「待って!私も連れてって!」
絶対に、諦めるもんですか。
だって私は一生貴方に付いて行くと決めたんだから。
「理緒を危険な目に合わせたくないんだ。」
「私なら大丈夫。自分の身くらい自分で守れるもの!だからお願い!」
半兵衛の優しい言葉にも理緒は断固として譲らない。
なにを言っても首を縦に振ろうとしないのだ。
「…頼むからそこをどいてくれないか。今回ばかりは君の頼みでも聞けないよ。」
「嫌!絶対嫌!」
半兵衛は心の中で溜息をつく。
明日は大事な決戦の日。
この山場さえ越えればいよいよ天下は豊臣のものになるというのに、危険を鋭く察知した理緒は私も半兵衛と一緒に行くと言って聞かないのだ。
一度決めたことは絶対に曲げないがモットーでもある理緒は部屋の唯一の出入口である襖の前に立ちふさがり、そこから絶対に退こうとしない。
もちろん力ずくで退かすこともできるが、それではなんだか自分が負けた気がしてならないし、仮にそうしたとしても理緒は必ず後を追ってくるだろう。
さすがの半兵衛もこれにはお手上げだ。
「ね?お願い!」
「……しょうがない。特別に許そう。」
「ありがとう!それじゃあ早速支度してくるね。」
全く…。理緒のこういう所にはいつも負けてしまう。
まぁ、そんなところも彼女の魅力と言っていいのだろうか。
けれどそんな彼女を見れるのもあと少しだろう。
結核のせいで弱りきった体は、日に日に人生のタイムリミットが近づいているのを否応なしに教えてくれる。
今回の戦いで自分は命を落とすかも知れない。もし生き残ったとしても長生きは出来ない。
そんなことはとっくに分かっている。
だが彼女はどうする?身寄りもない彼女は生き場所を失ってしまう。
おそらく彼女もそれを分かっていて半兵衛に付いて行くと決めたんだろう。
それを気取られまいと今日はいつも以上にはしゃいでいた。
その理由はただ一つ。
理緒は僕と一緒に死ぬつもりなのである。
半兵衛には全てお見通しだった。
馬に乗れない私はいつものように半兵衛の後ろに乗せてもらっていた。
大阪城を出てから半日ほどたっただろうか。
本当のところを言うと理緒は怖かった。彼がいない世界を想像すると思わず目を瞑りたくなる。
最初に私に話しかけてくれたのは半兵衛だった。
この時代の勉学や分からないことを教えてくれたのも半兵衛だ。
この世界で独りぼっちだった私の心はいつの間にか彼によって満たされていた。
彼がいなくなったら私はどうすればいいのだろう…。
「怖い。怖いよ半兵衛……」
その声は息が掠れるような小さなものだったから、半兵衛に聞こえたのかは分からない。
けれど廻した手から感じる半兵衛の温もりはどこか安心させるようで、私を不安の渦に巻き込んだ。
「半兵衛様ーーーーー!」
前方から聞こえたのは半兵衛を呼ぶ声。
様付けしていることから部下ということは分かるが、その声はなんだか慌ただしそうである。
跪く部下を見つけた半兵衛はすっと手を上げ進軍を一旦止めさせる。
「半兵衛様、後方から伊達の配下の片倉殿がこちらに向かっている模様!どうなさいますか?」
部下の言葉に半兵衛は僅かに驚きを見せたが、暫く考え込む様にして、
「そうか、片倉君が…。…君たちは先に行ってくれ。」
そう言って半兵衛は数人だけを残すと、先程とは逆の方向を見据える。
するとタイミングよく龍の右目こと片倉小十郎が馬ごと滑り込んできたのだ。
辺りの空気が一気に冷え込んだ気がした。
「やはり君と僕はこうなる運命だったのかもしれないね。」
「容赦はしない。」
その言葉を掛け声に戦いの火蓋が切って落とされた。
半兵衛の引き連れていた騎馬兵が一気に襲いかかる。
しかしそれをいとも簡単に片倉さんは次々と倒していく。
片倉さんの表情は、以前座敷牢で見かけた冷静さはかけらもなく、代わりに現代で言う不良じみた面持ちをしていた。
きっとそれほどまでになるようなことが彼にあったに違いない。
そして恐らく彼もまた本気なのだろう。
肝心の半兵衛はというと、まだ馬に乗ったまま片倉さんのその戦う様をじっと見ている。
まぁ後ろからでは断定は出来ないが。
そんな事を思っているうちに片倉さんは彼を取り囲んでいた兵をあっという間に倒し、残るは半兵衛一人となっていた。
…二人の間に風が吹き抜けていく。
「覚悟はいいか、竹中半兵衛。」
砂煙が立ち上り、剣どうしが赤い火花を散らせる。
それを私はただ、呆然と見つめるしかなかった。
『君はここで待っていてくれ。』
先程、私に向けて言った彼の顔は、いつものポーカーフェイスではなく、覚悟を決めた武士の顔だった。
私が口を出す余地もなかった。
これは男どうしの信念を掛けた戦いである。だから私はただ笑って戦場の地へ赴く彼を見送った。
それしか出来なかったのだ。
現在戦況はどちらも互角。
それでも両者の体力はどんどん削られていく。まだまだ続きそうだと予想した時、
半兵衛の攻撃を受けた片倉さんが一瞬よろめいた。
その隙を半兵衛は見逃さなかった。片倉さんの懐に一気に切りかかろうとする。
ついに決着がつくか、そう思ったその時だった。
…片倉さんまであと一歩のところでなぜか彼は剣を止めた。
地面には赤い鮮血。
私は神様を心の中で呪った。こんな時に限って神は意地悪をする。
「半兵衛!!」
私は思わず叫んでしまった。彼は膝を付き激しく咳き込む。
このままでは半兵衛が危ない。しかし彼はまた立ち上がり剣を構える。これが最後の一撃だろう。片倉さんの方ももうボロボロで、立ち上がるのもやっとに見える。
「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」」
二人の渾身の一撃が互いの刃を捉える。
…勝負は見えていた。片倉さんが懐から取り出した伊達正宗の折れた刀から蒼い竜が半兵衛の体を貫く。
苦しそうに胸を抑えたまま半兵衛が後ずさる。崖へ一歩ずつ。その下には……荒れ狂う海。
嘘でしょう?半兵衛が負けるなんて…。半兵衛が、…死んでしまうなんて。
ねぇ、誰か嘘って言ってよ。これは幻って言ってよ。
嫌…行かないで、半兵衛!
「半兵衛ーーーーーっ!」
全速力で半兵衛の元へ駆けて、半兵衛へと手を延ばす。だけど、あと数センチ、届かなった。
掴もうとした右手が虚しく空を切る。
その一秒は、まるでスローモーションのようだった。ゆっくりと、彼は海面に近づいて…そこから先は見えなかった。…いや、見なかったのである。
私はそのままそこに膝からどさりと倒れた。
半兵衛がいない世界で私はどうしたらいいの?
貴方の声を聞けなくなってしまうなんて、温もりを感じられなくなってしまうなんて……
「そんなの嫌だよ…。どうして私を置いて逝っちゃうの…?」
地面にぽたり、と涙がこぼれ、次々と地面を濡らしていく。
理緒は近くにあった刀を手に取り、立ち上がった。その視線に片倉さんを見据えて。
片倉さんは私を哀れむように見つめていた。どうせ私にできることなどないと思っているんだろう。
そんなの知ったことか。
私はきっと片倉さんを睨みつけ刀を構える。
「私はあなたを許さない!覚悟!!」
ーそこから私がどうなったのかは誰も知らない。
春風が私の体を優しく撫ぜる。
その気持ちよさに目を閉じてみれば、今度はさく、と草を踏み分け歩く音。こっちにどんどん近づいて、私の前でぴたりと止まった。
ゆっくりと瞳を開ける。
私の前にいたのは、…間違えるはずがない。私のたった一人のかけがえのない存在ー
「おかえりなさい!半兵衛。」
「あぁ。ただいま。」
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