手と手つないで-02
丈の長い草が生い茂る草むらになまえさんを連れてきた。
先ほど夏目が桶と柄杓を置いた場所に、黒い着物を羽織った妖怪が佇んでいるのが見える。
「あれ?」
なまえさんの声でこちらに振り向いたその妖怪は、大げさにも全身で飛び跳ねて驚くとそそくさと逃げてしまった。
「行っちゃった」
「あの・・・やっぱり見えるんですか?」
「うん、少しだけね。君も見えてるのかな?」
過去にも自分と同じように見える人に会った事は何度かあるが、こんなに朗らかな笑顔で返事をされたのは初めてだった。
先ほどの妖怪が立っていた場所まで歩いていくと、水の無くなった桶と柄杓がひっくりかえって放置されている。
拾い上げて確認してみたところ、やっぱりこれはなまえさんが借りてきたものらしい。
「見つかってよかった。近くのお寺で借りてきたの」
桶についた土を払いながら、なまえさんはほっとした様子で肩を撫で下ろした。
この辺のお寺といえば田沼の家だろうか。
「八波羅寺ですか?」
「そうそう。そういえばこれを貸してくれたのは君と同じぐらいの男の子だったなぁ・・・友達?」
「はい」
「今から返しに行くけど、一緒に来てみる?」
桶を顔の高さまで持ち上げてにっこりと笑顔を向けられる。
足元に居るニャンコ先生に視線を送ると、黙って夏目の肩に乗ってきた。
このあたりには危険な妖怪がふらりと現れる事もある。
逢魔が時に妖を見ることが出来るなまえさんを一人で歩かせるのは危険だろう。
「行きます」
草むらの外に向かって歩き出したところで、道の向こうを横断してくる塔子さんの姿が見えた。
スーパーの袋を提げているので、夕飯の買い物帰りだろう。
「あら、貴志くん。七辻屋の帰り?」
「はい、まんじゅうと団子を買ってきました」
小走りで道に出ると、塔子さんに茶色い紙袋を見せた。
しかしニャンコ先生が中身を殆ど食べてしまったので、あれだけ沢山買ったのに殆ど無くなっている。
袋の中にぽつんと1つだけ残ったまんじゅうを見て夏目がため息をつくと、塔子さんは口元に手を当てて柔らかく笑った。
「あらあら・・・私は今からお夕飯の支度をしてくるから、先に帰ってくるわね」
「はい」
ガサガサと乾いた草のすれる音がして、なまえさんも草むらから出てきた。
ワンピースについた草を払うと夏目の少し後ろで立ち止まり、塔子さんにぺこりと頭を下げる。
「私ったら・・・邪魔しちゃいけないわ」
「え、いや!塔子さん、そんなんじゃなくて・・・」
塔子さんはひらひらと片手を振ると道の角へと歩いて行った。
なまえさんは不思議そうな顔で塔子さんの後姿を見つめていたが、やがて悟った様に微笑んだ。
「とても優しそうな人だね」
「・・・はい」
夕暮れの畦道を並んで歩く。
ずいぶん涼しくなった風は秋の訪れを感じさせた。
山間から顔をだす夕日の赤色が眩しいぐらい目に染み入ってくる。
西の空を見上げると橙から紫へ徐々に淡い色で染まり、空の高いところでは小さな星が瞬いていた。
低い位置を秋赤音が2匹じゃれ合う様に飛んでいる。
「この辺は全然変わってないなー」
桶を抱えたなまえさんはくるっと1回転して周りを見渡した。
昔の情景を思い起こしているのか、瞳は懐かしむように少し愁いを帯びている。
「おれは今年になって此処に越してきたんですが、良い所ですよね」
『おいしいまんじゅう屋があるしな』
「ニャンコ先生は食い気ばかりだな」
しばらく歩いていると、夕日がすっかり隠れた頃にようやく田沼の家が見えてきた。
屋根付き門をくぐって境内に入り、本堂の右手にある居住スペースへ歩いて行く。
なまえさんは引き戸の前に立ち、玄関のチャイムの下に桶と柄杓を置いた。
「返すときはここに置いてれば良いって言われたの」
笑顔で振り返ったなまえさんの背後に人のシルエットが見え、引戸を開けて田沼が出てきた。
なまえさんは急に出てきた田沼に驚きながらも、桶と柄杓を指差してお礼を言う。
田沼はなまえさんにぺこりと会釈をした後、後ろに立つ夏目に視線を預けてきた。
なぜ一緒にいるのかと疑問を感じているのだろう。
「夏目、知り合いか?」
「いや、さっき初めて会ったんだ」
「なんだ、そうなのか・・・あがってくか?」
田沼は右手を上げて家の中を指差した。
住職は不在なのか、いつもよりさらに静かで人の気配が感じられない。
「そろそろ帰らないと塔子さんが心配するから・・・また今度」
「そうか。それと、後ろのその影・・・」
「「影?」」
田沼の視線を追って二人同時に振り返ると、先ほど夏目に水を差し出した妖怪が直ぐ後ろに立っていた。
「あ!アオアミ様」
なまえさんが駆け寄ろうとしたところで、アオアミと呼ばれたその妖怪は霧のように姿を消してしまった。
妖怪を触ろうとした彼女の手はそのまま宙を掴んで下ろされる。
「何かいたのか?」
田沼は慌てた様子でサンダルを履きながら外に出てくると、首を動かして辺りを見渡した。
「ああ・・・ちょうどそこに立っていたんだけど、消えてしまったよ」
『奴め、私たちの後に着いて来たな・・・まぁ悪い妖気は感じなかった。それより早く帰らないと晩飯に遅れるぞ』
回れ右をして我先にと境内の外へ歩き出すニャンコ先生。
後を追いかけようと足を踏み出した瞬間、自分の右腕が何かに引っ張られるように歩行が制された。
それとほぼ同時に隣に立っていたなまえさんもガクンと前かがみになり転びそうになっている。
「「?!」」
「どうした夏目?!」
田沼が心配そうに駆け寄ってきた。
自分の右手を見てみると、真っ白の細い縄のようなものが手首にしっかりと結ばれている。
そしてその先はなまえさんの左手につながっており、彼女の手首にも同じようにしっかり結び付けられていた。
「何だこれ?いつのまに・・・」
あいたほうの手をつかって解こうとするが片手ではうまくいかない。
なまえさんがそばに寄ってきて二人がかりで試みても、きつく結ばれたその縄はまったく解ける様子が無かった。
『私に任せろ』
ニャンコ先生が斑の姿で勢い良く走ってきたので、なまえさんが悲鳴をあげて尻餅をついた。
「先生!」
『二人とも離れるんだ』
地面にしゃがみこんでいるなまえさんの代わりに夏目が数歩離れたので、縄がぴんと張る。
そこにニャンコ先生の大きな口ががぶりと齧り付いたが、鋭い歯をギチギチ動かしてもまったく切れない。
『無理だな』
あきらめも早くニャンコ先生はいつものまんじゅう体型に戻って一回転しながら地面に着地した。
脱力して地面に座り込む夏目の肩に田沼が手を乗せ、二人の間にできている細い影に目を凝らす。
「この影・・・紐か何かか?」
「田沼には見えない・・・ということは妖怪の仕業か。さっきのやつかな?」
「アオアミ様が?でも何で・・・」
『む?今アオアミと言ったか?』
その場の全員がニャンコ先生に注目すると、先生は視線を斜めに動かして何かを思い出している様子だ。
「先生、知ってるのか?さっきの妖怪」
『うーむ・・・アオアミは蜘蛛の魍魎だ。元は縁結びを生業としていたらしい。結ばれた者同士心が通じ合わない限りは自然に解けんと聞いたことがある』
「「「えええええ」」」
田沼も含めた3人が大声で驚愕し、その声は夕暮れの八波羅寺に響き渡った。
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