俳優×リーマン



悲恋/バッドエンド注意。



【エンドロールのその後で】

「好きだよ!お前のこと、好きに決まってんじゃん!」
「…」

 画面越しに見る男は、そりゃあもう端正な顔を歪ませて辛そうに胸元を握り締めていた。こんな表情で告白してくる男に惚れない女性はいないだろう。俺は男をジッと見つめた。
 高い身長に長い足。黒い髪から覗く切れ長の目はストイックそうにも見えて、無邪気な表情を作る事にも長けている。そんな、俺より六つも下の真弓久志(まゆみ ひさし)と言う名のテレビの中の彼は、今や知らぬ者はいない実力派俳優だった。

「あっちゃ〜ん、ただいま〜!」
「…ただいま、じゃねえ。お邪魔します、だ」
「あ、何々、ドラマ見てんの??」
「聞けよ…」

 そのままテレビは結末を迎えるべく緊迫した雰囲気を漂わせる中、暢気な声が玄関から聞こえて俺は溜め息をつく。振り返る間も無く後ろから香水の匂いと共に肩へ落ちる重みを躊躇なく払い退けた。
 視線を向ければ、無邪気な表情をコロコロと変える子供の様な大人の男。けれど、その顔は画面に映る男と余りにも似過ぎていて。

「ね、あっちゃん。俺、格好良い?」

 先程までの子供な部分は何処に行ったのか、テレビを背に目の前で無駄な色気を垂らし始めた男―――真弓に俺は疲弊した。

「はいはい、カッコイー」
「ちょっとぉ、棒読み禁止ー!」

 頬を膨らませる真弓に呆れた目を送る。嗚呼、俺は何故この男と出会ってしまったのだろうと思いを馳せながら。



 俺が真弓と知り合ったのは二年前の居酒屋での事だった。

「ね、お兄さん一人?」

 仕事が終わり気分転換に同僚を飲みに誘ったが断られ、一人で飲むのも癪なのでソープへ行ったのだがいつも指名してる子は休みらしく仕方無く別の子を指名した。
 だがその女が予想以上に酷い接客で、一向に萎え続けたままの俺にプライドが傷ついたのか「ゴムを付けるなら」と言われ本番をさせて貰う事になった。
 その為終わった後何とも言えない感傷に浸ってしまった俺は、やはり一杯だけ飲んで帰ろうと初めて立ち寄った居酒屋のカウンターでビールとつまみを啜っている所だった。

「ね、お兄さん聞こえてる?」

 もしかして俺のことだろうか?
 呼びかけに反応する様に右隣を見れば、今までテレビなどでしか見た事が無い様なイケメンがいた。

「良かったらさ、一緒に飲まない?」
「男のナンパはお断り。性転換してからどうぞ」
「ひっどいなぁ。差別だよ、差別」

 言いながら椅子を俺の方に近付ける男。おい、今断った筈なんだが。
 俺は半眼で彼を睨みつけた。

「ね、奢るからさ?俺別にホモとかじゃ無いし」
「…」
「彼女に振られてさぁ、寂しい訳よ」

 ほら、と見せる携帯の写真は確かにこれまた綺麗なお姉さん。イケメン滅びろ。
 愚痴でも言いたいのだろうかと溜め息を吐くと、俺は仕方なくグラスを男の方に傾けた。

「お?ははっ、ありがと。乾杯」

 振られた記念に乾杯か?どうもおめでたい奴の様だ。

「お兄さん名前何て言うの?」
「赤木(あかぎ)だよ。あんたは?」
「俺?」

 社交辞令に聞き返せば、何故かきょとんとされる。

「俺は真弓。よろしく、赤木さん」
「女みてえな名前だな。上の名前は?」

 眉を潜めて真弓を見上げた。こいつ、座ってても分かる程背が高いな。

「え?…ふふ、秘密」

 真弓は可笑しそうに笑って指を口に当てた。そんな姿もこいつがするから様になるのが同じ男として悔しい所だ。
 結局流されるまま一杯だけのつもりが結構な量の飲み食いをしたらしく、次に意識がはっきりしたのは翌朝全裸で真弓に抱かれて眠る自分の姿を確認した時だった。
 おまけにそれが今幅広い活躍により注目されている期待派俳優、真弓久志と聞いて俺は大きく肩を落としたのを覚えている。

「だってさー、赤木さんったらさっきまで一発ヤってましたーみたいな色気だだ漏れの顔してたんだもん」
「お前ホモじゃねえって言ったぞ」
「あんな顔してたらホモじゃ無くてもドキュンだよ〜。思わず声掛けちゃうぐらいだし」
「…初めから狙ってたって事じゃねーか」

 痛くなる頭にめかみを押さえる。
 結局あれから行為中に撮っていたらしき写真で強請られ何回か相手をしていたら、気付けばちゃっかり俺の部屋に居候する様になっていた。

「お前がホモだと知ったら世の中の女性は泣くだろうな」

 次はバラエティ番組で芸人に弄られ困った様に笑うテレビの中の真弓を見て呟く。

「バラす?」
「…でもいいかもな」

 皮肉交じりに笑った。
 だが真弓にそんなもの効果が無い事は知っている。

「その時は仕事辞めてあっちゃんと国外逃亡しようかな?」
「…何で俺まで」
「だってあっちゃん、もう俺でしか勃たないでしょ?」

 言いながら本当に嬉しそうに笑う真弓に俺は胸に何かがグサリと刺さった。女だったらこの笑顔で失神してしまうんじゃないだろうかと思える程の笑顔が癪に触る。
 そう、悲しい事に今俺の身体は真弓にしか反応しなくなっている。勿論後ろの面で。
 昔は他の男でも可能だろうかと二丁目に行きかけた事もあった。だが、真弓にバレて寸前で阻止された挙句丁度GWだった為連休最終日まで寝室から出して貰えなかったという恐怖に合って以来二度と試そうとは思わない。
 おかげで今はソープにさえ行く事が出来ない状態だ。畜生。

「あっちゃん何食べるー?」
「…肉」
「了解、じゃあ今日はすき焼き!」

 意気揚々とキッチンに立つ真弓を見て、溜め息が漏れた。この関係が男ってだけでも問題な現状だ。
 だが、もう一つの重要な問題は。

「撮影、何時からだ」
「んっとね〜、明後日!」
「何時まで?」
「二週間だよ、軽井沢。…寂しい?」

 振り返り嬉しそうに微笑む真弓を俺はジッと見つめた。

「…沢屋のジャム」
「ふふ、あっちゃんって本当お土産好きだよね。了解」

 そりゃ、今までお前にそれを植え付ける為に必死で調べて来たからな。

(ここまで来るのに二年)

 長かった。その間にも真弓は着々と成果を上げ知名度は最早アジアにも広がりつつある。
 そんな有名人であるこいつが今まで俺との関係を世間に暴かれてないのは、俺が男であり―――妻子者だから、だろう。
 三年前に単身赴任してから今まで本当に長かった。特に真弓と関係を持って以来こいつにバレない様に必死で隠し通してた。

(来週、やっと戻れる)

 辞令が出たのは先月の事だった。
 もういいだろう、俺はお前の我侭に長く付き合った。心中で呟いて、息を吐く。
 だが戻るにせよこうなってしまった以上本来の相手である妻にはけじめを付けるつもりだった。離婚届の入った鞄を見つめる。勿論それも書類の間に挟んで見られる事の無い様にファイルに入っていた。

 真弓が俺に好きだと言ってきた事は、一度もなかった。

「あっちゃん、出来たよ〜」
「…ああ」

 軽快な声で呼ぶあいつに俺は返事した。
 もうすぐエンドロールが流れる未来を、頭に思い浮かべながら。







 真冬の空気は乾きすぎている。
 俺は風が耳を切る痛みに思わず息を飲んだ。

 真弓から逃げて三年。あいつが撮影で長期間留守にしてる内に部屋を引き払い、妻子の居る場所に帰った。俺は何も知らずに優しく出迎える妻の姿に胸が痛み、離婚届を出した時の反応に胸が押し潰された。
 妻は「女ですか?」と聞いたが俺が首を振ると黙って判を押した。
 それ以上、何も聞かなかった。
 そして三年の間、真弓が俺を探しに来る事は無かった。
 今の俺は一人会社と家を往復する虚しい毎日を送っている。

「大人一枚ですか?」
「はい」

 俺は五千円札と引き換えにチケットと釣りを貰った。映画館は平日なだけあって閑散としている。

 真弓が引退すると発表したのは先月の事。
 人気絶頂の中の引退会見。世間の話題はそりゃもう凄かったなんて言葉では済まない程だった。

(その最後の作品が、これか)

 一人の女性を愛し続ける男の話。一時間という映画にしては短い、ただの純粋な恋愛映画。
 初め知った時は特に興味が沸かなかったが、職場の女性グループが「あれを見たら真弓久志の引退理由が分かりますよ!」という言葉を聞いて少し気になった。
 二年の付き合いの中に未練でもあったのだろうか。馬鹿馬鹿しい。
 俺は笑った。

 仕事帰り、どうやら上映終了間近とあって空席が目立った。俺は一番後ろの真ん中の席に座る。映画なんて元妻と交際中に行ったきりだ。

「あの、すみません」
「あ、悪い」

 隣に現れた帽子を深く被った男はすまなさそうに横の席を指差した。どうやら空席が目立つ為構わないだろうと置いた荷物の席の所有者らしい。
 反対側に置こうかと思ったが結局膝の上に乗せ落ちない様に手で支える。暗くなるスクリーンの中、俺は後ろに背中を預けた。

 真弓が嫌いかと聞かれれば嫌いでは無かった。好きかと聞かれれば暫くの沈黙の後好きだと言える。それ位の愛着はあったのだと思う。
 けれど、愛しているかという問いには返答出来ない。
 愛していたかという問いにも、やはり返答出来なかった。
 昔から妻にも淡白な性格をしているとよく言われていた。それをあの二年間にも当て嵌めていい物か疑問に感じる事もあるがそれでも俺はあの時も、今だって自分の気持ちを遠くから眺めている様な感覚でいた。

(だからこうして見に来れるんだろうな)

 映画の内容は有りふれたものだった。女に恋に落ちた真弓が、女の為に全てを尽くす。
 その日常が、まるであの二年間を思い出すようで笑った。
 笑ったが、笑えなかった。
 ラストはいつもの日常の中、二人がソファーで寄り添いあい幕を閉じる。結局女は真弓を愛したかどうかは分からなかった。
 分からないまま、終わった。

(…こんなものか)

 エンドロールと音楽の流れるスクリーンを見つめる。ちらほらと帰る気配のする客席の中、立ち上がろうと思ったが隣の男に立つ気配がないので止めた。
 前を通って邪魔するのも気が引ける。今は一人身の為、帰りを急いでる訳でもなかった。
 だが時間位は確認してもいいだろう。俺はマナーモードにしてある携帯のイルミディスプレイ部分に視線を向けた。
 初めてスクリーンから目を逸らした、時だった。

「ごめんなさい」

 聞こえた声に、俺は顔を上げる。
 何時の間にかエンドロールは終わっていた。真っ黒な画面の中、聞こえるか細い声。

「貴方の、生活を奪って…ごめんなさい。…貴方の、人生を奪って、ごめんなさい」

 真っ黒なスクリーンを俺は呆然と見つめた。
 知っていて残った者、知らずに偶然見た者など客席からは様々な反応が聞こえる。

 すぐに分かった。
 それは、真弓の謝罪だった。
 そして、俺への謝罪だった。

「貴方の、幸せを奪ってごめんなさい。貴方に、苦しみを与えてごめんなさい。貴方に…」

 様々な謝罪を繰り返す真弓の声。
 時折、鼻を啜り嗚咽の入った音も混じる。
 それに釣られたのか客席からも女性の啜り泣きや、ここには居ない真弓の名を呼ぶ声も聞こえた。
 何時知ったのだろうか。俺がいなくなってすぐ探したのだろうか。調べたのだろうか。後悔したのだろうか。懺悔したのだろうか。

 お前は、これで償ったつもりなのか。

 俺は呆然とした。唖然とした。脳内で何かが渦めくのを感じた。

「…貴方を、好きになってごめんなさい」

 その言葉を最後に声は終わった。
 照明が上げられる客席。ゆったりとした足取りで帰っていく観客。
 膝に乗せていた手に重なる、冷たい感触。

「ごめんなさい…」

 誰もいない空間。悲痛な声。震える指。
 俺は真っ白になったスクリーンを見つめた。
 隣は、見れなかった。

「…ねぇ、泣かないで」

 言われて初めて自分が涙を流している事に気付いた。
 涙を流すなんて何時ぶりだろう。
 逃避する様にくだらない過去を振り返る。

「ごめんなさい」

 聞こえる泣き声。
 耳を塞ぎたかったが、体は動かなかった。
 動けなかった。

「でも、好きなんです」

 添えられた手に力が篭る。

「どうしても、…好き、なんです」

 感じる視線。熱を持った視線。
 それでも隣は見れなかった。
 見たくなかった。
 乾いた口を動かした。何故か、震える声しか出なかった。

「ばかやろう」

 そう呟いて、俯いた。
 エンドロールのその後でお前が何を思うかなんて、考えた事は無かった。

 違う。
 考えたく―――無かったんだ。



end.



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(C)siwasu 2012.03.21


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