空を見上げると、藍色に染まった夜空から白くて冷たい雪が頬に当たる。
しんしんと降り積もっていく雪を見つめているだけで、自然と顔が綻んだ。
見も凍えるほどの寒さなのに、何故こんなにも私が笑っていられるか、その理由は、私のすぐ隣にある。
a graceful prayerここはフラノールの街。
昼間は観光客で賑わうこの街も、夜ではすっかり静かになって、ちらほらと漏れ出していた家の明かりが
はらはらと落ちる雪の一粒一粒を照らす。
私たちは、ユアンの仕事の都合でなかなか二人ゆっくりと過ごせる時間がなかったので、今日くらいは…と思って泊まりでこの街に訪れていた。
温かい部屋の中でゆっくりと二人だけの時間を過ごす、というのもいいのだけれど、
外の景色があまりにも綺麗だったから、外に出たがらない寒がりな彼を私は無理やり引っ張って、やっとのことでここまで連れてきたのだ。
最初は寒いだの、早く戻ろうだの、と文句を垂れていた彼も、その綺麗な雪景色に気圧されたのか、それとも観念したのか、
私の世界ではめったに見られそうもないくらい素敵なこの風景を、近くにあったベンチに二人座って眺めていた。
吐き出す吐息は白く、両手をそっと前に出すと、手のひらはあっという間に降ってくる雪で覆いつくされる。
何故だか良く分からないけれど、なんだか嬉しくて、私は冷え切った頬を緩ませて笑った。
「何でそんなに笑っているんだ。何か可笑しい事でもあるのか?」
「ふふっ…ううん、別に〜、何でもないよ〜」
笑いながら横を向くと、そこにあるのは私の愛しい人の顔。その愛しい人に、何故笑っているのだ?と聞かれても、私は返答に困るだろう。
私が笑っていることにはそれほど大した理由はないのだ。
ただ、彼が私の隣にいる、というだけで、不思議と笑顔が溢れる。
こうして私を見つめてくれている、ただそれだけが嬉しいのだ。
今この時、私がここで、あなたの隣にたっていられるという奇跡。
普通の人なら体験することもないだろう偶然の重なり合い。
もともと、私はこの世界の人間ではなかった。
普通の世界で、両親もいて、友人もいて、なんの変哲もない生活からこの世界にいきなりやってきた時のことを、私は今でも忘れない。
あれからもう2年は経つのだろうか。時が過ぎるのは早いものである。
ふと顔を上げれば、翡翠色の瞳と視線が重なった。その瞳は、私のアイスブルーの瞳を捉えると、ふっと愛しいものを見つめるように優しげに目を細める。
私がそのひどく優しげな瞳に笑いかけると、彼は大きな手で私の頬を包み込んだ。彼の手は、冷たくなった私の頬をそっと撫でた。
「…もうこんなに冷たいぞ。そろそろ中に入らないか?」
「えぇ、もうちょっとだけここに居ようよ。」
お願い、と理緒が言えば、しょうがない、と結局折れるのはいつも彼の方だ。
彼ははぁ、と一つ溜め息をつくと、仕方がない、もう少しだけだぞ、と言って先程と同じようにまた夜空を見上げる。
私もそれに続いて、まるで藍色の絵の具をぶちまけたような濃紺の夜空を見上げた。
雲に覆われながらも、存在意義を誇示するかのように輝く月が、闇と静寂の包まれたこの街を微かに照らす。
しばらく二人でそうしていて、どれくらい経っただろうか、今だに雪は止むことを知らず、積もる雪は高くなっていくばかり。
…ふと、横にいる彼の、夜空を見つめる横顔を見た。
その顔には、夜空を寂しく見つめるようで、どこか哀愁が漂っていて…。
ユアンは今、何を考えているのかな?
…4000年もの長い間を生き続けた彼には、きっとその分だけ苦しみや哀しみもあったのだろう。
その苦しみを、私にも分けてもらえないだろうか、彼の背負っている荷が、少しでも軽くなってくれれば____。
「一人で、背負い込まないで。」
自然とその言葉が、私の口から零れた。
先程とは打って変わって、トーンの落ちた私の声に、ユアンが少々驚いて私の方を見る。
…思えば、彼と出会って今まで、ユアンは私に苦しみや哀しみをこぼしたことなど一度もなかった。
優しい彼のことだから、私に心配を掛けたくないという気持ちもあったのかもしれない。
けれど、そんな遠慮はしてほしくなかった。
だって、彼のことを愛しているから。
「私だって、ユアンの役に立ちたいんだよ?だから…」
幸せな気分に浸っていたのはもしかしたら自分だけだったのかもしれない。
「…ごめんね、こんな事言っても迷惑なだけだよね…」
彼の力に少しもなれない自分が悔しくて、なんて私はバカだったんだろうと今更ながらに気づく私。
思わず自分の手をぎゅっと強く握りしめると、それに気づいたユアンが私の手の甲に自分の手を重ね、氷のように冷たくなっていた私の手をそっと、優しく握った。
「…お前はもう十分に私の役に立ってくれているだろう?」
そう言った彼の手は温かくて、冷えきった私の手を優しく温めてくれた。
その暖かさは、私の心までも温もりで包んでくれるような気がして…。
「その証が、ここにあるじゃないか。」
彼が私の首元にそっと手を触れる。そこにあるのは、赤く輝くクルシスの輝石。そう、理緒も、ユアンと同じように『天使』なのだ。
正確に言えば、元人間だった、というべきか。
彼は『天使』であって、私は『人間』。
その事実は変えようがない。彼はもう、老いることはないけれど、私なんてあと数十年したらしわくちゃのおばあちゃんだ。
彼と私では時間の感覚が違う。
この大きな時間の流れの中で、彼は独り置いてけぼり。私もいつかは彼を残して逝ってしまう。
けれど、そんなのは嫌だ。
彼が永遠を生き続けるのなら、私も彼と同じように永遠を共に過ごしたいと願った。
どんな苦しいことがあっても、彼の隣に居続けたいと、そう願ったのは私。
だから、私は『天使』になった。
すると、私の中の時が止まった。私はこれから、終わることのない永遠を生き続けることになったのだ。
そうして、今の私がここにある。
「私は、今こうして、理緒が隣にいてくれるだけで幸せだ。これ以上の幸福など必要ない。」
「……ユアン……。」
ありがとう、と理緒は心の底からそう思った。
さっきまでの風の吹き抜けるような寂しさは、彼の『幸せ』という言葉ひとつでじんわりと溶かされるように消えていく。
(ユアンの背負っている苦しみの重さも、『私』という存在で少しずつ軽くなってくれれば…)
今は無理だとしても、いつかそれが完全になくなったら、私たちは何物にも代え難い永遠を手に入れる事ができるだろうか。
(きっと、出来るよね…)
今だ降り止まない雪を二人で見つめながら、温もりが逃げないように寄り添って。
瑠璃色の夜空に明るく輝く満月に、この幸せが永遠続きますようにと願って、二人はこれからを生き続ける___。
TOS、ユアンお相手の短編一作目です!
題名の『a graceful prayer』は、『しとやかな願い』という意味です。
ユアンが生きてきた4000年間には追いつけないけれど、これからの人生でそれを埋めていけたらいいなぁ……、そんな思いを込めたモノです。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
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