手と手つないで-03
あの後必死で縄を解こうと試みたが、結局は解くことができなかった。
夕日はすでに沈んでおり、辺りはよく目を凝らさないとお互いの顔も確認できないほどに暗くなっている。
「どうしよう・・・藤原夫妻になんて説明すれば・・・」
「私の所為で・・・本当にごめんなさい・・・」
辺りの風景に負けないぐらい暗く沈んでいる二人は地面にしゃがみこんで先ほどからずっとブツブツ呟いている。
田沼も心配して家の中からいろいろと持ってきてくれたが、人間の道具では妖の縄を切ることは出来なかった。
『相手があやかしものならばまだ何とか誤魔化せたろうに』
「先生は黙ってろ!ひとまず・・・今日は田沼の家に泊まるって事にして今晩中に何とかしないと」
普通の人間には見えない縄といっても、3M弱ぐらいの長さなのでそれ以上離れる事ができない。
というより風呂とかトイレとかどうしたらいいんだ。
考えるだけで欝になりそうだ・・・
「夏目、俺に何か手伝えることがあったら言ってくれ」
「ありがとう、田沼・・・でもこれ以上は迷惑をかけられないよ」
身を乗り出して夏目の腕を掴んだ田沼は、少しがっかりした様子で両肩を落とした。
その様子を見た夏目は少し考えて口を開く。
「じゃあ電話をかしてくれるか?」
「ああ、もちろんだ」
ガラガラと引き戸を開けて家の中に入る田沼の後に二人も続いた。
お寺の本堂と同じお香の匂いがして、なんだか心が落ち着くようだ。
なまえさんは少しわくわくした表情で着いて来ている。
お寺の居住スペースに足を踏み入れることなど滅多に無いからだろう。
田沼が言うには住職は不在らしく、だからこそアオアミも境内に入れた様だ。
いつもならば法力を怖がって妖怪達は八波羅寺の傍に近寄れない。
あの草むらで水の入った桶を渡され
そしてその桶はなまえさんの借りたもので
本当の持ち主は田沼の家。
これらはすべて偶然だろうか?
黒電話の半時計回りに並んだ数字を見つめて、夏目は時間をさかのぼって今日起きた出来事を思い出していた。
人差し指でダイヤルを1つ1つ回しながら、塔子さんに何と説明しようか考える・・・
*
*
「あの女の人と話してるのかな?」
『塔子だ』
「あぁ、そういえば夏目君がそんな風に呼んでた」
「塔子さんにも会ったんですか?」
夏目が前屈みになって必死に電話している後ろで、2人と1匹は立ち話を始める。
家の真ん中に位置している廊下は冷房が無くてもすごく涼しい。
天井に1つだけある照明には小さな蛾が1匹だけとまっていた。
--「ああ・・・はい。田沼の家です。いえ、今日住職はご不在で・・・」
しどろもどろになっている夏目を横目に、なまえは不安そうに呟いた。
「随分心配されてるね・・・悪いことしたなぁ」
『あいつが無茶をするのはいつもの事だ。心配をかけるのも初めてじゃない』
ニャンコ先生は前足を丁寧に舐めながらそ知らぬ顔をしている。
--「いえ、食事は自分達で用意できるから大丈夫です。はい・・・」
会話の内容を聞き、二人は顔を見合わせてふっと笑い合った。
「夏目くんのまわりはやさしい人ばかりだね」
なまえは笑顔で田沼の顔を覗き込むが、田沼は一瞬視線を交じらせた後、照れ隠しなのか直ぐにそらした。
「あの・・・あなたも夏目と同じぐらい見えるんですか?」
「夏目くんがどのぐらい見えてるかはわからないけど・・・割と見えてるほうかも」
「そうですか・・・」
田沼はチラリと夏目の背中に目をやり、床に視線を落とすと右足で板の目をなぞった。
会話が途切れた廊下には、必死になって外泊の説明をする夏目の声だけが響く。
察するに、そろそろ電話は終わりそうだ。
なまえは視線を上げて少し考えると、田沼の肩に右手を置いてそっと囁いた。
「妖が見えるからこそわかることもあるし、見えないからこそ気づくこともあると思うの」
田沼は少し両目を見開いて人差し指で頬を掻くと、何も言わずに薄暗い廊下の奥へと歩いていった。
しばらくして電話を終えた夏目は、ほっとした様子で振り向いた。
心配そうななまえの視線を受け止めて安心させるように微笑む。
「何とかなりました。あぁ・・・田沼、もし塔子さんがここに来たらおれは風呂に入ってるとか言って誤魔化してくれるか?」
廊下の突き当たりから此方に歩いてくる田沼に夏目が声をかける。
先ほどは手ぶらだったのに、今は左手に深緑色の手提げ袋を持っていた。
「わかった。それと夏目、これ持って行け」
田沼の差し出した手提げ袋を受け取って中を確認すると、男物の洋服が入っていた。
「これは・・・?」
「俺の服だ。うちに泊まったのに服が同じだと怪しまれるだろ」
「ありがとう・・・」
田沼の心遣いを有難く受け取ると、その後直ぐに八波羅寺を後にしてアオアミの社があった藪へと急いだ。
夕方でも十分歩きにくかった藪の中は夜ともなると最悪で、縄でつながれていることもありどちらかが何度も躓いた。
ようやくたどり着いた頃には真っ暗な空に半月がぼんやりと浮かんでいた。
月の光で照らされる社は夕方見た時と何ら変わらず、七辻屋のまんじゅうが静かに供えられているだけで妖の気配など微塵も感じられない。
付近を捜してみたが、アオアミの姿はやはりどこにも見えなかった。
『やつも恩を仇で返すとはな』
「・・・・・・」
喉の渇いた自分に水を差し出してくれるような優しい妖怪だ。
何か意味があってのことではないかと考えていた。
「今日はもう暗いし、これ以上探すのは無理だと思うの。ひとまず旅館に行きましょう」
なまえさんは一晩だけこの町に泊まって、明日の昼に帰る予定だったそうだ。
川上にある旅館を予約しているそうなので案内してもらった。
暗い夜道を歩いていくと、傾斜になったU字カーブの向こう側に何か丸い影が2つ並んでいるのが見える。
どこと無く見たことがあるシルエットだと思い近づいていくと、つるつると牛のコンビだった。
「おや?夏目様とブタ猫だ!」
「ブタ猫ーブタ猫ー」
日の丸の扇子を振りながら走り寄ってくる。
「夏目様、何をしておられるのです?」
もう片方の手には酒瓶を持ってだいぶ出来上がった様子だ。
というより近寄って話されるとかなり酒臭い。
『むむ!酒か?!私にもよこせー!』
酒に飛びつこうとしたニャンコ先生の首根っこを掴んで取り押さえると、なまえさんに中級妖怪達を紹介した。
「丁度よかった。お前たち、アオアミという名の妖を知らないか?」
「アオアミ?お前知ってるか?」
「知らなーい、知らなーい」
「そうか・・・もし見かけたら知らせに来てくれないか?」
ほろ酔いの彼らに頼んで大丈夫なものかといささか不安だったが、大勢で探す方がいいだろう。
ヒノエや三篠にも協力してくれるよう言伝を頼み、旅館につくまでの間すれ違う妖怪には片っ端から尋ねてまわった。
しかし目立った成果は得られず、結局はアオアミの居場所が全くつかめないまま旅館にたどり着いた。
当初は1人分の予約しかしていなかったが、女将に相談してなんとか二人に変更してもらい、ニャンコ先生はバッグに押し込んでこっそり部屋へと連れて行った。
おそらくだが、二人とも服に泥をつけて疲れ果てた様子でチェックインしに来たので断るに断れなかったのだろう。
藤原家からそう離れていない旅館だが、外から見たことはあっても泊まるのは初めてだ。
純和風の内装はどこか落ち着く佇まいで、ぴかぴかに磨かれた床を歩くのはとても気持ちが良かった。
通された部屋は割と広く、畳の真ん中に四角い座卓があり、座椅子が向かい合うように置かれていた。
旅館の名物になっているのは天然温泉の露天風呂だが、各部屋にもトイレとバスルームがついている様だ。
『晩飯はまだかー私は腹が減った!』
畳の上でごろごろ回転しながら空腹を訴える先生を無視して、宿泊代を払ってくれたなまえさんにお礼を言う。
「ありがとうございました。お金は明日返します」
「え、いいのいいの!一人で泊まるのはちょっともったいなかったしね。それより・・・」
お互いの身なりを確認してため息を吐いた。
ところどころついた泥の汚れや擦り傷が明るい部屋で見ると余計にみすぼらしく感じる。
「夕食の時間まであと1時間くらいって言われたんだけど・・・待っている間にお風呂に入った方がいいかな?」
「えっ」
湯飲みのお茶を飲んでいた夏目はビクっと体を反応させた。
こんな状態で入浴するなんて言語道断だ。
しかしだいぶ涼しくなってきたとはいえ、この季節に汗をかいて藪の中を歩き回った体でいることが耐え難いのも確かだ。
二人の手が繋がれている縄は妖力の強い人間が触れば感触があるが、それ以外のものはすり抜ける様だ。
一人が入っている間にもう一人が外で待てば何とかなるかもしれない。
なまえさんは畳から立ち上がると、部屋の奥に位置する浴室へと歩き始めた。
引き戸を開けて中の様子を伺うと、浴槽の傍まで入って行き縄がどこまで届くか確認している。
「うーん・・・浴槽につかるのは無理だけど体を流すくらいなら何とかなるかな」
「・・・は、はい」
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