大切な日には大切な選択を
(どうしてこんなに時間ははや歩きで進んでいくの?)
時間は止まってはくれない。 進み続ける。 いつまでも変わらず、流れていく。
数ヵ月前、アリスは20歳になり、婚約した。 1年前両親が決めた婚約者と正式に婚約して、今日、結婚式をあげる。 あの時以上に艶やかなメイクを施し、あの時より多くの宝石を身につけて、あの時とは違う、真っ白なドレスを纏う。
「アリス」
ノックがなってすぐにドアが開いた。 そこに立っていたのは白いタキシードをきて、胸ポケットにはハンカチではなく生花が入れられており、髪はしっかりセットアップされた男性。 アリスの夫となる人物だ。
「アリス、綺麗だよ」
(なんて、ありきたりな言葉…。)
『ありがとう。ごめんなさい、私今、少し緊張してしまって。少し外に出てもいいかしら』 「ドレスに着替えてしまったのに?窓を開けようか?」
『違うの、この部屋から出て深呼吸でもしたらすっきりするかもしれないと思って。 大丈夫、少しだけだから。一人でいさせて? かっこいい貴方を見たらさらに緊張してしまったわ』
「分かったよ。そうなったらきかないのは僕も分かっているからね」 『ありがとう。それじゃあ少しだけ、行ってくるわ』
スカートを持ち上げて、後ろはどうしても引きずってしまうから、アリスが一番信頼しているメイドに持たせた。 そうして教会の外に出ると、ベンチに腰かけた。 メイドは一度下がらせて、時間がたったら呼びに来るように言いつけた。
これから式が始まると言うのに、ここはとても静かだった。 鳥の声と木々のざわめきしか聞こえない。 ここは教会の敷地内の庭だと言うのに。
「お姉さん、どうしたの?」
15歳位だろうか。 半ズボンにベストを着て、キャスケットを被っている。 そんな少年がいつの間にやらアリスの目の前にたっていた。 いつからいたのか、どうしてこんな所にいるのか、全く分からない。
この教会は貸し切りになっていて、親族と教会の者以外は入れないのだ。 結婚式は親族で、披露宴は関係者も含めて大々的に行う予定だった。
アリスはこの少年に全く見覚えなど無かった。 しかし親族とは言うものの規模はかなり大きい上に、パーティや夜会などに積極的ではなかったアリスはこの式の参加者の中でさえ知らない者が多数いたのだ。 この少年を知らなくてもアリスにとっておかしくはない状況だった。
「お姉さん?」 『あ、いえ、何でもないわ。少し考え事をしていたの。 私はね、これから結婚式をするのよ。でも私の意思ではないから少し気が重くて。ちょっとだけ怖くなってしまったの。マリッジブルーって言うものかしらね』 「そっか、だからお姉さんはこんな所にいたんだね。マリッジブルーじゃないよ。本当に納得出来なかったんだね」
『ち、違うわ。彼は本当にいい人なの。優しくて仕事にも精を出してる。父を継ぐのよ。私のこともとても大切に思ってくれているわ』 「でもここにいるじゃないか。ここはね、教会ではないんだよ?あの教会とここが繋がりやすい場所なんだ」
少年はさも当たり前のように朗々と語るが、アリスにとっては簡単に理解できるものでは無かった。
確かにあの大人数が集まっている教会だとは思えないほどにここは静かだった。 花壇に色とりどりの花が咲いていて、真ん中にベンチがある。 それらを取り囲むように木々が立ち並んでいた。
(おかしいわ…。だってこのベンチは確か…。)
「気付いた?教会なんてどこにもないでしょう?」
そうなのだ。 このベンチは座ると教会のステンドグラスが見えるはずだ。 それなのに今は180度木に囲まれている。
『一体どうなっているの?』 「ここはもう、お姉さんがいた世界ではないんだよ。詳しく説明するとここは僕らの世界に繋がる道。 今ならまだ戻れるよ。それとも僕と一緒に来る?嫌なんでしょう、結婚するのが」
『これは、夢?』
「うーん、違うけど、そう思ってくれてもいいよ。これからきっと認識は変わってくるはずだから」 『どういう意味?』 「つまりね、お姉さん。僕はお姉さんを助けに来たんだよ」
少年はベンチに座るアリスの目の前に立つと手を差し伸べた。 にっこりと少年らしい笑顔を浮かべながら。
「一緒に行こうよ。僕らが助けてあげる」
(なんだかよく分からないけれど、景色が変わるなんてあり得ないわ。 きっとここは夢なのね。)
『分かったわ。お願いしようかしら』
アリスはそういうと少年の手をとって立ち上がった。 片手でスカートの裾をまとめて持ち上げた。 今は膝の少し下位まで見えている状態だが、引きずったままでは歩きにくい。
「そういえばまだ言ってなかったね。僕はリオ。お姉さんは?」 『私はアリスよ。よろしくね、リオ』 「うん、こちらこそ。じゃあ行こう、僕らの世界へ!」
リオはベンチの向きとは反対方向に歩き出す。 先程まで木に囲まれていたはずなのに、そこには1本の道ができていた。
太陽の光は木の葉を透かして地面まで届いていた。 柔らかな光だった。 暗くも眩しくもない、優しい空間だった。 風で木の葉が揺れて、さわさわと音がなる。 それ以外には足音しか聞こえない。
しばらくして見えてきたのは花畑で、そこには色々な種類の花が群生している。 その中心に立つと、リオはアリスのもう片方の手を握った。 それとほぼ同時にスカートは風に吹かれながらふわりと花に覆い被さった。
「大丈夫だよ。心配しないで身を任せて」
アリスが何のことか聞こうとした時だった。 突然浮遊感に襲われたのだ。 上を見上げると空が見えた。 丸く花や草に縁取られている。 気付くのにそう時間は掛からなかった。
穴に落ちたのだと。
先程まで無かった穴に。 そう気づくと恐怖が溢れてくる。 アリスは声さえも出せずにただぎゅっと目を瞑った。
「大丈夫だから、目を開けて?怖くなんてないよ。ほら、見て、アリス」
アリスはリオの手をさっきよりも強く握っておそるおそる目を開いた。
(え?これって…)
落ちていることを忘れそうだった。 確かに落ちているはずなのに、速度が遅い。 普通ならこれほどの時間落ちていれば、失神していてもおかしくはない。 走っている位のスピードだろうか。 頬に風を感じるが、気持ちのいいものだった。
辺りには花がある。 茎はない。 まるで花祭りの時のように茎は落とされている。 クッキーやビスケットもある。 ティーカップやティースプーン、さらには砂時計や椅子まである。 上を見上げると星が見えた。 もう空は見えないのに星が散らばっている。
(本当に不思議なことばかりね。)
「さあ、そろそろ着地するよ。っていっても、構えなくていいんだ。自然と地面に足がつくから大丈夫」
下を見ると光が見える。 トンネルのように、出口の穴があるかは光のせいでよく分からないが、さっきまで回りにあったものは今でははるか上空にあった。 あれらはそこにあるだけで、落ちてはこないらしい。
だんだんと光が強くなってアリスはきつく目を瞑った。 それから少しして、足に感覚があった。 地面に立つ感覚と、体重がかかる感覚。 ゆっくりと目を開くと、そこはまた花畑だった。 遠くにお城が見える森の中。
「ようこそ、アリス。僕らの世界へ!」
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