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空には美しく輝く月が浮かんでいる。

周りには木ばかりの獣道で、辺りに聞こえるのは自分の激しい呼吸音のみ。

冷たい風と冷えていく汗が体の体温をどんどん奪っていく。

さっきから一度も止まらずに走っているから喉は乾ききり、体中が酸素を求める。

私はそのままそこに倒れ込んで仰向けになった。


「…疲れた…。」


かろうじて息は整ったものの乾いた喉はどうにもならず、たった一つ出たこの言葉すらも闇夜に悲しく消えていく。

そもそもこうなったのはアイツのせいだ。


竹中半兵衛。


豊臣軍の軍師でありながら秀吉の親友でもある彼。他の武将からは、毛利元就と並ぶほどの頭脳をもつ有能な軍師と噂されている。

そんな彼が私のもとに訪れた、いや、攫いにきたのはつい先日のことである。





私はただの侍女だ。主人である信長様の命に従い、刀を振るうだけ。だが、先の戦いで豊臣軍の作戦を見破った私を見込んだ竹中半兵衛は私を無理やり大阪まで連れてきたのだ。

完全に油断していた。誘いを断れば豊臣はいつ織田に攻め込むか分からないという脅しまでされれば従う以外に方法がなかった。
だが彼は一つ失敗をした。それは私を牢に捕らえるのではなく、屋敷の離れに監禁したこと。
夜が深けるまで待ち、見回りの兵の隙を狙って気絶させ、ついでにその兵の持っていた武器を拝借してからバレないようにこっそりと抜け出した。


そして今に至る。


完全に息が整ったところで私はゆっくり立ち上がった。
こんなことなら馬でも盗んでくるんだったな…と思ったその時、
背後から誰かの足音が聞こえてきた。

こんな夜更けに出歩くものなどいるはずない。だとしたらこの音の正体はたった一人。


「…竹中半兵衛!」

「やっと見つけたよ。理緒。」


理緒は半兵衛を鋭く睨めつける。

しかし半兵衛の方は全く相手にしていない。まるで威嚇する猫を弄ぶかのようだ。いつもの癖で愛用の関節剣を掌にとん、とんと軽く打つ。


「僕は今日、わざと君を牢に閉じ込めずに今日、城の警備を手薄にしたんだ。どうしてだか分かるかい?」

「いいえ。さっぱりよ。」

「君に`逃げられない`ということを身を以て分かってもらいたかったんだ。もともと君が逃げ出そうとしていたのは知っていたからね。」


私はやっぱりバレていたのか…と心の中でちっ、と舌を打った。

だけどそれと私が逃げられないというのはどうにも結びつかない。


「つまりは君が豊臣の一員になるまで君がどんなに逃げようと僕は追いかけ逃がさない、ということだ。分かってもらえたかい?」

「だったらここであなたを倒すまでよ!!私は何としても信長様の元へ帰るの。」

「どうしてそこまで君は信長に尽くそうとするのかい?君が帰っても帰らなくてもあれは気にも留めないだろうに。」

「うるさい!あなたに私の何が分かるのよ!」


自分でも心の中では分かっていた。きっと信長様は私のことなんて忘れていることなんて。

理緒はその不安を振り払うように勢い良く半兵衛に斬りかかる。

しかし半兵衛はその一撃をいとも簡単にひらりとかわし剣柄で理緒の腹部を突く。


「くっっ!」

「僕に歯向かうなんて無駄だよ。」


…勝負はあっさりとついた。もちろん軍配は半兵衛の方に上がった。
理緒はその場にがくりと膝をつく。悔しいけど、この人には到底敵わない。


「これで思い知ったかい?」


そう言って半兵衛は剣を鞘に収め、ゆっくりと理緒に近づく。

私はぎゅっと目を瞑ったが、想定していただろう衝撃と痛みはいつまで立っても来ずに、代わりに頬に彼の指先が触れた。


「傷がついている。」

「あなたが付けたんじゃない?」

「僕はそんな手荒なマネはしないよ。」


そう言われて考えてみれば先程付けられた傷は、痛みはあっても目立ったものはどこにも見当たらなかった。

…なんだか無性にいらついた。別に私は侍女なんだから傷の一つや二つどうでもいいのに。

私にそんな優しさなど必要ない。もとよりこんなことになったのは半兵衛のせいだ。


「さぁ、戻ろうか。おいで。」


半兵衛は座り込んだままじっと自分を見つめる理緒に手を差し出した。その眼は一見優しそうに見えるが、裏には絶対の意思が込められているような気がする。

その瞳と差し出された手を見て思った。



私はこの手から一生逃れることは出来ないんだろう。