01


 マオとシスが魔王討伐の旅に出てから二か月あまりが過ぎた。
 旅は順調に進んでおり、マオのレベルはトップランクの冒険者にも劣らないものとなっていた。
 レベルが伸び悩み始めてきた最近では、魔術にも挑戦している。
 しかし、異界から来たマオは体内の魔力が赤子ほどの量しかなく、実戦では役立ちそうにない。できることと言えば、種火を作ることぐらいだ。
 ちなみに現在、マオの魔術によって鼻先を燻る火に怒りで我を忘れたサンダーベアが、二人の前で咆哮をあげている。

「グォアァァァァァァッァァ!」

 茶色の毛先が逆立ち放電を始めると、被毛が青白く変化した。
 のそりと立ち上がると二メートルは超えるその姿を見て、マオは笑みを浮かべる。

「めちゃくちゃ怒ってるし。ウケる」
「馬鹿か! サンダーベアは怒らせると討伐難易度が上がると言っただろう……!」
「いや、鼻に葉っぱついてたから取ってやろうかと」
「燃やす必要があるのか? あると思ったのか!?」

 シスの怒号にマオは眉を顰めながら耳を塞ぐ。
 マオのことだ。覚えたての魔術を試したかったのだろう。しかし、それをわざわざ普段は温厚な魔物に向けるところには悪意しか感じない。
 シスは右腕をさすりながら大きくため息をつく。

「グォアァァーッ、グアァァァァ……ッ!」

 マオの悪戯によって凶暴化したサンダーベアが鋭い爪を振り下ろす。それを右手で受け止めながら、シスはまだ言い足りないのか説教を続けた。

「幼児でもやっていいことといけないことの区別ぐらいつく! 貴様は幼児以下か!」

 言いながら、怒りのあまり力のこもったシスの手が爪を握りつぶす。粉々に割れた爪に、怯んだサンダーベアが一歩下がり、シスを強く睨みつけた。
 だがシスはそちらを見ようともせず、地団太を踏む。

「今は良くてもダライアに入ればそうもいかないんだ。僕だって目が届かないことも――」
「おい、シス。とりあえずアレ、何とかしようぜ」
「グォアアァァァァァァァッッ!」

 シスの言葉を遮ったのは、マオとサンダーベアの咆哮だ。
 被毛に纏った電流がこちらに向けて放たれる中、シスは眉間に皺を寄せながら足を高く持ちあげた。
 そして、それが地面に振り下ろされると同時に、三メートル四方の土くれが突出し攻撃を受け止める。
 マオはそれを見て感嘆の声を漏らした。

「すっげえ……。腕触ってる時に身体強化の術をかけたのは分かったけど、今のはどうやったんだ?」
「あらかじめ靴底には八つの術を仕込んでいる。定めた条件で発動させるだけでいいから、手間がかからない」
「何それ、めっちゃ格好いいじゃん。漫画みてえ。俺もそれやりたい」
「マンガ……? 術を施す魔力が足りないから無理だろう」
「えー」
「グォアァッ、グアァァァァッ、グアァァッ!」

 戦闘中の会話とは思えない呑気な二人に、サンダーベアが土くれを乗り越えて飛びかかってくる。
 マオはすぐに身を屈めると腰の剣に手をかけた。
 そして、近付く巨体の懐に入ろうと足を踏み出すが、シスに止められてつんのめる。見れば、サンダーベアは大きな土くれに覆われて体の自由を失っていた。

「なんで止めるんだよ」
「剣は駄目だ。刃先が毛に触れただけで死ぬぞ」

 マオの持つ剣は上等な銀でできている。放電しているサンダーベアに切りつけようものなら、感電は免れないだろう。

「あぁ、そっか」

 土くれに埋まって身動きが取れないサンダーベアは、唯一自由な頭を振り回す。頭の被毛をパチパチと放電させるが、攻撃まではできないようだ。

「だから怒ると難易度が上がるってことね」
「放電中の毛は固く、並大抵の攻撃も通らない。この状態で倒すと経験値も多いが……仕方ない。このまま待って、電力切れで元に戻ったところを――おいっ」

 マオは話を全く聞いていなかった。剣を抜きながらサンダーベアに近付く後ろ姿を見て、シスは慌てて口を開く。

「待っ」

 だが、シスの声が届く前に、銀の剣は青白い光を放つ被毛に振り下ろされた。

「ッ、マオ!」

 シスは声を荒げながら走り寄るが、マオの足元に転がるサンダーベアの首を見て足を止めた。
 マオが銀の剣で首を落としたようだ。土くれは、拘束していた対象物がアイテム化されたことによって崩れていく。
 シスは信じられない状況に息を呑んだ。

 サンダーベアは放電状態で倒すと、電流を帯びた毛皮となる。
 サンダーベアの毛皮。通常時に狩っても爪しか手に入らないため、入手困難なAAランクのアイテムだ。
 剣を鞘に収め、毛皮をアイテムボックスに入れるマオに、感電した様子はない。シスは怪訝な表情を向けながらマオに近寄った。

「何をした」
「なんかこう、ズバッとしたらいけた」

 そう言って、あっけらかんとした様子で答えるマオに、シスのこめかみがひくつく。

「真面目に答えろ! 下手をすれば死んでいたのかもしれないのだぞ」
「うーん、でも倒せそうって思ったんだよ。……あ、ほら。勇者の力的な?」

 シスの鋭い剣幕にもマオは全く物怖じせず、そう言っておどけた様子を見せる。
 勇者の力と言われれば、シスは納得せざるを得ない。実際マオは、他の者にない特別なスキルも持っている。
 それでも、今まではシスの知らない能力に対して何らかの説明をしてくれていた。もしかしたら、本人も理解していない特殊スキルなのかもしれない。
 シスは瞑すると、眉間の皺を揉みながら言う。

「勇者の力だとしても、扱い方を理解していないようではリスクがあるかも分からないではないか。せめて、その力が何であるか分かるまでは控えるよう――」
「なに、俺のこと心配してくれてんの?」

 遮るようにマオの言葉が被せられた。シスが瞼を開くと、ニヤつく顔が眼前に迫っていて、驚きのあまり背を仰け反らせる。

「あっ、たり前だ。貴様がいなくなれば誰が魔王を倒す」

 そう言って身を引こうとするが、マオは腰に腕を回してシスを引き寄せた。腰を密着させ、股間を擦りつける。素股の一件以来、マオの中で流行っているスキンシップだ。

「シスもめちゃくちゃ強いし、魔王とかラクショーでやっつけそうな気すんだけどなァ」
「ま、魔王は光の剣でしかトドメを刺せない。光の剣を扱えるのは勇者だけだ、何度も言ってヒッ」

 尻を揉まれて、シスは小さな悲鳴をあげながら石のように固まった。その様子を見ながら、マオは内心で笑みをこぼす。
 どうやらシスは、この過度なスキンシップに弱いようだ。密着すればするほど顔が赤くなって、身動きができなくなるらしい。
 平然とした顔で、口淫をこなしてきた男の反応とは思えないが、マオはこの困惑に涙すら浮かべるシスの顔が好きだった。

 一方、シスはマオと素股を行って以来、接触が増えたことに羞恥心を覚えていた。
 行為中は自棄を起こしているため、むしろ積極的なところもあるが、素面の状態で触れ合うことには慣れそうにない。最近、口淫時に頭を撫でてくるのも気が散って仕方がなかった。
 何度肌を合わせても恥ずかしさは増すばかりだ。
 その時のことを思い出して、足をもぞもぞと動かすと、ようやくマオが離れて安堵の息をつく。

「日が暮れる前に次の町へ寄るんだったよな」

 そう言ってマオは目を細めた。シスは乱される心に頭を振る。

(くそ、もっと毅然とした態度を取らなければ)

 そう己を叱咤しながら地面を見つめていると、ふと視界に入った煤のようなモヤに気付いて目を止めた。サンダーベアのいた場所で燻るそれは、徐々に空気に紛れて消えていく。
 魔物の討伐跡は魔力の残滓が浮いていることがある。おそらくそれだろう。
 シスは胸中に引っ掛かりを感じながらも顔をあげると、既に先へ進み始めているマオの後を慌てて追いかけた。


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(C)siwasu 2012.03.21


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