Destination-10
こんなに遠回りに君を想っていたから、なまえから見ればただ一時的にからかっているだけのふざけた人間だと思われていたに違いない。
それは解っていたけど。
いつかは信じてくれると思っていた。
君が他の誰かと話しているだけでも。
その笑顔が自分に向けられたものでなくても。
全てを愛しいと感じた。
何も言えずに、君の背中を見送るのはもう我慢できなかった。
どうしても抑えられない気持ちに押し潰されそうになって。
あの雨の日、図書室でそれが吹っ切れたんだ。
頭が真っ白になっていた。
「なまえにあんな顔をさせたくなかったのに、馬鹿な事をしたと思ってる」
そこまで話し終えた頃、この石壁に囲まれた部屋にも賑やかな声が響いてきていた。
夕食を終えたスリザリン生が寮に戻って来たのだ。
今までシリウスの話にずっと耳を傾けていたなまえだったが。
急に時間の流れを意識した。
それにこの部屋に入った瞬間に思ったことだが、シリウスの隣においてあるバスケットから・・・
「アップルパイの匂いがするだろ?」
なまえの視線を悟ったシリウスが少しぎこちない感じで笑った。
「ごめんな、話に夢中になってて忘れるところだった」
バスケットを二人の間に置いて上に被せてあったパッチワークを捲ると、辺りに甘い匂いがふわりと広がった。
「リリーが作ったから旨いと思うよ。腹が減っていなかったら無理に食べなくてもいいけど?」
「ううん、急いできたから少しお腹が空いてたんです。ありがとう、いただきます」
なまえはバスケットから一切れ取り出すと、何ともいえないほど嬉しい感情が沸きあがった。
ランプの明かりで照らされたリリーお手製のアップルパイは、オレンジ色の灯りで焼きたてのように艶々と光っている。
なまえは一口頬張ったところで、やっと隣からの視線に気付く。
「シリウス先輩・・・?」
「・・・あのさ、なまえ」
シリウスもバスケットから一切れ取り出し、口の近くまで持ち上げた。
「ずっと気になっていたんだけど“シリウス”で良いよ。1つしか離れて無いんだし敬語じゃなくて良い」
なまえは同意してゆっくりと頷いた。
一度頭が真っ白になったが、シリウスに尋ねようとしていた事を懸命に思い出す。
「・・・シ、リウスは私がアップルパイを好きなことを知っていたの?」
ぎこちないなまえの反応に、隣に座っていたシリウスは優しく微笑んだ。
口元まで持ち上げていたアップルパイを途中で止める。
「・・・うん、知ってた。誰かに訊いたとかじゃないけど。大広間の長テーブルにアップルパイが並んでいた時、なまえは凄く嬉しそうだったから」
なまえは膝を立てて座り直し、それで恥ずかしそうに顔を隠そうとしていた。
「シリウスは私の事をいろいろ知っているんだね」
「“いろいろ”がつくほど知っているわけじゃないよ。君と同室の子の方が、俺よりずっと・・・君の事をわかっていると思う」
ため息混じりにそう答えると、シリウスはさっきあきらめたアップルパイをやっと口に頬張った。
「私は・・・シリウスの事をほとんどよく知らないの」
なまえはランプの灯りで揺れる自分の影をじっと見つめていた。
「貴方が私のことを“もっと知りたい”って思ってくれるのが凄く嬉しい」
「俺もそんな返事が聴けて嬉しいよ」
手に持っていた最後のひとかけらを口に入れてシリウスも座り直す。
「私にも教えて欲しいの、シリウスが好きなものとか・・・興味があることとか」
オレンジ色の世界でもなまえが赤くなっているのが解った。
「もちろん・・・全部教えるよ」
音もなく息を吸い込む。
遠くでまた星が光った。
「答えは全部君だよ」
簡単だろ?っと笑うとなまえは俯いたままぶんぶんと首を振る。
「この答えじゃ不満?」
彼女は頷いて「ずるい」と呟いた。
「じゃあ一生・・・叶わない望みかな?」
なまえはぴたりと固まってしばらく石畳の床をじっと見つめた。
そしてゆっくり首を振る。
右手を軸にして上体を支える体制のシリウスが俯いたままのなまえを覗き込む。
薄いベールをそっと捲るように、彼女の長い髪を肩にかけた。
左手を白い頬にあててそっとこちらを向かせる。
「なまえ、こっちを見てよ」
落ち込んでいたなまえの視線がシリウスを捕らえた。
長い睫がふわっと上がった瞬間。
シリウスは林檎のように甘いなまえの唇を優しく包んだ。
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