彼はいつも決まってこの時間にやってくる。
必ず私が寂しそうに窓を見つめているときに来てくれて、私を励ましてくれる。
彼といる時間は現実を忘れられて、いつの間にか暗くなっていた私の顔を笑顔にしてくれて…。
とってもとっても幸せだった。
_______でも、きっと心のなかでは分かってたんだ。
私が彼と過ごせる時間は、もうそんなに長くないってことを________。
通り雨が過ぎ去ったあとの束の間の晴れ間。
青々しい葉っぱから滴る雨水が青空を透かしてキラキラ光る。
…今日もあの人は来てくれるかな?
そんな風に思っていたら、ドアをノックする音が部屋に響いた。
「どうぞ。」
近くにあった手鏡で寝癖がついてしまった髪をサッと直すとタイミングよくドアが開く。
すると彼は決まって、よぅ、と手を上げながら入ってくる。
そんな彼を見ているとなんだか元気を分けてもらえるような気がして。
彼の笑顔につられて私も自然によく笑うようになったと看護師さんも言っていた。
そのおかげかどうか分からないけど、私の病状も回復に向かっていった。
「いつか理緒の病気が良くなって、大人になったら一緒に暮らそうな。」
そんな子供みたいな約束までして、でも原田さんが言うと本当にその夢は叶えられるんじゃないかって思うくらいだった。
永倉さんや平助君が彼と一緒にお見舞いに来てくれた時は、本当に笑いが絶えなくて、面会時間が終わるのもあっという間だった。
「今日は、ずっと理緒の側に居たいからさ、ちょっといたずらしちゃおうぜ?」
看護師さんにバレないようにこっそりと部屋を抜け出したり、夜になっても寝ずにずっと二人で話し合ったり・・・。
…結局あの時、看護師さんにバレちゃった時はこっぴどく怒られて、半日くらい正座させられたりしたこともあったっけ。
初めてあったあの瞬間からまるで二人の運命は決まっていたように気が合っていて・・・。
初対面だなんて思えないくらいあっという間に仲良くなったよね。
___とにかく、彼との思い出は数えられないくらいあって。思い出すとキリがなくて。
きっとこれからもこんな日々が続くんだなぁって思っていた。
それなのに。
____部屋に鳴り響く警報音。
うっすら目を開けると眼前には血、血、血。
それが自分のものだってことぐらいすぐに分かった。
傍らには原田さんがいて、心配そうに私を見ていた。
ねぇ、いつもみたいに笑ってよ。
どうしてそんな顔をしているの?
私が原田さんに弱々しく片手を伸ばすと、彼は両手でぎゅっと握ってくれた。
「ごめん、ごめんな、理緒・・・俺さ、お前に何もしてやれなかった・・・」
「そんな・・・こと・・・ない、よ。はらださんは・・・わたしに・・・・・・あいをいっぱい・・・いっぱいくれたじゃない・・・・・・」
あなたにうまく伝えたいのに、声が途切れ途切れで繋がらない。
「…ねぇ、最後に…笑って?…お願いだから…」
正直、私だって泣きそうだった。
それでも、私は精一杯の笑顔を彼に見せて、
__ありがとう…____あなたと逢えて、本当に、本当に・・・・・・幸せだったよ______。
・・・最後の方はちゃんと聞こえたかどうかは分からない。
それでも彼は私の手を握ったまま、ずっと笑ってくれていて______________。
『理緒、愛してる』
最後にそんな声が聞こえた気がした。
いつも通り消毒液の匂いがするこの廊下を歩いて行く。
ついたのは廊下の隅っこにある個室のドアの前。
俺はこの扉の向こうにいるだろう彼女のことをを考える。
楽しい時はそのくりくりした目をキラキラさせながら笑い、辛い時は大粒の涙を我慢することなくぽろぽろこぼして泣く。
でもそれは俺の前だけで、彼女は俺と会う前までは本当に笑わない娘だったらしい。
ドアに付いている窓から彼女を見ると、・・・ほら。あんなに寂しそうな顔をしてる。
だから俺は彼女を笑顔にさせてやりたくて、いつもみたいに、よう、と手を上げて入る。
すると彼女はさっきのあの悲しそうな顔は嘘のように眩しい位の笑顔を向けた。
俺の無茶な提案にも笑って賛成してくれて、悪戯するときなんかくすくす笑っていて、結局バレてこっぴどく怒られた時もあったよな。
でも理緒とならそんな時間も楽しくて、時間が過ぎるのがあっという間だった。
そんなある日、俺がいつものように廊下を歩いていると、目の前を看護師が慌ただしく通りすぎていった。
行った先は理緒がいつもいる部屋。
・・・まさか、とは思った。だって彼女は昨日まであんなに元気だったんだぜ?
今日だってあのキラキラした笑顔で俺を見つめてくれるはずだ。
そう信じたかった。だけどよ、予感は的中だった。
勢い良くドアを開けると理緒のベットの端には彼女の血が滴っていた。
彼女には家族も親戚もいないから、周りには看護師と医者しかいなかった。
・・・あいつは、ずっと一人で頑張ってたんだな。
理緒は苦しそうに肩を上下させていて、駆け寄った俺に気がつくと目をうっすら開いて手を伸ばしてきた。
俺はその手を両手でしっかり握った。そうしないと彼女が消えてしまいそうだったから。
彼女は俺に病気のことを一切話さなかった。
話して俺や皆の気分を悪くしたくなかったのか、話せばきっと俺に心配をかけてしまうからと遠慮した彼女の心遣いか。
どっちにしろ本人が話したくないなら俺が無理やり聞くわけにもいかない。
理緒はいつも元気だったし、少し無茶したって全然平気だったから、そんなに重い病気じゃないんだろうと勝手に思い込んでいた。
だけど違った。彼女は俺に悲しむ顔をさせたくなくて、話さなかっただけなのだ。
俺がいないところでいつも苦しんでいたんですよと看護師は言っていた。
それでも原田さんの悲しむ顔は見たくないからと、彼の前ではいつも笑っていたいんだと、彼女はそう言ったらしい。
「ごめん、ごめんな、理緒・・・俺さ、お前に何もしてやれなかった・・・」
「そんな・・・こと・・・ない、よ。はらださんは・・・わたしに・・・・・・あいをいっぱい・・・いっぱいくれたじゃない・・・・・・」
ほら、またお前は一人で全部抱え込んで…、少しは俺にだって話してくれても良かったのに…。
思わず理緒の手を握る力に手が入ると、理緒はその手を僅かな、_彼女にしては精一杯の力だったのだろう、力で俺の手をそっと握り返した。
「……理緒…」
「…ねぇ、最後に…笑って?…お願いだから…」
それが彼女からの最後の願いだった。
俺はもう片方の手で、溢れそうだった涙を拭い、いつものように…まだ理緒が元気だった時のように笑ってやった。
すると、それを見た彼女は、とても幸せそうな顔を俺に見せ、
__ありがとう…____あなたと逢えて、本当に、本当に・・・・・・幸せだったよ______。
かすれた声で呟くと、その大きな瞳をゆっくりと閉ざした。
「理緒、愛してる」
その言葉は彼女に届いたか分からないが、最後に、ほんの少し、理緒が笑った気がした__________。
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