風邪-2

小夜はシルバーが眠ったのを確認すると、そっと部屋を後にした。
一旦自分の部屋に戻り、普段から着用している小型バックを腰にしっかりと巻き付けた。
そして広い廊下に出ると、階段で四階から一階まで身軽に降りた。
オーキド研究所は研究員が様々な処で行動している為、小夜は四階と庭以外を堂々と散策した事がない。
研究員全員が休みの土日や祝日は時折何があるのかと探索したが、小夜自身がオーキド博士の研究を手伝っていた為、何かと多忙だった。

小夜は自分の知るオーキド研究所について脳内で纏めてみた。
オーキド研究所の一階の半分は二階まで吹き抜けになっており、解放感が溢れている。
土足で入れる場所と入れない場所があり、玄関が数ヶ所ある。
一階は研究室と来客室、そしてオーキド博士の私室などがあり、オーキド博士がマサラタウンから旅立つ十歳の少年少女らにポケモンをプレゼントする際に使用する部屋もある。
ベランダに近い倉庫のような部屋は小夜が庭のポケモンの餌やりの為に頻繁に使用しており、ポケモンフードが保管されている。
二階と三階は殆どが研究室や書物の保管室になっていて、オーキド博士の助手として最近新たに加わったケンジという掃除好きの青年が綺麗に整頓してある。
四階は小夜の部屋があり、オーキド博士のもう一つの私室もある。
ちなみに其処は小夜の部屋の隣ではない。
そして一週間以上此処に滞在した事のあるシルバーでも、オーキド博士がその私室を使用しているのを見た事がない。
オーキド博士は研究に余裕が出来た時にその部屋を利用し、四階で暮らしていた小夜と交流を持つようにしていた。
小夜はそれを喜んでいたし、オーキド博士も小夜と話す時は何時も朗らかな表情をしていた。

『エーフィ。』

ベランダに到着した時、既にエーフィが待っていた。
エーフィは姿を現した小夜に近寄り、頭を撫でて貰った。
その後方にはスイクンとネンドールがいた。
静かに浮遊しているネンドールは小夜と視線が合うと、バショウと似た無表情を緩ませた。
小夜は手入れの行き届いた芝生の上をふわっと駆け抜け、ネンドールの一m以上ある身体にしがみ付くようにぎゅっと抱き着いた。
ネンドールは温かい声で言った。

“おかえりなさい、小夜。”

『ただいま。』

ネンドールを探しに行っていたエーフィとスイクンはその様子を見守っていた。

『私の能力が戻ったのは聴いた?』

ネンドールは身体ごと頷いた。
身体と分離している両手は動く事なく、ただ浮遊している。

『貴方が入ってるバショウのモンスターボールを透視して破壊する。

了承して貰えるかな?』

バショウが持っていたモンスターボールはネンドールにとって思い出の品であり、バショウの遺品だ。
破壊に対して躊躇いがないと言うと嘘になる。
だがバショウが亡くなってからもう数週間が経過している。
このままではいけないと分かっていた。
ネンドールは数秒間沈黙してから頷いた。

『透視するね。』

本来はそのポケモンを見るだけで透視が可能だが、ボールとの距離が遠いと判断し、正確に透視する為にネンドールに触れる事にした。
小夜はネンドールに腕を伸ばしたが、すぐに動作を止め、森の方へと視線を送った。
エーフィとスイクンが其処へと視線を送り、ネンドールは三百六十度見渡せる沢山の目で其処を見つめた。

『ハガネール。』

木々の間を上手く移動しながら、ハガネールが現れた。
イワークだった頃から小夜が知っているポケモンだ。
ハガネールの頭上にはボーマンダとその背に乗ったバクフーンがいて、如何やら二匹がハガネールを呼んできたようだ。
小夜は一度腕を下ろし、ハガネールに駆け寄った。
ハガネールは大きな頭を小夜の身長まで下げ、小夜は鋼の額に擦り寄った。

“御苦労だった。”

『ありがとう。』

ハガネールはネンドールが正式に小夜のポケモンになる瞬間を見届けに来たのだ。
小夜はハガネールの顎を撫でてやってから背を向け、ネンドールの元へと戻った。
その間にボーマンダがスイクンの隣に降り立ち、バクフーンが芝生に降りた。

『じゃあ、やるね。』

まるでタイミングを見計らったかのように、冷たい風が吹き抜けた。
艶のある小夜の髪が揺れる。
今度こそネンドールの身体に触れた小夜は瞳を閉じた。
小夜のポケモンが全員見守る中、透視が開始された。

色のないモノクロの世界が小夜の脳内に映し出される。
此処は何処だろうか。
真っ暗な倉庫のようだ。
部屋の外を覗うと、扉の横に木製の表札が掛かっていた。
黒字で彫られたその文字はロケット団殉職者遺留品保管室≠セ。
嗚呼、やはり哀しくなってしまう。
透視を行っている小夜は瞳を開ける事のないまま泣きそうな表情をした。
それを見たエーフィは思わず腰を上げたが、傍に立っていたボーマンダが一声鳴いてエーフィを引き止め、首を左右に振る。

“最後まで見届けるんだよ。”

ボーマンダにそう言い聴かされ、エーフィは目を潤ませながら小夜を見つめた。
彼を失った苦しみは小夜の話をずっと聴いてきた同性のエーフィが一番理解している。
また能力が制限されてしまったら?
また本来の柔らかな笑顔が見られなくなってしまったら?
小夜が彼を失ったというショックに再直面し、打ちひしがれてしまうのが不安で仕方なかった。
彼の遺品の破壊に対して、ネンドールと同様に小夜が辛くない筈がないのだ。

一方の小夜は透視を続けており、棚が所狭しと並んでいる部屋の中に目的のボールを見つけた。
それは大きな段ボールの中にぽつんと仕舞われていた。
ボールのすぐ隣には爆発に巻き込まれた四角い金属の容器がある。
黒焦げになったそれはネンドールの命を繋いだ物だ。
他には何も入っておらず、ダンボールに彼の名前が明記されている訳でもなかった。
小夜が泣きそうな表情から一転して無表情になり、空いている手の拳をぎゅっと握った。
ネンドールはボールとの主従関係が切れた不思議な感覚がした。
そして小夜がすっと瞳を開き、腕を下ろした。

『終わった。』

彼のボールを音もなく破壊した。
小夜の手元にある彼の遺品は、小夜の手に渡ったハガネールのボールと、彼の任務のパートナーだったブソンという男から譲られた彼の顔写真付きのメンバーズカードだけとなった。

『…。』

小夜は哀しげに微笑んだ。
もう平気だと思っていたのに、結局は泣きそうになってしまった。
エーフィは小夜に駆け寄り、その脚に擦り寄った。

『大丈夫よ。』

だって私には支えてくれる皆がいるから。

小夜はエーフィの頭を撫でてやってから、腰のバッグからオーキド博士に貰ったモンスターボールを取り出した。
当時五つ貰ったボールは此処を旅立つ時に先ずエーフィとボーマンダに使用し、ハテノの森ではスイクンに使用した。
つまり残るは二つだけだ。
中央のボタンを押すと、それは拡大した。

『ネンドール、いい?』

“一つ願おう。”

堅苦しい喋り方は健在だった。
小夜はふわりと微笑み、無表情なネンドールが頬を少し染めたと同時に、その身体にボールを触れさせた。
見慣れた赤い光がネンドールを包み込み、ボールの中に吸い込んだ。
小夜は中央のボタンの光が消えるのを見ながら、彼がネンドールを何時どのように捕まえたのかとふと思った。

『……ありがとう、ネンドール。』

そう囁き、ボールを両手で大切そうに胸に引き寄せた。
そしてすぐにボールを放った。
オーキド研究所の庭でボールに入っていなければならない理由はない。
小夜は一つ、大きな試練を乗り越えた。
終わってみれば、清々しい気持ちになれた。

『よし、じゃあ私はシルバーを見てくるね。』

“シルバーの様子は如何?”

バクフーンに尋ねられ、小夜は四階を見上げた。

『まだ熱が高いの。

明日も安静にさせるよ。』

シルバーと皆を隔離しようと言い出したのは、実はエーフィだ。
仮に誰かに移れば大変だし、シルバーもそれを望んではいないと考えたからだ。

『皆は自由にしててね。』

小夜は優雅に身を翻し、ベランダから中へ戻っていった。
その背中をネンドールが無表情で見つめていたが、普段とは違った無表情であると気付いたのは誰もいなかった。



2015.1.1




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