要望と贈り物

寒空は鮮やかな茜色から深い紺色に変わり始め、夜の訪れを知らせていた。
小夜はそんな空を四階にあるキッチンの窓越しに見上げたかと思うと、ガスの火を手際良く止めた。
ガスコンロが四つもあるシンクのキッチンはモダンながらもシンプルなデザインで、銀色にぴかぴか輝いていた。
これまたオーキド博士の判断によって改装されたものだ。
当初、キッチンは一階に二つだけだったが、料理が好きな小夜の為に部屋を一つ改装して取り付けたのだ。
元が一つの部屋だけあって広く、料理机やオーブンまで完備され、料理には最適の環境だった。
実際に小夜はポケモンフードまで手作りしてしまう腕の持ち主で、研究員たちに隠れてこっそりと彼らの食事を作ったりもしていた。
オーキド博士は誰が料理を作っているのかという彼らの質問に、住み込みの家政婦という名の助手がいると話してあったそうだ。
庭のポケモン全員にてきぱきと食事を与え、更には姿を一度も見せない不思議な助手の存在に、彼らは何時も首を傾げていた。
気配感知に長けている小夜が彼らの目に入った事はなく、もし見つかってしまったとしても記憶削除の能力がある。
今までオーキド研究所ではそうやって隠れて生活していたが、これからはそうでなくとも良いのだ。
前回帰ってきた時は、癖で彼らに逢わないよう工夫して行動していた。
今後は如何しようかと悩んでいる。

色々と熟慮しながら、掛かっていたハンドタオルで手を拭いた。
ガスコンロの内の一つには小さな鍋が置かれていて、湯気の立つ粥が温められていた。
シルバーの身体の事を考え、ねぎや生姜、たんぱく質の玉子を入れた。

『先ずは起こしに行こうかな。』

白いエプロンを腰から解いて椅子に掛け、キッチンから離れた。
長い廊下を進み、シルバーが眠っている部屋の前へと向かった。
シルバーは起きているだろうか。
午後六時を回ったばかりだが、昼食を摂っていないシルバーは空腹かもしれない。
粥を作っている最中にシルバーが行動しているような気配は全くなかった。
まだ眠っているか、もしくはベッドで大人しくしているかの何方かだ。
波導を使用すれば遠距離でも難なく様子を窺えるが、完全にプライバシーの侵害だ。
小夜はそのように軽率な行動をするつもりはない。
部屋の前に到着すると、小さくノックをしてから扉の銀色のレバーをそっと下げた。

『失礼しまーす…。』

中を覗くと、シルバーがベッドに座って分厚い本を読んでいた。
何時の間に本を持ってきたのだろうか。
シルバーは余程本に熱中していたのか、ノック音に気付かず、現れた小夜に驚きの目を向けた。
すぐに平常心を取り戻し、本を手に持ったまま堂々と口角を上げた。

「よぉ。」

『良かった、元気そうね。』

「明日も安静だなんて御免だぜ。」

シルバーはフンと鼻を鳴らしてからぱたんと本を閉じ、小夜とは逆側の枕元に表紙を下にして置いた。
まるで隠すかのようなその仕草に、小夜は瞳を細めた。
すると、まるでその本が生きているかのようにシルバーの目の前を素早く通り、小夜の片手に収まった。
念力だ、と瞬時に判断したシルバーは眉を寄せた。
本の存在を小夜に気付かれないように上手く振る舞っていたつもりだったが、簡単にばれてしまった。

『これは…。』

小夜は無表情でその本を見つめた。
その表紙にはポケモン遺伝子工学≠フ表記があった。
シルバーの所持する本は小夜が知っている中でポケモンバトル上級者編≠ニいう本一冊だけだ。

『何時の間に買ったの?』

「…。」

拗ねたシルバーはわざとらしく視線を逸らした。
遺伝子工学とは、人間の手によってDNAを分解し、形質や生成物を合成して新たなDNAを造り出す学問だ。
その危険性からポケモンへの応用は禁止されており、本来は植物や医療に対して応用されている。
その危険性を侵し、ポケモンと人間のDNAを操作されて生まれたのが小夜である。

『如何してこれを?』

「その本は論文だ。

もし仮にポケモンに対して遺伝子工学を応用すればどんな危険性があるかを説いている。

此処まで説明すれば分かるだろ。」

今後小夜が身体に何の異常もなく生活していけるのか、もしそうでなければどのような可能性が考えられるのか。
シルバーはそれを学んでいるのだ。

「因みに買った訳じゃない。

今日オーキド博士から貰った。」

『博士から?』

オーキド博士は以前から小夜の身体の異変を危惧していた。
実際に小夜は二年前から急成長し、十歳にも関わらずシルバーと同じかそれ以上の年齢に見える。
オーキド博士は他人には一切極秘で、定期的に小夜の細胞を口内の粘膜から綿棒で採取し、分析を進めてきた。
結果として、その遺伝子配列がポケモンでも人間でもない事程度しか判明しない。
倫理に反する研究を続けていたロケット団だからこそ、小夜の誕生を可能にしたのだろう。

「オーキド博士はお前を心配している。」

『…。』

シルバーは真っ直ぐに小夜を見つめた。

「遺伝子工学を勉強しているのはお前に話すつもりだったし、ばれても如何って事はない。

敢えて言うなら、俺の口から伝えたかっただけだ。」

小夜は黙ったまま微笑んだ。
哀しげな微笑みだった。

『ごめんね。』

「何故謝る?」

『私がこんなで…ごめん。』

能力の所持を不満に思った事はないし、普通の女の子を渇望した事もない。
今までに幾度となくシルバーやサトシ、ミュウツーの危機でさえもこの能力が救ってきた。
それでも、オーキド博士がシルバーに遺伝子工学の論文を渡したり、それを読むシルバーを見たりしていると、その考えは揺さ振られた。
普通の人間ならシルバーと対等に暮らせていたのに、と思う日が来るのかもしれない。
今までずっと目を背けてきた現実だった。

何やら考え込んでいる小夜を見ていたシルバーは不機嫌な表情になり、小夜の片腕を粗野に引っ張り下げた。
立ち尽くしていた小夜は不意を打たれてバランスを崩し、ベッドに軽くスプリングしながら腰を下ろした。
危うく本が落下しそうになった。
まるで睨むような目付きで強く見つめてくるシルバーに、小夜は思わず息を呑んだ。

「俺は半端な感情でお前を好きになった訳じゃない。」

小夜は透き通った瞳を見開き、身体を硬直させた。

「覚悟はあると言った筈だ。」


―――お前が人間じゃない事も、あいつを想い続ける事も、受け止める覚悟はある。


『っ…。』

「その様子じゃあ、如何やら覚えているようだな。」

小夜は泣きそうになるのをぐっと堪え、何度も頷いた。
今日はよく泣きそうになる日だ。

『ありがと…シルバー。』

「別に。」

シルバーは精一杯の笑顔を作る小夜の頬を撫で、微笑んだ。




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