要望と贈り物-2

『私、こんな話をしに此処に来たんじゃないのに。』

小夜はシルバーの手の温もりを頬に感じながら、落ち着いた表情を浮かべた。
シルバーは僅かに首を傾げ、小夜の髪を耳に掛けた。
白くきめ細かい肌が露わになり、もっと触れていたくなる。

「どんな話だ?」

『お腹が空いたか訊こうと思って…。』

小夜は小声でぽつりとそう言った。
何か他に真剣な話なのかと想像したシルバーは小さく笑った。

「もうそんな時間か。」

論文に熱中していたシルバーは時間を忘れて読み耽っていた。
小夜が部屋を訪れる前に枕の下にでも置いておこうと思っていたのに、内容に入り込んでしまっていたのだ。

『まだ六時過ぎだけど、お昼を食べてなかったから。』

「そうだな、そういえば腹が減った気がする。」

『じゃあ持ってくるね。』

小夜はベッドから立ち上がった。
食事の前に検温も忘れないようにしなければ。
遺伝子工学の論文の話ですっかり忘れていた。

「何か作ってくれたのか。」

『お粥。』

以前此処に滞在した時も、小夜は色々と料理をしてシルバーに振る舞っていた。
小夜の料理にはレパートリーが多く、味付けも絶妙に上手い。

「ありがとな。」

『ふふ、どういたしまして。』

小夜はにっこり笑ってから部屋を後にした。
残ったシルバーは天井を見上げ、ぼんやりと考えた。
もし小夜と一緒に住む事になれば、あんな風に毎日笑って料理を作ってくれるのだろうか。
だが小夜は世界の様々な場所を旅したいと言っていた。
二人はまだ若いし、旅の終着点に達するには程遠いのかもしれない。


―――コンコン


部屋がノックされ、シルバーは我に返った。
このゆっくりとしたノックの仕方は小夜ではない。

「はい。」

すぐに返事をすると、扉が開いた。
顔を出したのはシルバーが予想した通り、オーキド博士だった。
何やら茶色の小さな紙袋を持っているが、中身は見えない。

「シルバー君、身体は如何かな?」

「良くなりました。」

もう頭痛も寒気もない。
一時間程前にオーキド博士がこの部屋を訪ねた時には、既にシルバーは目を覚ましていた。
その際に論文を渡されたばかりだ。

「小夜が君を六時過ぎに起こしに行くと言っておったから訪ねたんじゃが。」

「小夜ならもうすぐ来ます。」

『博士!』

丁度廊下から小夜の声がした。
扉を閉めようとしていたオーキド博士は、廊下に顔を覗かせた。
ぱたぱたと早歩きでスリッパの音を立てるのは、盆を手に持った小夜だった。

「おお、小夜。」

『如何かされましたか?』

小夜の持つ盆には白い陶器の皿に入った粥と蓮華、水の入ったグラス、そして飲み薬があった。
小夜はありがとうございますと言いながら、オーキド博士が支えてくれている扉から部屋に入った。

「シルバー君に話があるんじゃ。

君も一緒に聴いた方がいいと思ってのう。」

『私も?』

「俺に話…?」

オーキド博士はソファーに腰掛け、木製でガラス張りのテーブルに紙袋を置いた。
小夜はシルバーのベッドに寄せてあった椅子に腰を下ろした。
若い二人が不思議そうな顔をする中で、オーキド博士は相変わらず朗らかな表情をしていた。

「シルバー君、つい最近君に小夜を見張っておいて欲しいと頼んだのは覚えているかな?」

「はい。」

それはハテノの森に出発する前に、ヒワダタウンでオーキド博士とテレビ通話した時の内容だ。


―――シルバー君、小夜をしっかり見張っておいてくれんか。


能力を簡単に晒してしまう小夜を心配したオーキド博士が口にした言葉だった。
当時、ハテノの森という単語を耳にしたシルバーは、小夜が時渡りをしてしまうのではないかという絶望感に浸っていた。
それでも話の内容を鮮明に覚えている。

「君は頭が良いと小夜から聴いておる。」

勝手な解釈を話されていたシルバーは、むっとして小夜を横目で見た。
小夜は何も言わずに笑顔を浮かべるだけだ。

「そこでじゃ、君に渡す物が二つある。」

オーキド博士は紙袋を持って立ち上がり、中から白いプラスチック製の箱を取り出した。
厚みは二cm程度しかなく、両掌に丁度乗る大きさの長方形の箱だ。
表面には何の表記もない。
オーキド博士は二人の前まで歩き寄ると、シルバーにそれを手渡した。
小夜は不思議そうにそれを見た。

「開けてみなさい。」

「はい。」

中身が分からないまま慎重に箱を開けた。
注射器のような半透明の容器に綿棒が入っていて、それが十セットあった。

「何か分かるかな?」

「遺伝子の検査キット、ですか?」

「流石じゃ。

それで小夜の遺伝子を定期的に採取し、わしに送って欲しい。

小夜のネンドールにテレポートを頼もう。」

『でも如何してシルバーが?』

この検査キットは有名で、綿棒で口内を擦って細胞を採取する物だ。
小夜本人でも検査は容易に出来るにも関わらず、何故シルバーに頼むのだろうか。
それはシルバー本人も疑問に思った事だった。

「シルバー君を十分信頼出来ると判断したからじゃよ。」

オーキド博士がわざわざシルバーに依頼するのは、シルバーを信頼しているという証なのだ。

「でも俺はロケット団の…。」

「君が誰の息子であろうと関係ない。

わしが血縁関係のない小夜を孫のように可愛がっておるのと同じじゃ。」

二人は言葉が出なかった。
オーキド博士の偉大さと寛大さの両方を目の当たりにした気がした。
小夜は両目を潤ませた。
オーキド博士はそんな小夜の頭を撫でた。

「それともう一つ。」

オーキド博士はマイペースに話を進めた。
シルバーは何を渡されるのかと気を引き締めた。

「この部屋は空き部屋じゃったが、最近家具を揃えたんじゃ。

いい部屋じゃろう?

眺めも悪くない。

それに小夜の部屋の隣じゃ。」

シルバーはよく理解出来ないまま、目を数回瞬かせた。
小夜も似たような表情をしていた。

「この部屋は君にプレゼントしよう。

自由に使いなさい。」

「え?」

『ふぇ?』

小夜は思わず変な声が出た。
そんな声が全く気にならない程、シルバーは驚愕を通り越して唖然としていた。

「小夜を好いてくれておる礼じゃ。

君は帰る場所がないんじゃろう?

小夜も君がいれば喜ぶ。」

父であるサカキから逃げ出したシルバーにとって、トキワシティにある実家の屋敷に帰るなど考えられない。

「そ、それでも…!」

シルバーはそれ程までの恩恵を受ける事を自分がしているとは思えなかった。
小夜を想い、大切にしているのは極当たり前なのだ。
オーキド博士は優し過ぎる。
オーキド博士にとって、シルバーは最近まで何の繋がりもなかった少年なのだ。
共に過ごした時間も会話した時間も長くはない。
それに、もしロケット団の一員にシルバーが此処を出入りしていると気付かれると、面倒事に発展する恐れがある。
小夜の気配感知能力があるとはいえ、ビシャスのような人間を送り込んでくるかもしれない。

「貰ってくれんか。

君がいなかったら、小夜は哀しみに暮れて如何なっていたか分からん。

君がいたからこそ、小夜は此処まで持ち直した。」

「それは俺も同じです。

小夜がいなかったら、俺は…。」

オーキド博士はシルバーの肩に両手を置いた。
シルバーがはっと顔を上げた。

「小夜をずっと見守ってくれんのか?

見放してしまうのかな?

小夜と別れてしまうのかな?

はてさて、如何なのかな?」

「え、お、俺から別れを切り出す事はあり得ません。」

オーキド博士の笑顔から垣間見える威圧感に対して、シルバーは若干どもりながら返事をした。
オーキド博士は満足そうに両手を腰に当てた。

「それならよし!

貰える物は貰っておくんじゃ!」

愉快に笑うオーキド博士を前に、シルバーは瞬きを忘れた。
上手く丸め込まれた気がする。
一方の小夜は呆然としながら口をぽかーんと開けていた。
オーキド博士は人差し指をびしっと立てて見せた。

「ただし、要望がある。

わしの研究に協力して貰いたい。

君が何か手伝いたいと言った件じゃが、これで如何かな?」

「分かりました。」

どのような研究なのかは分からないが、シルバーはオーキド博士が進める研究の内容に興味があった。
小夜は依然として表情を変えない。
オーキド博士はそんな小夜の顔を見て面白可笑しそうに笑った。

「小夜、何という顔をしておる!」

『わわ!』

くしゃくしゃと頭を撫でられ、意識が最果てまで飛んでいた小夜は驚いた。

「さて、わしは研究に戻るとするかのう。

小夜、君の意見が欲しい。

後で時間が出来たらわしを訪ねてくれんか?」

『はい、勿論。』

小夜はしっかりと返事をしながらも、怪しい光を受けたかのように混乱していた。
自分を攻撃してしまいそうな勢いだ。

「それじゃあ、わしは失礼しよう。

シルバー君は明日もゆっくり休みなさい。」

オーキド博士は能天気に手を振りながら、部屋から出ていった。
有無を言わせる間もなく話の内容を素早く纏め上げ、そして素早く去っていった。
残された二人は暫く唖然としていたが、先に小夜が口を開いた。

『お粥、冷めちゃった。』

手に持っていた盆からは湯気が全く見えなくなっていた。

「俺はちゃんと礼を言えなかった。」

オーキド博士はシルバーが何か発言する隙間を与えなかった。
最後の方だけ心なしか早口だった気がする。

『時渡りの事も訊けなかったね。

博士は忙しいから、急ぎだったのもあるかもしれないけど…。』

「またしっかり話せばいいだろ。」

小夜はゆっくりと頷いた。
シルバーの風邪が完治してからも、数日此処に滞在するつもりだった。
セレビィの件で二人は精神的に憔悴していたし、オーキド博士に貢献する時間も欲しい。

『部屋、よかったね。』

「……ああ。」

オーキド博士には小夜とお揃いのポケナビを貰ったりと世話になってばかりだ。
恩返しをする為にも、オーキド博士の研究に懸命に協力しようと固く決意した。
それでも部屋を渡されるのは貰い過ぎだと感じて止まない。
シルバーが複雑な心境な中、突然小夜が盆をベッドの上に乱雑に置いた。

『誰!』

弾かれたように立ち上がり、窓の外へと鋭い視線を投げた。
一瞬にして張り詰めた空気の中、シルバーも警戒して立ち上がろうとした。
だが、小夜の視線の先にいたポケモンを見ると、身体の強張りが解けた。

「…ネンドール?」

『…!』

小夜は気配の元となった意外なポケモンの存在に眉を寄せた。
暗くなった外で、部屋の明かりに照らされて浮遊しているネンドールはやはり無表情だ。
主人である小夜と数秒間見つめ合ったかと思うと、何も言わないままテレポートで姿を消した。

「おい、小夜。」

『…。』

シルバーは未だに眉を寄せる小夜を真剣に見つめた。
小夜の気配感知は常時正確であり、誤作動など微塵もあり得ない。
何故、ネンドールの気配にあのように反応したのだろうか。
まるで敵にでも遭遇したかのような反応の仕方だった。
小夜が当然のように落とした視線の先には、冷めきった粥が置かれていた。



2015.1.5




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