇者……そうか、勇者がついに」
「今年に入ってからお兄様はどこか落ち着きがなかったですものね」

 クラリスが楽しそうに言うと、シスの頬に朱が浮かぶ。

「う、浮ついているわけではっ」
「分かっております。この日に備えて、国の結界も念入りに施していましたもの。ですが、憧れの王子様が現れて心が揺れるぐらい、誰も咎めはしませんわ」

 動揺を隠せないシスリウスを横目で見ながら、クラリスはそう言って穏やかに微笑んだ。彼女には、シスリウスの心境など全てお見通しなのだろう。

「王子様、って……」

 シスリウスは眉を下げる。自分自身が王子であるのに、憧れの王子様とは、乙女の持つ比喩だとしてもおかしな話だ。
 首を傾げたクラリスが、不思議そうに言った。

「あら、そうでしょう? シスリウスお兄様にとって、白馬の王子さまはラディアスお兄様でもルシウヌスお兄様でもなく、勇者様なのですから」
「そ、うだが……彼は世界を救う身。そんな邪な感情を向けられても、煩わしいだけだろう」

 幼い頃から勇者への憧れを語り続けてきた相手に、今更誤魔化しはきかないようだ。シスリウスは肯定しながらも、己の想いが実ることはないと言いたげに嘆息した。
 項垂れる兄の手を取ったクラリスは、首を振って諭すように言う。

「想うことは自由ですよ、お兄様。それに、お兄様の憧れる勇者様なら、きっとあの指輪も気に入っていただけると思いますわ」
「そうだろうか」

 おずおずと視線を上げるシスリウスに、クラリスは力強く頷いて見せた。
 それに後押しされたのか、シスリウスはアイテムボックスから小さな指輪を取り出すと、空に掲げる。太陽に反射して輝く翠は眩しくその存在を主張する。
 ダイオプテーズを嵌め込んだそれには、シスリウスが十年以上注ぎ続けた魔力が込められている。
 その力は蘇生すらも可能にしてしまう効果がある。いつか勇者が現れた時、その手助けになればと用意していたものだ。

「ふふ、王族がパーティーに入ることができたなら、お兄様は喜んでついていきそうですね」
「うっ」

 指輪を見つめるシスリウスにクラリスは目を細める。
 彼女の言葉はいつも確信をついている。
 敵わないと内心で両手を上げながら、シスリウスは唇を引き締めると王宮に視線を移した。

「……いや。僕はセドリアの王族、人の王ダルギヌスの息子。兄上たちが戻ってくるまでは、僕が父上を支えなければならない」

 勇者をサポートできるのは冒険者のみ。
 それを羨むこともあったが、シスリウスは自分の身の上を悔いたことは、一度もなかった。だが、自分にできることがあるのなら、いつでもこの身を捧げるつもりだ。

「それではお兄様、また後で」

 そう言って、準備のために侍女を引きつれながら立ち去ろうとするクラリス。その後ろを慌てて追いかけたシスリウスは、クラリスの手の中にあるシュトゥルーデルを指さした。

「クラリス、その包みをくれないか」
「いえ、冷めてしまいましたので……また、次の機会に作り直しますわ」

 シスリウスの申し出に目を瞠ったクラリスは首を横に振る。
 しかし、シスリウスは強引に包みを奪い取ると、それを背中に隠しながら、驚くクラリスに向かって微笑みを浮かべた。

「可愛い妹が僕のために作ってくれたんだ、こんな馳走は他にない。是非とも夜食にさせてくれ。勿論、次の機会も楽しみにしているよ」

 シスリウスは、今日のためにクラリスが何度も試作していたことを知っている。厨房で、メモを取りながら料理長の話を聞く姿を、こっそりと覗いていたからだ。
 クラリスがまだ幼児だったころ、一番構っていたのがシスリウスだったこともあり、誰よりも慕ってくる妹がシスリウスは可愛くて仕方がなかった。
 言葉遣いや仕草は大人びていても、外見はまだ十歳。
 幼さの残る顔が喜びに頬を染め上げる。それを誤魔化すように咳払いしながら、クラリスは小言を呟いた。

「それ以上甘いものを食べると太りますよ……主にふくよかなお尻が」
「なっ、さ、最近は鍛えているからちゃんと引き締まっている!」

 妹の言葉に、シスリウスは背筋を伸ばして反論する。そんな兄を見てクラリスは思わず噴き出した。
 クラリスにとっても、シスリウスは唯一年相応に扱ってくれる優しい兄だ。
 だからこそ誰よりも一番幸せになって欲しい。
 愛する兄の想いが報われることを願いながら、クラリスはシスリウスの掌の中にある指輪を優しく見つめた。


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(C)siwasu 2012.03.21


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