手と手つないで-01
あたりには休むことなく鳴き続けるツクツクボウシの声がこだましている。
夏休みも残り5日となり、近頃は気候も落ち着いて涼しい日を挟むようになっていた。
七辻屋のまんじゅうを買う約束をしていたのでニャンコ先生を探しに来たが、家の裏道では見つからなかった。
今は先生がよく虫を追いかけている草むらへ探しに来ているところだ。
「ニャンコ先生ー!どこに居るんだー」
視界に動くものが入るたびに急いでそちらに振り返るが、野良猫だったり小さな妖だったりとはずればかり。
先ほどから繰り返し声を張り上げているので、段々と喉も渇いてきた。
自分で買って欲しいとねだっておいて一体どこへ行ってしまったんだろう。
もう約束は明日にして帰ろうかと回れ右をすると、知らぬ間に真後ろにいた黒羽織の妖怪に驚いて尻餅をついてしまった。
「夏目様、これをどうぞ・・・」
笠を被った子供ぐらいの大きさのその妖怪は、両手で桶を持って自分の方に差し出している。
草むらから立ち上がって桶を覗きこむと、中には透きとおった水と柄杓が入っていた。
「これは・・・?」
「喉が渇いておいででしょう?どうぞお飲み下さい」
大きな笠の所為で頭の部分が殆ど見えないが、桶を支えている両手は真っ青で鋭い爪が生えている。
妖怪と桶を交互に見比べていたが、いつまでたっても差し出した桶を下ろさないので、夏目は小さく息を吐いて桶を受け取った。
「ありがとう」
桶の中の水は太陽の光を反射してキラキラと光っている。
こんな綺麗な水をどこから汲んできたのだろう。
『お前はまた節操無しにあやかしものと関わりおって』
聴きなれた声に足元を見ると、ニャンコ先生が大福みたいな体を揺らして傍に寄ってきた。
「先生、どこに行ってたんだ」
『水浴びをしていたのさ、こうも暑いと耐えきれん』
確かに良く見ると体が少し濡れている。
自分は暑い中ずっと探し回っていたというのに・・・
不意にあたりに強い風が吹き、膝下まで伸びた雑草がざわざわと音を立てた。
顔を上げて正面を向くと、先ほどまでそこに立っていた妖怪の姿は跡形もなく消えている。
周囲を見渡してみたがそれらしき影も無い。
首を傾げて両手で抱えた桶の中の水を見れば、水面の模様が桶の底に影を作ってとても綺麗だった。
「飲んでも大丈夫かな」
『悪い気は感じない、問題ないだろう』
柄杓ですくって口をつければ冷蔵庫で冷やしたような冷たい水だった。
おかげで火照った体が少しだけ涼しくなる。
『さぁ、まんじゅう!まんじゅう買いに行くぞ夏目!』
ニャンコ先生は草を掻き分けながら道路に向かって歩き始める。
先生の歩いた後は体の幅がそのまま獣道の様に開けているので、その後に続けば幾分歩きやすそうだ。
「さっきの妖にこの桶を返さないと」
『そんなものはそこに置いておけ、勝手に取りに来るだろう』
丸いお手玉のようなしっぽを左右に振りながら夏目をおいてどんどんと先へ進んでいく。
鼻歌まじりで相当機嫌がいい様子だ。
「ありがとう、助かったよ」
草むらの中に桶と柄杓を置くと、もう道路に出ようとしているニャンコ先生を追いかける為に慌てて走り出した。
*
*
*
まんじゅうの袋を抱えて日陰の道を選んで歩く。
木々の枝葉から差し込んでくる太陽の光はだいぶ傾いており、木の真下より離れた場所に木漏れ日をつくっていた。
隣を歩くニャンコ先生は帰り道の途中で既にまんじゅう3個を平らげたのにまだ催促してくる。
残りは家に帰ってから食べるように言ってしっかりと紙袋を両手で抱えると、不満そうに愚痴をこぼしていた。
「食べ過ぎると塔子さんが作ってくれた夕飯が入らなくなるぞ」
『お菓子は別腹だ』
最近は女子高生でもそんな事は口に出さないのに何を言い出すかと思えば・・・
体を揺らして得意げに笑うニャンコ先生を横目にため息をつくと、どこからか笑い声が聞こえてきた。
きょろきょろとあたりを見回してみれば、直ぐ隣の藪の中に一人の女性が立っている。
口に手を当ててクスクス笑いながら此方を見ていた。
「かわいい猫ちゃんね」
グレーのワンピースを着たその女性の視線はニャンコ先生に注がれている。
当の先生はぎくりと体を反応させると白を切るように毛づくろいをして猫のフリを始めた。
ますますおかしそうに笑いながら、その女性は藪を抜けて道路に出てくると、しゃがんで先生の頭を撫で始める。
「君のペット?」
「あ・・・はい」
『違う!私は用心b・・・フゴフゴ』
さっきまでの猫のフリはどこへやら・・・不満そうに毛を逆立てて怒る先生の口を無理やり両手でふさいだ。
ニャンコ先生は暫くもがいていたが、息が出来なくなったのか急に顔を青くして殆ど動かなくなる。
さっき丸呑みしていたまんじゅうが胸につっかえたのかもしれない。
「うわっ先生、大丈夫か?!」
「大変!」
その女性も駆け寄ってきて、道の真ん中でのびてしまったニャンコ先生を端へと移動させた。
ひっくり返して胸のあたりをさすっていると先生はようやく意識を取り戻し、覗き込んでいた夏目に頭突きをくらわせてきた。
二人で暫く喧嘩をしていたが、夏目のパンチでニャンコ先生はまた静かになる。
一部始終をそばで見ていた女性に視線を送ると、涼しげに微笑み返されたので少し戸惑ってしまった。
「あの・・・驚かないんですね」
普通の人間は喋る猫なんてものを目撃したらこんなに冷静じゃないだろう。
「うん。慣れてるから」
感じの良い笑顔で微笑んだ後、女性の視線は夏目の傍らに置かれた七辻屋の袋に向けられた。
驚いたように口をあけて見入っている。
「もしかしてそれ・・・七辻屋のおまんじゅう?」
身を乗り出して袋の文字を確認すると、瞬きもせずに夏目の顔を凝視する。
「はい・・・そうですけど」
先ほどまで笑顔だった人がここまでおまんじゅうに強く反応する事に疑問を抱きながらも圧倒されて返事をした。
「もし良かったらなんだけど・・・1つだけ譲ってくれない?」
両手のひらを顔の前で合わせて必死に頼んでくる様子を見ていると、居たたまれなくなり袋の中から1つ取り出して差し出した。
「いいですよ。・・・はい」
「ありがとう!さっき買いに行ったら今日の分は売り切れたって聞いて・・・困ってたのよ」
ただのまんじゅうを宝物の様に頬擦りする様子を見ながら、よほどのまんじゅう好きなのかと夏目は首をかしげる。
『だめだ、それは私のまんじゅうだ!』
「先生はもう十分食べただろ。それに買ったのはおれだ」
ジタバタもがく先生を抑えながら女性を見ると、両眉を垂らしてニャンコ先生にあやまるポーズをした。
そして直ぐに立ち上がりスカートを翻しながらそのまま藪の中に走っていく。
先生と顔を見合わせ、不思議な雰囲気の女性の後を着いて行く事にした。
草木が生い茂ってだいぶ足場が悪い中を、彼女は全く気にならない様子でどんどん奥へと入って行く。
やがて大きな古木の根元で足を止め、木の虚の中に作られた小さな社の前にまんじゅうをそっと置いた。
社の前にしゃがみ込んで静かに手を合わせた後、立ち上がって夏目ににこっと微笑んでくる。
「社・・・ですね」
「うん。小さい頃おばあちゃんと一緒に七辻屋のおまんじゅうをお供えに来ていたの。本当に助かったわ、ありがとう」
ニャンコ先生に強要されたとはいえそもそも買い占めた自分が悪いのに、お礼を言われた事に少し罪悪感を感じる。
しかしこんなところに社があるとは気がつかなかった。
何となくこの古木の周り一帯だけ他と雰囲気が違う気がする。
「此処は何が祀られているんだ?先生」
先ほどから静かにしているニャンコ先生に視線を向けると、いつの間にか七辻屋の袋からまんじゅうを泥棒して口にくわえていた。
「あっ駄目だって言ってるだろ!」
『うるさい夏目!』
本当に油断も隙もない。
このペースだと家に帰るまでにはまんじゅうがすべて無くなってしまいそうだ。
せっかくなのだから味わって食べればいいのに、いつも丸飲みなのも勿体無い気がする。
「夏目君っていうの?」
「あ・・・はい。夏目貴志といいます。」
「私はみょうじなまえ。本当は隣の県の大学に通ってるんだけど、昔この近くに住んでいたから遊びに来てみたの」
「そうだったんですか」
小柄ななまえさんは見た目だけでは自分とあまり歳の変わらないように見えた。
しかしなんとなくほっとするというか・・・一緒にいて安心できる雰囲気の人だ。
「そういえば・・・ここに置いてた桶と柄杓が無くなってる」
「桶と柄杓?」
「うん。今日は暑いから水を撒いてあげようと思って借りてきたんだけど・・・どこに行っちゃったんだろう?」
なまえさんは木の幹をぐるっとまわりながら辺りを探しているが見つからない様だ。
顎に手を当てて考え込む彼女を見つめながら、夏目はつい先ほど見知らぬ妖怪に水を貰ったことを思い出した。
「あの、違ったら申し訳ないんですが・・・」
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